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ヴェネツィアとナポリ6

 投稿者:たけどん  投稿日:2010年11月24日(水)20時19分6秒
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  つい、「ロデリンダ(ヘンデル)」の日本盤CDのブックレットを
ヤフオクで落としてしまいましたよ。 ( ̄ω ̄;)日和ったな


おいらが持ってるのは輸入盤だが、まあ辞書引きながら歌詞カード
よむのもなんだしーとか思ったし、なんといっても500円だし。
終了2時間前でも誰もいねー、と思って最低価格500円で入れといた。
1時間前、30分前になっても誰も来ない。
「ま、そりゃそうだよな」と思ってましたよ、ええ。
そしたら、5分前ごろになって「高値更新」だと?
なんじゃそら?・・・「510円」?

相手がどの位で入れたのかは不明(表示は、前の入札価格より10円だけ高く表示されるだけ)だ。
そこでおいらは、700円で入れてみた。「あなたが最高落札者です」・・・ほっ。
表示価格520円・・・・ああ、正直に510円で入れてたのかそうか。

ラスト5分を切ったので、これ以降高値入札があるとさらに5分延長になる。
みてみると、じりじりと最高価格が上がっている。10円ずつだ。
530円、550円・・・だが、おいらの700円には届かないので、おいらが最高値入札者のまま。
2回ほど、延長があったが、690円まで落札価格は上がって、ついにおいらに落ちた。
700円以上の入札はなかったからだ。入札数は12まで上がった。
「あと一歩、がんばりが足りなかった、な」。
しかし、ちょっと相手が気の毒な感じがしないでも ない・・・ね。 (。・ω・。) うーん

数は少ないが、ヘンデルやヴィヴァルディなどのオペラ作品に注目している
人がいるな、というのは普段から感じていた。
めぼしい作品が廉価で出品されると、必ず落札されているからだ。
だが、おいらが「これいい作品なのにな~」というのがずーっと残っていたりもする。
著名でないからか? (あとで、お勧め作品として紹介しましょ)
落札者は学生さんなのかな?とか、いろいろ思ったりもして。



「当世流行劇場(未来社)」という本がある。
「転換期を読む8 当世流行劇場 ベネデット・マルチェッロ著」本体1,800円
 副題 ~18世紀ヴェネツィア、絢爛たるバロック・オペラ制作のてんやわんやの舞台裏~。

これは18世紀のヴェネツィア音楽やバロック・オペラの解説書などには
必ずといっていいほど引用されている本なのだ。
この著者のベネデット・マルチェッロとは、ヴィヴァルディと同時代人の音楽家、
であるばかりか、貴族であり、弁護士、ヴェネツィア共和国の要職を歴任した政治家でもある。

このベネデットは、その兄のアレッサンドロとともにけっこう著名な音楽家なのだが、
その彼がこの本で描いているのは、オペラ劇場に巣くう人々や、オペラ上演にまつわる
人のあれこれ、入場券の販売係から歌手の母上、くじ売り、声楽の先生、大工と鍛冶屋
まで、それらの人々の劇場を中心とした生態なのだ。
彼は、それらの人々を、面白おかしく皮肉を込めて活写している。

実名は出されていないが、モデルとなったオペラ劇場とは「サンタンジェロ劇場」。
「作曲家」「劇場支配人」とは、ヴィヴァルディその人を指していることは確実だ。
つまりこの著作は、「ヴィヴァルディ一派のやり口」を告発し、
皮肉を込めて嘲笑っているのだ。


この「Il teatro alla moda(流行の劇場:原題)」を書いた背景には、
彼の実家が所有していた土地を、ヴィヴァルディの父と前任の経営者が借り(7年間の契約)、
劇場を建てたのだが、期限を過ぎても返さず、
次のヴィヴァルディの時代になっても返還せず、訴訟問題にまでなった問題があった。
前の経営者が劇場入場料を下げたため、他の劇場まで値下げを余儀なくされた。
(劇場の格が下がるのを恐れたマルチェッロは値上げ派に属していた)などの
問題まであったわけですな。
積もりに積もった怨念をぶちまけた、とも言えるわけです。

その辺を割り引くとしても、この本に描かれた劇場の様子や、
それぞれの登場人物の像には、事実の告発の部分も多いように思われる。
なぜなら、裏方の人物像(作曲家や劇場支配人つまりヴィヴァルディ)の以外は、
当時の人々が読めば「あーそうだよな~」と頷ける話ばかりだと思われるからだ。
誰でもが触れたことがある人物たちの姿に関してバレる嘘を書いて、何になるだろう?

そうしてみると、この当時のオペラ劇場とはまさに
社交場であり、ゲームセンターであり、密談密会の場であり、食堂、飲み屋、
娼家であるという、あらゆる快楽と欲望がうずまいていた場所なのだ。
身分の低い者から、仮面とマントを羽織った貴族まで・・・。
おそらく、現代の音楽愛好家などは、とても立ち入れる場所ではない。。
まず、その内部の熱気と臭い。とても耐えられそうにないだろう。
所構わず、聞こえるおしゃべりと奇声。上の席から投げられるマカロニ。
そして出される得体の知れないシャーベットや飲み物・・それも市価の4倍の価格で。

このような切った張ったの現場を取り仕切っていたヴィヴァルディという人物は、
本当に、従来言われていたような病気がちな人間だったのだろうか・・・?


彼が病弱だったかどうかはさておき、持病を持っていたことは確かなようだ。
そうだとしても、このような生き馬の目を抜くヴェネツィアの劇場を仕切り、
司祭職との二足のわらじを履くにはかなりのバイタリティ、そして
庇護者(パトロン)に対して泣きつく演技力(文筆力)も持ち合わせていた
ということなのだろう。

そんな彼も、1740年にはヴェネツィアを捨て、オーストリアへ向かう。
かつて面識を得て好意を得たことある神聖ローマ皇帝(←この言い方もなんだが)
カール6世の庇護を求め、何らかの地位を得ようとしてオーストリアへ向かう。
この辺りについて様々な書籍では、新しもの好きのヴェネツィア人たちに
飽きられてしまい。ヴィヴァルディはもう過去の存在とみなされるようになった
からだ、と書かれている。

たのみのカール6世は急死した後であり(直系男子を残さなかったため
マリア・テレジアが家督を継ぎ、夫のロートリンゲン家が神聖ローマ皇帝位を
継ぐことになる:オーストリア継承戦争)。
かの地で失望したヴィヴァルディは翌1741年に客死してしまい。
二度とヴェネツィアへ帰ることはなかった。

だが・・・ヴィヴァルディがヴェネツィアを離れたのは、聴衆から飽きられ
見捨てられたからだけ、なのだろうか?
それにしては、彼の旅立ちの前の行動がいささか、「あわてるような」
性急な印象をあたえるのだが。(自作を売り飛ばして金に換えたりとか)

ここからは確証の無い「お話し」(ちょっと陰謀論っぽい)なのだが、
まったく根拠のないわけではない、「推測」になる。
だが、モーツァルト暗殺のような謎に満ち満ちたミステリーめいた話ではない。
いかにも、ありそうな話ではあるのだが。
もっとも、考えてみれば、ヴィヴァルディの遺体はウィーンの「市民養老院墓地」
に埋葬されたのだが、具体的な場所は不明。

つまり、ヴィヴァルディとモーツァルトは、おそらく約1マイル
(約1,600m)しか離れていない場所に、埋葬されているのだ。

(つづく・・・タイトル変えるか)
 
 
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