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安全と安心を担保するもの

 投稿者:たけどん  投稿日:2008年 2月10日(日)23時47分4秒
返信・引用
  中国冷凍餃子が話題ですな。
中国当局はすでに、犯人と目される解雇された職員を確保
しているという情報もありますが、公式ルート(正規国交ルート)では、
明らかにされないかもしれないそうで。
なんでかっていうと、日本側(福田首相)のこの事件対する態度が
はっきりしないからなんだそうで。
つまり、苦情を伝え謝罪と原因追及を断固とした態度で求めるような
日本政府の動きが、ない。だから中国側も、「こいつが犯人。中国政府は悪くない。
日中友好に反対する一部の分子(こいつら)が悪いだけ」というふうに、
スケープゴートを処分して、この事件を落着させるきっかけがないのだそうな。

この4月の胡錦濤主席の訪日を前にして、ゴタゴタは中国としても
困るわけで、スッキリさせないのは山々なのだが、事なかれ主義の
(中国に強い態度に出て刺激したくないという)日本政府の態度が、
かえってこの事件の解決を遅らせているというのは、
なんとも皮肉っていうか、情けない限りですな。

日本国内の「賞味期限切れ」問題で、一人の被害者も出ていないのに、
騒ぎ立て、営業停止やら社長交代やらに追い込んだマスコミも、
かつてのアメリカ狂牛病とも違って、危険性が危惧されるどころか
れっきとした被害者まで出ているというのに、こと中国様相手のこの事件では、
輸入禁止を言挙げするどころか、
「日本人が食について手軽さだの、快適さばかり求めている(姿勢が悪い)」的な
解説をしているのは、何とも解せない話 ですなあ・・・。

そんなこったから、「南京大虐殺記念館」のリニューアルで、
正面プレートの犠牲者数が30万人から35万人にいつの間にか増えてても
な~んの文句も言わないんでしょうな。それを中国は世界遺産に登録するって
言ってんのに、今の日本政府は何のアクションも起こさないんでしょうな。
それが「日中友好」というわけですか。ほほぉ~。
よっぽど中国を相手に美味しい商売があるのか、鼻薬を効かされているのが、
ま、その両方なんでしょうが・・・。


犯人といえば先週、おいらに電話がありましたよ、警察から。
何かっていうと、なんと! あれですよあれ
2年前の8月2日、忘れもしねー市営陸上競技場でおいらの財布ごと
ウエストポーチを盗んだ犯人が捕まったんだと!
「へえー!」と思いましたが、やっぱりお金はもちろんブツは返って
こないらしい。犯人はお金だけ盗って、ほかは捨てちまったと。
おいらは、盗まれた時点であきらめてたし。
ま、カードやらを悪用されなかっただけ、ヨカッタけどね。

で、自供のなかで、おいらが提出した被害届に、ない、お金があったとかで
事情を聞きたい(追加の被害届の提出もお願いしたい)と。
ポシェットのファスナー付の外ポケットに、入れてたコインロッカー代
の100円硬貨(使用後に戻ってくるタイプあるでしょ)が1000円分くらい
あったのを思い出したわけだ。
で、現場で写真も撮りたいと・・・おいおい、写真は撮ったろうがよ~
というと、「こちらにはナイ」んだそうな。おまえらの物品管理能力はずさんだよな。
たまに聞くよね。警察が「証拠品を紛失しまして」的な言い訳すんの。
ヤレヤレだぜ・・・。

とりあえず現場(もーあれから二度とココでは走ってない)へ行って
盗られた品を置いておいた棚を指さして写真を撮られた。
担当者の車の後ろに乗って、追加の被害届作成に協力した。
出来た届けを一通り読んで、住所氏名を記入して押印する。

「お手数掛けて 申し訳ありませんでしたね。コイツはもう常習犯なんで、
 しっかり裁判にかけて簡単に出てこれないようにしないと・・・」
犯人は69歳の男で、窃盗の常習犯。今回も万引きで捕まったらしい。
捕まったときには、無一文だったのだと・・・。若い時には全国を股に掛けて
事務所荒しなど悪質だったが、年を取ってそれも困難になり、
置き引きなどを繰り返してるのだ、という。
彼(犯人)には実は家族もいるらしい。おそらく息子か娘だろう。
家族がいる場合にはある程度、損害賠償などが可能な場合もあるらしいのだが、
今回の場合、もう警察から連絡しても「関係ないから連絡してくれるな」の一点張りだという。
「ですから、今回は弁償させることもできないですね・・・」

思うに、家族(息子?)の方が「縁を切っている」とか言っても
それが法律的に通るのかどうかはワカラン。が、法的にというなら、
おいらの方が民事訴訟を起こす形になるのだろう。
でもまあ、2万円程度の弁償に裁判を起こすか?といえば
そのバカバカしさは明かだ。ま、相手の家族が「弁償します」とか
謝意を示している場合はこの限りではない、ということなのだろうが。

この競技場では、おいらの他にもう一人、被害者がいたという。
その人はマラソン大会に向けた練習でここに来ていたらしいのだが、
練習後のシャワー室で被害に遭ったおいらと違って、練習中だが
前だかに盗まれてしまったらしい。
こういう連中はどこが「仕事のし易い場所」かを、よーっく知っているのだろう。

「簡単に出てこられないように、しっかりと裁判にかけて・・・」
・・・・あ~~。
いやもー、最初に電話が来た時、おいら分かっちゃったんですけどね。
そんで、この担当官の人も、実はワカッテるんだよね。
東京も雪降りましたよね。こっちもしばらく降ってなかったんだけど、
ここんとこ、チラつてますよ。冬はまだまだ続きますよ。
でさ、この男、「ムショに入れば、アマツユしのげてタダめしが食える。
一発、やらかすか」とかなんとか・・・。
そんで皆さんの税金で、ただメシと寝床が与えられるわけ。

刑務所に入ることなんぞナントも思ってないわけだ。
かえってこの時節はアリガタイ、と。全然懲罰の意味なしてないじゃん?
もうまともに働く気などナイのだろうし、出てきたとしても又同じことの
繰り返し。それでこの男の人生は終わるのだ。どこかの街角か刑務所の中で。
この男の人生って、何? この人生に意味があるの?

刑務所内で、働いてなにがしかの賃金を得たとしても、それは
被害者の賠償には使われない。自由刑(刑事罰)と損害賠償(民事)は、マッタクの
別物であるからだ。刑訴法により立件された訴訟は、検察のものであり、
もはや被害者は当事者ですらない、関係のない案件になってしまうのだ。
(殺人事件などでも同じよ)
被害者が判決に不服だとしても、控訴を要求するする権利などはないのだ。
ここんとこ何とかしてくれないかねー?
間尺にあわんよ。

とまあ、現代において正義を担保するシステムというのは、
意外と一般人の心情とはかけ離れているものなのだ。
特にそれが昨今のように、外国絡み(特に中国韓国など)だと、
一層、現政権(てか政治家)の事情で、法律があっても機能しない、
あるいは法整備すら整っていない状態が、デフォ。
野放し、先送り、そのうち鎮火するのを待つ
状態だというわけですな。一般庶民の生活直撃もやむなし、というわけですわ。
かといって、じゃ、アタックの後のアフターケアが出来てるかというと、
それも出来てない。水際で食い止めることが出来ない以上、
事後のアクションで被害の広がりを食い止めるという体制作りが大事でしょ?

それすら国政、地方自治体の行政面での連携すらもアヤシイ。
「外国とはナカよく」で、万が一の体制作りをしないってのは
不作為の最たるものでしょうが・・・
「頭から相手をウタガウような行動はヨクナイ・・・」おめでてーな。
外交は性悪説でいかんと意味ナイってか役に立たない、かえって有害なの!
政治家にはそれよりも当面の大事が
多いってっことか?それとも先のもっと大事なナニかがあるから障害は
なるべく穏便に通り過ぎたいってっことなのか・・・ね?

長くなりましたね。でー、最後に。
もし100円ショップでストレス解消するとしても、「口に入れるもの」は
買わない方がいいですよ。特に「割り箸」。これ最悪!
もっともコンビニやスーパーのおまけの割り箸も怪しいモンだけど。
漂白剤まみれ、地べたに置いたまま梱包するとか不潔、薬剤の固まり、らしいです。
では、また~ (・д・)ノ
 
 

おいらと一万尺の麓

 投稿者:たけどん  投稿日:2008年 1月20日(日)19時56分2秒
返信・引用
  あっ!ビケ♪さん。
今年もよろしくお願い申し上げます。
遅くなりましたが、まずはご挨拶申し上げますです。

あれですな。最近のたけどんのカキコはレスしづらいですなー。
なんというか、話の焦点があっちゃこっちゃだし、めんどくさいってか
何とも、イカにもみたいな能書き、垂れてますからなー。うん。

メンドくさいついでに前回のおまけ(おかわり)ですよ。ええ。

「芸術を極めんとする者は『次元の違う存在になりたくて』努力を・・・」
ああ、そうなんでしょうね・・・そうか!

単純に言うと、スポーツとかの世界だと、オリンピック選手とか
世界記録保持者とかを頂点にした、陸上なら陸上、水泳なら水泳
の「ピラミッド」をイメージすることができますよね。
(100mとかマラソンとか、各種目別でも可だが)
世界最高レベルの選手がいて、その下に国際級(国代表クラス)の選手、
その下には・・・と言う風に。そして下に行くに従って、クラスに属する
選手の数は多くなる。
当然ですな。一流クラスになればなるほど数は少なくなるわけですからね。

しかもそのクラス分けは、「記録」とか「得点」とか
測定可能(一応客観性がある)な、実績によるものですからワカりやすい。
ま、おいらのよーな、年食ったシロートは「底辺も底辺」にいることが
実感しやすいし、疑いようがないからタマらない!
一応、頂上を遙かに見上げながら、「世界にゃあんな人もいるんだね~」
などと思いながらも、そんなんは別世界。
こちらとしては底辺ではあっても、少しでも上に行きたいねー、などと
日々思ってるワケですな。

学問の世界も「実績」ですからな。いくら記憶力がバツグンだとか
計算するのがめっさ早いとかいっても、それだけじゃ・・・。
ひるがえって「芸術の世界」はどうなんでしょうかね。
あれだ。「天才」という言葉の定義が曖昧、なんですよね。
一般的に音楽界の「天才」って、「若造」でしょ?
「○○国際音楽コンクールに優勝」して、メジャーなマネジメント会社
に目を付けられるような「只今、大売り出し中」の。
まだまだ「巨匠」と「マエストロ」には、ほど遠い「今が旬」の
商品にすぎん・・・と。

そうではなくて、芸術という世界での評価は、記録や、
テキスト(モデル)再現の忠実性、とかいいうような
「客観的評価基準がナイ」ということですよね。
「指の動きが速い」とか「楽譜に忠実」とかいうことが、即
高評価に繋がるわけではない。つまり~。
スポーツなどのよいうに、その世界(業界)を単純に階層(ヒエラルキー)
モデルとしてとらえることなど<できない>ということなのだ。

つまり、ピラミッドの一番上にレオンハルトがいて、その下に誰と誰、
そしてワタシはこの辺・・・というようなものとして捉えることは
できない。(でも、一般素人は考えがち~)
敢えて言うなら、たくさんの峰が屹立している「山脈」のようなもの
かもしれない。
それぞれの峰を比べれば、多少の高い低いもあるかもしれない。だが
それらは一つのヤマ(ピラミッド)の中の<何合目>という違いでもない。
裾野は同一のものかもしれないが、その頂上は全く別の頂点であり、また
そうなければ、ならない。

誰かを師と仰いだとしても、誰かの背中を追っているのだとしても、
芸術の世界で、一人立つというとは、いつか自分の道を発見し、
自分だけの峰を築き上げること なのだ。

「桜子・・・バランシェ公を目指していると二流に終わるぞ。自分だけを追え」
(おほほ、マンガのセリフよ~)

でも、一般の素人のってのはこうだ。
登山の世界では、ヒマラヤ山脈でも「チョモランマ(エベレスト)」だけが
注目されてて、他のヤマには誰も登ろうとしないんだってよ。
つまり、「最高(と評価されているもの)」だけ押さえておけば
ってか、それしか知らない注目しない。あるいは世間が注目、評価する
ものにしか関心がナイ!
ふっ・・・薄っぺらいというのは、こういう価値観のことを言うのだ!

「あ? フランス組曲? もう持ってるからいい」って?
はああ?
(クラシックで)その曲目は、もう誰々のCD持ってっから
他人の演奏聞く必要はナイ? 他のCD買っても意味ナイ???
そうなるよね。そんなつまらん話、もったいない話もナイよね~。

小林先生のお話、よく分かります。
毎日毎日同じことの繰り返しの日々の中で、ある日突然
「ジャンプ」する時が来るんですよね。そうそう。ま、おいら程度の
レベルではアレですが、こと、芸術となると話は複雑・・・?
というのは、その「飛躍」は、「孤独」とほぼ同義なんじゃないかな、とも
思うのですな。
道を進み、極めれば極めるほど、まわりの一般人はあなたの「苦しみ」を
理解することも、共感することもできない。時には誤解さえも与えかねない。
まるで、だだ一人、悟りを得てしまった宗教家が感じる世情との深い深い
断層。もうあちらから手を差し伸べることも、自分があちらに戻ることも
できないと知った時の孤独・・・そんなモンがついて回るのかも しれませんよ。
芸の道はキビシーですな(←知ったふうなコトを言うなーっ!)

あ~、またヘンなこと思いついちゃった。
その「天才」とかいうヤカラについてですよ。

けど、またこれをビケ♪さんたちに理解してもらえるように文章、
論理構成(というほどのもんではないが)考えないと、タダの
イカレやろーの、のうがき垂れになりますしね~。(今回もそうじゃん?)
ま、これくらいにしときますか。(でも書くかもー!)
もう何も考えない、スチャラカ文章も書きたいですけどね。 では、また~。
 
    (ビケ♪こと管理人) 芸術の世界を、山脈に例えられたのは、あ、そうかー、と
思いました。

「客観的な判断基準が欲しい。」
音楽が不特定多数の聴き手を相手にするようになり、
成功している人=経済的に潤っている人、
ということにするために、
または、自分の好きなことを
自分の力で求めていく気持ちが薄くなり、
ただ話題についていければいい人が増えた・・・
いえ、増えてはいないのかもしれないけれど、
相対的に聴き手の人数が増えれば
聴き手の質も様々になるということですね。

自分の目指すところを極めることは、
自分の分野に留まらず、生き方、価値観、全てに及んできます。
演奏家は職人かもしれませんが、私はそれ以前に、
音楽家に生まれ付いてしまったのだと思っています。
それなら、もっと才能に恵まれたかったけれど、
足りないところは、人生を懸けるしかないですね。
 

おいらと一流とマニア2

 投稿者:たけどん  投稿日:2007年12月28日(金)22時41分43秒
返信・引用
  もう大丈夫だ。何がって?
今年はクリスマス前に、年賀状を書き終えて出したからだ。
いっとくが、おいらの年賀状は両面、手書き(毛筆)だ。しかも
裏の文面は、まいっとし「同じ」だ。どうだっ!
そして、今は大掃除に備えていらない本を整理して、縛った。
これが何とも難しい。
なぜなら、「あ~この記事いつかまた見るかなー役立つかな~」だからだ。
しかも困ったことに、どの本もそれくさい!
だが、おいらは気が付いた。

その「いつか」とは、とどのつまり「毎年の年末大掃除」なわけだ。

さて、何の話だっけ?
ああ、世の一流どころとか、マニアとかに、あまり一般人は
近寄らない方がいいな。やつらは、常人じゃねー!
って、話だったか。
だいたい「○ちゃん」だのの、どこの馬の骨が書いたか
ホントか嘘かもわかんねー文章に、おいら、心乱されたりはしねー。
(ずいぶんと力、入ってんな)

マニアだとか一流とかってのは、まあまだ普通の人間の感性ってか
常識とかは持っている(らしい)んだか、一般人とは話しできずらいっぽい
感じがしなくもない、気がしないかい?
感性的に優れている人間とかってのは、数としては結構いるんだろうし
それとほぼ重なる感じで、「ちょっとおかしいの」もいるような気がする。
普通の人間は考えつかないような独自の発想とか、感じ方ってのをする
人、考え方が極めて独創的な人も、まあいるんだろうけど、
その自分の感じ方や発想を、<一般の人々にも理解できるように>
表現できる人間ってなると、おかしな感性の人間の数より
さらに少ないに違いない・・・あれ?

それが「超一流(プリマグラッセ)」というもの・・・いや。
それくらいになると、一般人にはやっぱ、理解できないっぽい気がする。
天才と山は離れて見るに限るよね。
ま、一般人はそういう人里離れた超人と自分を比べて、ジタバタしない
方がいいような気がした。時間の無駄だし。
そこまでいかなくても、プロとか、現役アスリートはやっぱ
すごいのは確かだよね。趣味とか健康のためおやじとはダンチ、
なんですよ。やっぱ。はぁ~~~。

でもさ、考えてみるにアレだ。
「超一流」とか「天才」は 、プロ、職人レベルの延長線上に
いるようで、でもいないよね。
ありゃまったくの別モンかも、だよね。
たとえば、あの「ミシュラン」とかいうタイヤ会社の、金持ち用
「旅行先のお食事どころ紹介本」に出ているような 一人5万も
10万もとるような寿司屋ってのは、そこらへんの寿司屋の先、ってか
延長線上にはあるもんではナイ、ってことですよ。
存在そのものの意味、次元が、違うのだ。

普通の店で5000円かかるのが、5万円って店があったとして、
「じゃ、その店は10倍うまいのか?」っていったら、そんなことはないでしょ?
たしかに味も素晴らしいんだろうけど、10倍も開きはない。
その分、サービスが素晴らしいのかっていうと、そうでもなくて
かえって、「愛想が悪い」だの「店が狭い」だのなんだの・・・。
結局「どこが10倍の値段とる価値あんたよ~~!」て、腹立てたりみたいな。
全部がそうじゃないだろうし、ま、フレンチとかは知らんけど、さ。

つまり、ああいうのは「寿司を食べに行くところ」じゃないって
ことっすよ、一般人の感覚で。
もっと砕いて言うと、普段ランチとかにン万円かけて平気なような
方々が、「あの店 面白いぜ」って、遊びに行くとこってことなんですよ。
それを理解しないで、「あれだけ金取ってコレかよ~」ってのは
金持ちの遊びを知らない「ヤボ天」、「粋じゃないねぇ」ってことに
なるんでしょうな。(ふざけんな! ですな)

過去も現在も、天才とか凡人とは一線を画した既存の概念を
破壊し、常識を揺るがすような芸術家とかは、それを理解し
庇護してくれる存在が必要なんでしょうな。
ま、それくらいの人材は、めぇったには、いないモンなんでしょうが。
時を得ない天才ほど、悲劇的なものはナイかも、しれませんな。
でも、凡人は、いや凡人だからこそなのでしょうが、
人は天才にあこがれて止まないモンなのですなぁ~。

で~凡人で、しかもアスリートでもないおいらは、
来年の目標を「バタフライ1000m」に決めましたとさ。(やっぱムリっぽい)
この間、400mイケた。少し余裕を残した。ムリすれば
500mイケるという感触を残してやめられた。
いっぱいいっぱいではダメ、なのだ。確かに500mと1000mとでは
大きな開きがあることは知っている。400m泳げたくらいでははなおさらだ
だが、振り返れば、
ガッコ出てから10年以上走らなかったおいらは、走り始めた時、
400mトラック一周してアシがパンパンになって、泣きそうになった。
泣きそうになったのは、かつてあれだけ走れた自分が
「こんな・・・たったこれだけで足が・・・」という情けなさから、だ。

その後、10分間走り続けても平気になった時、思った。
「20分はイケる」。そして30分走れるようになったとき思った。
「1時間イケる!今の倍でしかない」。事実はどうより、そう
自分が思えることが重要なのだ。
実は、おいらは30を過ぎるまでバタフライなど、ロクに泳げなかったのだ。
50mでゼイゼイ、精一杯。その時立ててた目標「200m」などは、
夢のまた夢に思えたものだった・・・。本当にそうだった。

おいらは天才ではない、今はアスリートでも、ない。
だが人間、がんばれば「大抵のこと」はできるとも思っている。
そして、それがある種「傲慢」であることもウスウス知っている。
「だもれがオマエのように泳げたり走れたりするわけではないのだぞ・・・」
直接だれかにこう言われたワケではないが
このことは、運動好き素人として、
他人と接するときには忘れないようにしよう、とは常に思っている。
だからおいらは天才になれな・・・いやこれが天才ではない証拠
なのかもしれないが。(´ω`)トホ~

あーまたまた、まとまりのナイ文章になりましたな。
もうすこし、年末に余裕があったら「クリスマスとバッハ」とか
「冬だから大バッハ」とか、また短編スチャラカ小説でもかこーか
と思ってましたが、来年ですな。また「春だからバッハ2」ですかな・・・


では、とりあえず、ビケ♪さん、みなみなさま良いお年を~ (≧▽≦) だ!
 
    (ビケ♪こと管理人) たけどんさん、あけましておめでとうございます。
今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。m(__)m

うーん、ちょっと心が痛かったかなぁ。
芸術を極めようとする者は、
きっと、「次元が違う存在」になりたくて、
日々の努力をしているのだけれど、
結局のところ、それは努力の延長上には、ない・・・
と言うことも分かっていて。

ただ、私がいつも、心に留めている言葉があります。
伴奏法の大家でチェンバリストの小林道夫先生が、
大学の集中講義の時におっしゃっていた言葉です。
「毎日淡々と努力を重ねている人は、
ある日突然、他の人より数段上に居ることに気が付く」
昨日に比べてどの位伸びたかは、知覚不可能なのに、
その、ある日突然、というのは、本当に「突然」来るのだそうです。

スポーツの場合、朝起きたらいきなり1000m泳げるようになっていた、
ということは考えにくいけれど、
距離を伸ばせる身体の運用法が、ある日突然出来てしまった、ということは
ありそうな気がします。

さて、「バタフライで1000mいけたぁぁ~~!!!」
っていうご報告、待っていますね!意外と明日あたりかも。
 

素敵なサイトですね

 投稿者:nyanco  投稿日:2007年12月24日(月)22時07分14秒
返信・引用
  はじめまして、nyancoと申します。
アマチュアでオーボエとフルートを吹いております。

実は、掲示板に書き込む前にも、何度か訪問させて頂いたのですが。
チェンバロは、私が高校時代から魅了された楽器の内の一つであります。
こんなに素敵なサイトを見つけた時は、とても嬉しいかったです。
また、お邪魔させて頂きます。
 
    (ビケ♪こと管理人) nyancoさま、いらっしゃいませ!
お返事が遅くなり、申し訳ありませんでした。
サイトをご覧頂き、ありがとうございます!
フルートとオーボエなら、バロック音楽のなかに美しい旋律が
たくさんありますね~。
いつか、チェンバロの伴奏で演奏される機会があればいいですね。
こんなサイトでよろしければ、またぜひお立ち寄り下さいませ。m(__)m
 

おいらと一流とマニア1

 投稿者:たけどん  投稿日:2007年12月23日(日)00時05分57秒
返信・引用
  「やべやべやべやべやばやばやばばば・・・」
と、これくらいの焦燥感は、みなさんにもご理解いただけるはズ。
なんたって師走、なのだからねい。
だが、年が明けてみれば、「べ~つに年越したってよかったんじゃん?」
みたいな気になるから、毎年、不思議だ。

そんな12月のある日、「○ちゃんねる」の水泳板をのぞいてみたら
「バタフライで1000m泳げたらカッコ良くね?」とかいうスレッドが
あったので見てみたら驚いた・・・。
「水泳やってた人間なら、1000mくらい当然だろ!」とか
「学生時代の夏休みに500mバタ10本やって氏んだ」だの
「近くのジムのプールでずーっと、バタ泳いでる中年がいる」だの
ええええ~~~っ! そうなん?

毎回、200m泳いで「おれってスゲー」的思考に浸ってたおいらって、何?
これまで最高で連続300m、過去に2回しか泳いだことないおいらって、何?
おいらはモニターから目を離すと、座布団の上に横になって膝を抱えて丸くなった。
「もー、だめだぁあああ!おいらなんて マッタク大したことねえ。
 へぼだ、だめだダメダメ男だ。だれもおいらに触れるな、話かけんな!」

ここでやめときゃ、ヨカった。
おいらはさらに、「自由形」のスレも覗いてみたから驚きだ。
「1000m、20分もかかるようなヤツがいるとジャマなんだよね~」
「2軸式なんて、ダメだろ!」・・・・。
え~~~。おいら1000m、2本やるけど、1本20分くらいじゃんダメじゃん。
「2軸式」・・この夏、苦労して何とかモノになりそうになった新泳法じゃん。
あああ・・・。おいらはまた座布団の上で「まるむし」になった。
ぼけ~~! ヽ(`Д´)ノ


久しぶりに、行きつけのCDショップを覗いてみた。
めずらしく客が多かったのだが、おいらは特に気を引かれたディスク
もなかったので、カタログなんぞを貰って、帰ろうかと思ったすると、
「こんなのが入ってますよ」とフルトベングラーの第9のディスクを
見せられた。
「ほう(でもレコード持ってるし~)」。例のバイロイトのライブ板なのだが・・・
「これ、アレなんですよ。これまでフルトベングラー協会に入らないと入手
 できなかった。テープからのヤツなんですよ。それを今回、
 正規のメーカーが発売したんですよね」

だいたい、おいらはベートーヴェンなんぞ、それも「第9交響曲」を
年末に、生で、聴きに行くような、クラシック好きでも、マニアでもねー!
交響曲を、クラシックの「王道」だなどと、これっぽっちも思ってねー。
ベートーヴェンは、作曲うまいねーとは思うが、特に好きってワケでもねー。
それより、BCJの「ロ短調ミサ曲」とか、アンタイの「クープラン小曲集」
のほうが興味ある。
もう一人の店の人なら、おいらの嗜好を良く知っておるのじゃが。
「1980円」・・・ちらっと、「買おっかな~」と思ったのは確かだが。

「で、ですね~」お、まだ続くぜ。
「演奏前のフルベンのの足音が・・」入っているのは日本版だけの
サービスらしいよ。で、協会から出ている盤(入手には入会金その他で
7000円以上かかったらしいよ)とは、やはり足音が違うのだそうだ。
同じマスターテープからでも、協会盤はいろいろ音をいじっているので
正規メーカー盤とは違うのだと! で、それを比べた非売品のCDも
見せて貰ったよ。ほんとに「演奏前の足音」とか、演奏自体の違いみたいな
比較音源が入っているCDがあんのね。「ほぉおお」
「でもなー、おいらレコード持ってるしー」と漏らすと、
「ああ、それは皆さん、持ってらっしゃいますよね」・・・はあ

ま、マニアって、すごいのな。アナログLPで持ってるけど、
CDでもってなら、分かるけど、それ以上だ。
「あのディスクは音源が同じだけどマスタリングが違うから、音が違う」は、
まだしも、「足音の長さが違う」、「終わった後の拍手の長さが違う」
には、驚きアキレた。そんなに「バイロイトのフルベン第9」にこだわるのかね
君たち。そんで聞いた。「この季節って、やっぱ第9出ます?」
「ええ。毎年1枚、新しい盤を買う方もいますよ。それでも
 せいぜい一生で50枚くらいでしょう。第9は100タイトルくらいは出てますから」
ふーん。第9にそれほど魅せられた人もいるんじゃねー。

おいらも「フーガの技法」はLP、CD併せて60タイトル以上は
持っとるから、他人のことは言えん。
で、おいらは何も買わずに店を出たワケだが、話のオチを考えていないし、
けっこう長くなったしで、不本意ながら、・・・

「たけどんは自分でブログでもやりゃいいじゃん」の
非難囂々の罵声を浴びながらも・・・ここに、つづく。
 
    (ビケ♪こと管理人) うわ~!フーガの技法を60タイトルぅ!!??
私、その、足音とかうなり声とか、そういうマニアの世界は
全く分かりませーん!
自分の分野だって、全ての録音を聴くわけではないし、
ただ、皆様と知識なり演奏なりを共有する場に、
そういう方もいらっしゃる可能性があるということは、
常々意識していることではありますが。

○ちゃんねるに書いてあることを、
鵜呑みにしない方がいいかもですね~。
どうせ、匿名で書いている人たちのことですから。
 

リズムと変容

 投稿者:たけどん  投稿日:2007年11月28日(水)23時08分32秒
返信・引用
  だ・か・らー。
ぼーっとしてっと12月になるってっ!
そんなわけで11月って可哀相。

そんなわけで、この間、とある検査のために行きつけの
内科医へ行ったときのこと。(エイズ検査じゃないよ)
おいらが待合室で待ってると、さる熟年の紳士(がっこの先生?)が
市立病院でのCTスキャンの検査をこの医院から予約してもらっていたらしい。

「午後2時からになるそうですが・・・」
「いやぁ、金曜日は午後から学校へ出ないと」
とかなんとか話してる。そこで予定を確認するために
どっかに電話をかけてる。「うんんっ??」←おいら

「ハァイ、ジュリィー(だったかジェニーだったか)?」(ほぇえ?)←おいら
英語で話してはる・・・すげぇ。
話の内容は、ま、こんな風だ。
「○○先生言った。 27日、午後から。CTスキャン検査。
 違うちがう。午後。だめ? ああそう。そう」(ま、こんなん)

いまだにおいらにも、英語コンプレックスがあるなっ
ま、さしずめおいらなら「いまは、7時半」 とか、
「わたしの名前がたけどんです」とかなら話せるな。 (`・ω・´)ぺらぺ~ら
ま、隠すわけじゃないが、
外人(アメリカ人?)の<どぎも>を抜くために、
「あれは いぬですかぁい?」とかも、用意してるがね。

 Oo。( ̄。 ̄ )y- ~ Does it grab you!(とくいっ)


大して難しい単語があったわけでもないが、堂々と話す態度が
「ほぉ」と思わせたのかね。ま、先生なんだろうけどさ。
それよりも気になったのは、発音、ってか、発音も問題なんだけどさ。
なんていうか、単語がワカリやすいんだわ。聞いてて。
いや、あくまでも日本人のおいらが、よ。そうね、東南アジアの人が
しゃべる英語みたいに、単語が聞き取りやすいのさ。
これって・・・問題じゃね、って?

どういうことかってと、喋る英単語が「カタカナ」に置き換えられてるって
ことなんじゃないかな、とおいらは思ったわけだ。
英語を勉強しているビケ♪さんを前に恥かきなんだろうけど、あくまで
仮説(おいらの~)として聞いとくれ、なの。

昨今、メディアとかにおいて、知識人だの大学教授だのが
露出して、自分の専門以外の事件事象についてまで
愚にもつかねえ暴論や能書きを、タレ流しているせいなのか、
小難しい英単語だの、専門用語(ターム)を耳にすることが多くなった。
「コンプライアンス」(バネの話か?)だの
「コミット」だの「リテラシー」だの・・・。
こういうのって、頭良さそーに聞こえるけど、実はこれ。知識人たちの
知的怠惰の現れでしかないのだ。が、その論評はここでは控える。
(日本語で言え!対応語なけりゃ自分で造語、作れってことなの)

英語を覚える時に、英単語の発音をカタカナに置き換るってのは、
おいらもやった。社会的にも同じようにすでに日本語に組み込まれて
しまっている外来語(主として英語)も多い。
けど、英語とか外国語を学ぶ時に、頭の中で単語をカタカナ変換して
しまうのは、マズいんじゃね? と思うわけだす。

たとえば、「banana」という単語は、日本語では「バナナ」と
という言葉があるために、発音練習でネイティブの発音を
いくら聞いても、カタカナの発音に引っ張られてうまくいかない。
おいら的には「ばぁ・にゃぁ・なぁ」に聞こえるのだが。つまり
「ba」の次の「na」と、最後の「na」は音が違っているのだ。
しかし、一般的には 日本語の発音、「ば・な・な」に引っ張られてしまう。
とか、
「Macdonald」が日本語では「マクドナルド」。
「ma・ku・do・na・ru・do」、日本語の特性として
「子音+母音」で一音のために、リズムが単調になってしまうのだ。
つまり、大方の単語が「タン・タン・タン・タン」という単調な
一定のリズムで発音されてしまう。
「Mac」は「son of」の意味で、アイルランドとか
スコットランド系の名字に多いらしいのだが、(余計っ)
おいらには「まっ・だぉうなぅど」と聞こえる。
リズムも一定では、ナイ。

これは、単語だけの問題ではない。ネイティブの話し方を
聞いていると、さまざまなリズムで話しているのが分かる。
付点リズムあり、小さな休符あり、で「タン・ターンタ・タタ・ン・タタタン」
みたいな。
日本語のように、「タン・タン・タン・タン」という
あまり抑揚のない、一定のリズム、抑揚も定型という言語のリズムで
カタカナ発音で英語を話されたとすると、ネイティブからみて
これは、「かなり異様な英語」に、聞こえるのではないだろうか?
(どうだか)

日常生活に大量の外来語に触れることが多くなり、「~イズム(ズム)」
「~シィ」のような単語を日本語として発音しているせいか、
無意識のうちに、英語もカタカナ(日本語)に置き換えてしまうクセが
ついているのではないだろうか?
英語を学ぶ初期においては発音をカタカナに置き換えることも有用であるし
避けられないことではあると思う。しかし上達するにつれて
英語という言語が持つ、独特のリズム、法則を自分のものとしなければ、
つまり、カタカナ英語(ぶっちゃけ日本語)から、脱皮することが必要なのではないか・・・。

この英語習得における「カタカナ訳」の役割は、音楽に置ける「楽譜」、
建築に置ける「足場」のようなものなのかもしれない。
「楽譜」なしには音楽には至れない。だが、「楽譜」は音楽では、ない。
また、楽譜に忠実であることが重要なのでもない。音楽に至ってしまえば
「足場(楽譜)」はもう必要ない。「楽譜」にしたがうことすらも、重要ではない。
いや、「楽譜」に忠実に従うことが音楽に至ること、ですらジツはない。
(ここは、誤解を招きやすい表現とは思うが、あえて)
バロック期の音楽で、楽譜に忠実な演奏って、現在、意味あるかい?
当時の演奏習慣、記譜法則を知らずして、忠実さになど何の意味があろうか。

自由に、自転車に乗れるようになった人に補助輪は、必要ないどころか
邪魔、なのだ。

・・・・と、ここまで書いて、ふと思った。
まず、「だからこそ、小学生の頭の柔らかいウチに英語を・・・」の意見。
おいらは反対。そんなん、英語嫌いの生徒の年齢を下げ、人数を増やすだけだ。
それと、これまでおいらが書いてきた。日本語の特性と英語の特性の
違いに気づけ的なゴタクも、・・・「どーでもいいのかも?」と。
(・・・オイオイ)

現代の世界において英語は、事実上の「世界語」として扱われているのは
事実なのだろう。と、いうことは、実はそれだけ英語という言語が
さまざまな地域民族の、文化、言語にさらされるということだ。
つまりは、「様々な発音、表現の英語」が生まれてきて、
アメリカ人(欧米人)のネイティブが話す英語だけ、が「正しい英語」とは
言えなくなる日が来るのだ、ということ。
「世界標準となる」ということは、つまり、そういうことだ・・・・。

ま、おいらは英語なんぞ話せないし、学ぶ余裕も必要もないので
この辺で考えるのをやめるし。それでも
「ガイジンと英語で話せるって、カァッコイーよなぁ」(本気なのかウソなのか)

シロートの戯言なので、ナマあたたかい目で見てね +.(人´Д`*).+゚.
 
    (ビケ♪こと管理人) アメリカ人は、発音と言う点に関しては、実はかなり寛容みたいです。
もともと、移民の国ですからね。
外交官クラスの方でも、日本語なまりで話される方はいらっしゃるし、
要は、伝わるかどうかと、話されている内容、
さらに、相手に対する感情ではないでしょうか。

私が故郷の姉妹都市で、初めて現地でドイツ語を勉強していた時に
感じたのは、まず、「タカラジェンヌ」になりきる、って言うことでした。
日本人の苦手とする「抑揚」「リズム感」を身につけるには、
とにかく、意識して、はっきりアクセントをつける。
=オーバーでわざとらしく、位で、ちょうど良いのです。

発音が良いと、傍から見るとかっこいいですが、
ネイティヴがひと目置くのは、発音の良さではないです。
やはり、その人自身の教養とか、背景にあるものが見られますね。
なので、たけどんさんがおっしゃるように
>つまりは、「様々な発音、表現の英語」が生まれてきて、
>アメリカ人(欧米人)のネイティブが話す英語だけ、が「正しい英語」とは
>言えなくなる日が来るのだ、ということ。
こういう日は、本当に来るとおもいます。もう来てるのかも。
 

お久しぶりです~

 投稿者:まき  投稿日:2007年11月26日(月)23時34分35秒
返信・引用
  ビケさん、こんばんは~。お久しぶりです。
ブログ拝見しましたが、駅のホームで大変でしたね。
でもご無事で何よりでした。

ところで、来月、ドイツに遊びに行くことになりました。
憧れのクリスマスマーケット巡り。
ドレスデンから南下して、フュッセンの白鳥城
(←カタカナ(ドイツ語)の名前がいつまでたっても覚えられません(笑))
へ行って、フランクフルトに戻る8日間です。
ドイツといえば、ビケさん♪
オススメとかあったら教えてください。

http://www.h2.dion.ne.jp/~maki_u/

 
    (ビケ♪こと管理人) お久しぶりです~!お返事遅れてごめんなさい!
いいなぁ、クリスマスマーケット巡り。オススメは、
いろいろありますけど、ヴュルツブルグに寄るのでしたら、
レジデンツ宮殿ははずせないでしょうし、
そこのクリスマスマーケットも、小さいけれど、面白いですよ!
家庭用品とかが多くて。いかにも、古いドイツの家庭にありそうな
掘り出し物がいっぱいありましたよ!
ニュルンベルクは、コースに入っていますよね、多分。有名だしね。
本当はね、ヴュルツブルグから、ローカルバスに乗って、
フランケンワイン・ストリート(みたいな名前があったかな?)を
めぐり、シュバインフルトや、ゾンマーハウゼンとか、
市壁に囲まれた、市の門を入ったら3分くらいで通過しちゃうような
ちっちゃな町巡りも楽しいんですよ。

余談ですが、「白鳥城」は、「ノイ・シュヴァンシュタイン」。
ノイは「新しい」シュヴァンは「白鳥(スワン)」
シュタインは「石」っていう意味ですね。
ちなみに、「ノイ・シュヴァインシュタイン」と間違えると、
「新豚城」になってしまうのでご注意を!
 

200年を60分で 4

 投稿者:たけどん  投稿日:2007年10月30日(火)22時11分0秒
返信・引用
  もーね。「何書いてんですかあんたはー」ですよ。
前回の読み直してみると、言葉は足りないわ、ワケの分からんコトを
勢いで書いてるわ(ほとんど毎回ですな)、ビケ♪さん、よく読みとれましたね~。
さすが古楽の他に古武術をたしなむだけあるなー。
(そんなおいらを古武術で投げてくれー!)

古の(また今回も勢いか?)古き良き過去を呼び戻すための舞台に
集いし百人(ほど)が、古の楽器の紡ぎ出す学の音に
過ぎ去りし昔の幻影の香り、愛おし人間の影、
いまこの現世(うつよ)に、かいま見んとす・・・。

停まりしままの壁の大時計の針、動かぬ振り子
われらの背負いし日々の業をしばしとどめる。
「今一度、願わくは今一度、時が遡らんことを・・・」
時を眺め続けし大時計、今は未来を刻むこと能(あたわ)ず
まして我らの願い、知らぬ顔で、ただ沈黙するばかり。

え~、やっぱ、ただのノスタルジーなんじゃん?
そうかも、でもいいじゃんか。

それでは、残りの写真を、アップローダーをお借りして公開しましょ。
写メでの撮影の上、室内が暗かったため、
写真が粗いことをご容赦ください。

「おいらの席から見た、チェンバロを『ちょうどよい温度』にする奏者」
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org0274.jpg

「あのう、お写真よろし?」
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org0277.jpg

「こ、ここが議場の一番隅っこだよ~」
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org0278.jpg

「開演10分前、隙だらけの背後から肉薄!」
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org0287.jpg

「音楽は、喜びの友 悲しみの薬」
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org0290.jpg

最後の写真は、ビケ♪さんへのプレゼント。
別の機会に撮影した今回の演奏会の主役です。タイトルは
フタにかかれていたラテン語の警句ですな。(たしかコレでいいはず)
さて、あっという間の一時間、来月(十月、今年最後)の
演奏会にもまた来てね的なアナウンスとともに、
夢のひとときが終わりを告げ・・・たら玄関にダ~ッシュ!
ぱたぱたぱたたた。すりっぱ鳴らして、靴はいて。

こんな狭い駐車場、うかうかしてたら混雑は必定!
車のところに、駆け寄ったらおどろいた。(ああ、ビッックリさ)
おいらは早めに来てたので、隅っこに停めてたんだが、
おいらの車の前に、どっかの道理知らずが、自分だけの都合を優先なさったのか、
おいらの車の1mちょいくらい前に、横向きにクルマ、停めてやがる。
「だれだあ~~~~っ!」
おいらのクルマは隅っこで、左隣にも車が停められていて、右隣は柵。
将棋でいえば、「詰み」の状態。
これでは、切り返しで出るわけにもイカン。
早目に玄関を飛び出た意味が、マッタク無い。
軽自動車だから、どっかの自分の都合しか考えていない
普段は人のいいおばさまだろう。
それとも1mも開けてれば出られるだろとでも、思ったのかっ!
おまえらはバスで来いぃ~~~っ!
おいら? おいらはいいのだ。なにせ男爵なのだからねい!

さっきまでのほわんとした、穏やかな気分をぶち壊されて、
イライラ、し、かけていると。おいらの隣に停めていた人が
さっとクルマを出してくれたよ。「おおっ! これで出られる」
一回切り返しをすると、「するり」と出られた。よかたよかた。
「こ、今度は早く来ても、一番奥には停めてはならんなっ」
おいらは心に誓ったね・・・(嗚呼)。


さて、写真はこの記念館の歴史を眺め続けてきた、大きなノッポさん
なのだが、この演奏会中だけは、止められていた。
演奏中に、時刻を知らせるカネが鳴り響くのはちょっと、ね。

あと、今回アップした写真と数枚をzipで固めてアップしました。
パスワードは「takedon」でダウンロードできます。
「Lhaplus」(フリーソフト)等で、解凍してください。
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org0322.zip.html
 
    (ビケ♪こと管理人) わーい!プレゼントありがとうございました!
「音楽は、喜びの友 悲しみの薬」・・・すてき♪
今度サインする時に書いちゃおうかな。

そうそう、最後にコンサートのいい気分をぶち壊されるのは、
いやですよね~。マナーは守りましょう。
ドイツにいた頃、映画を見た後、ものすごく悲しい映画で、
悲しみに浸って、テロップが流れるエンディングテーマを
聴いていたら、途中で「ブチッ!」と、映像も音楽も切られた!
これには私もキレて、もうどうしてそんな勢い良くドイツ語
しゃべれたかは忘れましたが、猛烈に抗議。で、最後まで
流してもらったことがあります。関係なかったですね・・・^^;

写真、解かして見ました!保存しました(冷凍庫)。ありがとうございました~!
 

200年を60分で 3

 投稿者:たけどん  投稿日:2007年10月23日(火)00時33分33秒
返信・引用
  バッハの「平均律第一巻、第1番のプレリュート」を皮切りに
次いで、ヘンデルの「調子の良い鍛冶屋」と、チェンバロ音楽の最後の頂点をなす
バロック期のお二方で始まるプログラム、「チェンバロ200年旅」。

次の一群は、16世紀のバード、フレスコバルディ、カベソンときた。
わずか1時間ほどのコンサート。この記念館の雰囲気と相まって
古(いにしえ)の音楽にさらに、優雅が香りが加わり・・・

などと書きたいのは、やまやまだが前回、
「楽器と建物の時代があってねー。ミスマーッチ!」だの
「チェンバロ演奏にふさわしい雰囲気だのは、素人の錯覚」的な内容
を書いてしまったので、そう書くワケにも行かんのだ・・?

・・・いいや、行くね!
やっぱり、フツーのコンサートホールで聴くより何か「フンイキ」あるよ!
あるね~。違うんだよ。考えてみりゃ確かに建物と楽器は時代、ズレてますよ。
これ、一体なんなんだろうね?  (゚д゚)・・・??


おいら個人的には、バード(ファンタジアはまだしも、
フレスコバルディ(トッカータ第1番)は、ちょっと。
苦手とか嫌いではないのだが寝る。長いと寝る。
つかみどころが分からないっていう感じなんだな。カベソン(第4旋法のティエント)
の方がまだしもだな。でもこの辺はやっぱり通(つう)好みだよね。
ひょっとしたら、チェンバロ奏者としては、この時期の音楽をこそ
もっと知ってもらいたい。願わくは興味を持ってもらいたい
好きになってもらいたい、と思っているのかもしれない、とおいらは思った。
(ひょっとしたらチェンバロ奏者一般がそうかも?)

でも、バロック期のチェンバロ曲に比べると、なんとも変化に乏しいってか
劇的効果が少ないため(偏見か?)に、素人には、飛びつきにくいってか
魅力を感じにくいでしょ? なんつっても。
この辺りのチェンバロ音楽のCDで、印象に残っているのは、
グレン・ウィルソン(ビケ♪おっしょさん)のファーナビー
の「ファンタジー集」だな。
第1曲目の冒頭を聴いただけで、そのテンポ設定、アーティキュ
レーション(とかなんかそういうの)とか、なんていうか
「品の良さ、格調の高さ」が一発で分かるんだわ。(思いこみか)
なんて言うか、これって、「この曲にはこのテンポが当たり前」
てか「これしか無いでしょ当然」みたいな自信?すげー説得力を感じるんすよね。

これは訓練、修練によって身に付くものなのかそれとも、生まれながらの
「センス」によるものなのか。いや、民族の血、DNAからの声なのか・・・?
タンゴだったっけ。4拍目の静止が、日本人にはどーしても
生理的に体に合わないのでうまく踊れないカッコ悪い、みたいな。う~ん・・・?
素人も大好きバロック音楽でさえ、バッハの平均律第一巻、第1番の
プレリュード、無伴奏チェロ第1番、第4番のプレリュードのように
同じ音型が繰り返すような曲だと、へたすると「たい、くつぅ~~」だし。
(平均律第一巻ハ長調プレリュードでおいらが、「ハッ」として
 「ほぉおおお~」と思ったのは故・鍋島元子さんの演奏が初めてでしたな)

それに楽器の選定も、非常に大事(でしょ)。
シュタイアーのイタリアン・チェンバロによるバードのCDを
聴いたんだけど、演奏より何より、楽器の音がおいらは
「合わねー」ように感じたんだよ素人だけど。プロに対して偉そうにだけど。

16世紀の一群が終わると、最後はまたまたバロックに戻って
クープランの第18オルドル(組曲)全曲で締め。
「修道女モニク」、「ティク・トク・ショク」とかが含まれている組曲ですよね。
(中古レコード展で古いLP見てた時、「修道女モニク」が「モニク屋」って
 表記されてるレコードがあった。何売ってる店だ?)
Yさんも言われていたが、クープランの曲は
「チェンバロを素晴らしく聴かせるための曲」であるらしい。
クープランをピアノで弾くと意外とつまらない音になってしまう、と。

チェンバロの音響効果があってこそ、チェンバロという楽器を
素晴らしく鳴らす曲なのだそうだ。ほお~。
たしかに、素晴らしい曲・・・チェンバロの響き、だ。
だが、おいらは気がついた。よくは説明できないのだが
なんというか、そのクープランの曲が素晴らしく演奏されているというか、
クープランの曲によって、チェンバロが素晴らしい音で「鳴っている」と
感じてしまったのだ。Yさんの説明による先入観がそう感じさせたのか?
曲に集中しようとすればするほど、チェンバロ自体に集中してしまうのだ。

こんなことはバッハでは感じなかった。(ヘンデルは覚えていない)
バッハは楽器から音楽がこの空間に放たれて広がるように感じた
(気がした)。だがクープランでは楽器そのもの自体、
楽器に意識が集中してしまっている。(気がする)・・・先入観か?
同じバロックのチェンバロ曲なのに、この差は一体何なのか。
わからん。おいらには、分かるはずもない。

だが、ひとつだけ分かったことがある。
それは、「コンサート・ホールとこの議場の違い」について、だ。
ホールでは、舞台と観客席が「演者と聴衆」の間には、断絶がある。
演じる者と、それを鑑賞する者という相対する関係性においての、
あるいはそれによる「意識」の違いによるものだ。
ステージと観客席という物理的な距離、と重なるように、
意識においても違いがあるのだ。
ところが、この記念館の議場という場では違っているのだ(きっと)。
演奏者の意識がどうであるかは別にして、観客の方はきっとこうだ。

「今、われわれはこの議場という空間を、ひとつの舞台として、
 演奏者とともに、この演奏会を成立させる時間を共有している演者なのである。
 ここに在る全員が・・・」

そこには、楽器と建物の時代のギャップなどは、もはや関係がない。
全員、意識はしていなくても、ホールでのコンサートとは違う「何か」を
この会場では、感じていたはず、なのだ。
それはあながち、浅薄で甘ったるい「ノスタルジー」によるもの、だけ
ではなかったのだ。

(ええ~、素人のタワゴトですので、なま温かい目でごらんくださいませ)
結構、ゴタゴタしたので次回エピローグってか
残った写真を公開するかな~?

写真は、演奏会開始前の大事な調律を中断されるY氏、ですかな。
 
    (ビケ♪こと管理人) とっても興味深い感想でした!
そうそう、師匠からは、その作品にふさわしいテンポ感を見つけ出すことが
どんなに大事かを、とくと説かれたことを思い出しました。
師匠の演奏を聴くと、自分はまだまだ中途半端な気がしてきます・・・
それから、写真を見る限りだと、楽器はフレミッシュですね?
私も、クープランの作品は、チェンバロという楽器があっての作品だと思います。
それも、フランスの、独特の「香り」「気品」を持つ楽器でないと。
 

200年を60分で 2

 投稿者:たけどん  投稿日:2007年10月15日(月)22時30分44秒
返信・引用
  ・・・と~。
ここから席取り合戦の一部始終をオモシロおかしく書くのも一興なのだが、
それをやったら、いつ本番が始まるのか、わからんので、割愛する。

席は100席前後用意されてたし、開館時に待っていた人数は10人前後だったので
比較的容易に、前の方の席に座れた。
床から高くなっているコの字形の席が一番外側で、
そのすぐ内側に沿うように、舞台に向かって開いた「ハの字」の形に一列
二人掛けの机の席が並べられ、
さらにその内側に椅子が、横4席で、ずらっと並べられていたのだった。
(頭の中で想像できましたか?)

天井までの高さはおよそ、10mはあるだろうか。
明治16年に完成してから、昭和7年に県庁舎内に議場が完成するまでの
およそ半世紀にわたり、県政審議の殿堂であったという・・・。
んが、文化財に指定されている建物なので、改築だの設備の増設工事
だのが著しく「制限」されているということだ。
ってことは、どういうことかっていうと~。

「冷房も暖房も無ぇ!」ってことなのだ。
先月(8月)のコンサートでは窓を開けっ放しでやったそうだ。
(暑さももちろんだが、虫とかの突入で大変だったのでは?)
9月~10月が、ちょうど良い感じですな

いにしえの文明開花期の日本。西洋文明との接触に驚き、
ようやく新興文明国として立つことを決意し、殖産興業、富国強兵を旨とし
アジアにおいての覇権国とならんとする新進国家の意気込みを~。
「・・・感じねえ」もはや感じねぇ。
明治期に流入した西洋音楽ならば、すかしたダンス音楽とか
ヨハン・シトラウスの「ズんタった」じゃね、ワルツとか。
せいぜいモオツァルトとかベイトホーフェンが、ふさわしかろうが?

そのへんのミスマッチは、まあご愛敬だ。
なんとな~く、この歴史的建物と、チェンバロという古(いにしえ)の
楽器の取り合わせは、道理を知らぬ一般人にとっては、共通のなにものか
を感じ取らせるのだろう。「なんか、雰囲気あるわ~」みたいなね。
細かな時代的ギャップなどは(細かな?)この場では問題にはならないのだ。
それを言い募るのは、かえって野暮天ってもんだい!

市井の一般庶民にすぎぬおいらたち(おいらは男爵だが)、
下卑た鼻歌くらいしか音楽とは縁のない衆生にして
貴族、華族様の高雅な嗜みである「ヨーガク」に触れることができ、
あまつさえ日々の憂さを晴らす心の慰めとなせる時代になろうとはのう。
しかもタダで・・・。
ふだんは口さがないお喋りスズメどもも、しゃっちょこばって
チェンバロのチューニングに黙って耳をそばだててるってんだよう~。

~今日のコンサートの内容は、
 「チェンバロ音楽の200年」と題された
 約1時間ほどのチェンバロのリサイタルなのだ。(やっと本題かい)

それにしても暗い。照明が少ない。この広い空間にシャンデリア(電気)ひとつだ。
間接照明は壁際にあるのだが、メインは、天井からぶら下がった
シャンデリア一つだけ、なのだ。かなり大きなものではあるのだが、この空間に
これ一つでは、ちょっと暗いな。いいのか? これも演出か、
チェンバロの周りに燭台でも置くのか? 燃えないか?、と思ってたら、
開演直前に上のギャラリーから舞台を照らすスポット照明が点けられたよ。
おお、これでOKだね。ばっちし。


午後7時、コンサート開始。
チェンバロ独奏は、これまで何度かコンサートで演奏を耳にしたことのある
Yさん。いささか張りつめたような会場の空気を、にこやかな笑顔と
ユーモアを交えたお話で和ませる。まずは客をつかんで暖めてから本番だ。
これまで足を運んだ古楽の演奏会で感じたことがある。それは、
観客を和ませる軽妙なおしゃべりが古楽器奏者には必須なのだな、と
ということだ。 え(´・ω・`)?

オープニングは、バッハの前奏曲ハ長調・・・あ、あれだ。
平均律クラヴィーア第一巻の第1番のプレリュード。それそれ。

ああ、忘れてた。
廊下をダッシュしようとしたおいらを呼び止めた
謎の人物、ですがね。
彼は、おいらがたまに顔を出す。CDショップの人。
スタッフの一人として設営に携わっているらしい。彼から
「たけどんさまご所望の、スコット・ロスのパルティータ、入荷いたしました」
にこーり笑顔で言われたおいら。
そんな3か月も前のこと忘れてたし、もうシュタイアー盤買ったし、
こっち気に入って毎日聴いとるしよ~。

「いつでもご来店ください(ニッコリ)」
「ふ、ふぁ~い、そりぁどおも・・・」へへへへ(´ω`)・・・

(つづく)
写真は、下見の時に撮影した、議長席(舞台)から見た
議員席(客席)の様子ですかな。おっほん。
 
    (ビケ♪こと管理人) たけどんさん、もとい、男爵様。
お返事遅くなってすみません!
前回のお話では、会場の席並びから、駐車場の場所取り合戦まで、
用意周到な戦闘準備に、感服いたしました。

>そのへんのミスマッチは、まあご愛敬だ。

そのミスマッチ感を、主催者が狙ってたものだとすれば、
なかなかのもの。コンサートの展開はどうなるのかしら~

>観客を和ませる軽妙なおしゃべりが古楽器奏者には必須なのだな、
>ということだ。 え(´・ω・`)?

いやいや、その通りです(^^) だってその方が、聴く方は
リラックスしませんか?
特に、無料コンサートのように、いろんな人
(クラシックファンでも、チェンバロファンでもない人の方が
多い可能性だってある)が集まる場面では、ね!
 

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