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ヴェネツィアとナポリ3

 投稿者:たけどん  投稿日:2010年10月19日(火)21時47分59秒
返信・引用
  まず、ヴィヴァルディはバリバリの「ヴェネツィア派」だと言い忘れてました。

で、ヘンデルのロンドンでのオペラ活動は。

 1711~17年 デビューから7年間
ヘンデルは、ロンドンで「リナルド」を初演して大喝采を浴びる。
一番当たった作品ではないだろうか?
これがイギリスデビューとなるが、7年間で5作を発表する。その後、

 1720~28年 「王立音楽アカデミー(第一期)」時代。
 1729~34年 「王立音楽アカデミー(第二期)」時代。
 1734~37年 「コヴェント・ガーデン劇場」時代
 1738~41年 最後の4年間

最後といっても、1741年でヘンデルが亡くなったわけではなく。
あくまでも、オペラ創作に関しての話である。
これ以降、ヘンデルはオペラの創作を止め、オラトリオに専念することになる。

本格的にオペラを事業として始めることになる「王立音楽アカデミー」は、
国王劇場において、イタリア・オペラのシーズンを定期的に開催することを
意図した団体であり、王室や貴族から出資金を得て設立されている。

ヘンデルはこの団体の作曲家の地位にあったわけだが、唯一の、ではない。
同じくアカデミーに属していたボノンチーニのオペラのほうが上演回数が多いくらいだ。
また、これは王室に於ける公的な地位に就いたことを意味するわけでもない。
この「第一期アカデミー」時代が、ヘンデルのオペラ作品において、
最も充実した作品が多い時代となる。

アカデミーは、欧州の一線級(つまりイタリアの)歌手を集め、最高の
オペラを提供することを目的としていた。
そこで、イタリアなどから歌手をスカウトしてくるわけだが、これがまた大変。

「歌手という獣(けもの)は、同じ檻(おり)に入れておくには、危険すぎる」

スター歌手は、ソプラノであろうがアルトであろうが、
女性歌手であろうが、カストラートであろうが、「ワガママ放題、し放題」。
自分の歌うアリアが、共演者より少ないとへそを曲げるわ、舞台上でも
つかみあいのケンカをはじめるわ。
作曲家よりも自分の方が、オペラ上演においては上と、
勝手にアリアを変えたり、他の作品のアリアを歌い出したり・・・。
おまけに、当然のごとく莫大なギャランティーを要求する。
男性歌手のテノールやバスは、配役的にあまり重要な役は与えられないのがこの時代。

観客は観客で、アリア(しかも自分が贔屓の歌手が歌う)だけが目当てで、
レチタティーヴォのときは、ものを食ったり飲んだり、しゃべりまくり、
気に入らない歌手にはブーイングなのは、イタリアでも、イギリスでも同じ。

そんなこんなで第一期は、拠出金を使い切り破綻。
第二期においては、ヘンデルに対する反感がつのりアカデミーはついに分裂。
反ヘンデル派は「貴族オペラ」を興し、ヘンデルを国王劇場から追い出し、
ポルポラやファリネッリを擁して、ヘンデルに対抗する。

ヘンデルは、コヴェント・ガーデン劇場を拠点にとするが、
さしものロンドンも、二つのオペラ劇場を維持することは困難であり、
ついに両者は、共倒れとなってしまう(財政破綻)・・・あ~あ。

ヘンデルは、友人たちの「イギリス・オペラ」を興そうという誘いには
遂に乗らず、イタリア・オペラにこわだった。
それは、自作のオラトリオが喝采を浴びても、変わらず、
オペラが飽きられ始めた時点においても、イタリア・オペラを書こうとする
意欲を持ち続けていた。
だが、ついに最後の4年間でオペラの筆を折り、
オラトリオに新しい期待をかけるようになるのである・・・。


ロンドンに於ける、各時期の代表作は、

 デビューから7年間:「リナルド」「テゼオ」「アマディージ」。

 アカデミー第一期: 「ジュリオ・チェーザレ」「タメルラーノ」「ロデリンダ」
           「アレッサンドロ」「アドメート」。

 アカデミー第二期: 「オルランド」。

 コヴェントガーデン:「アリオダンテ」「アルチーナ」「ジュスティーノ」。

 最後の4年間:    「セルセ」。

アカデミー第一期が、創作時期として一番充実しており、
「ジュリオ・チェーザレ」「タメルラーノ」「ロデリンダ」の3作は、
ヘンデルの、生涯の頂点を形作っている(ウィントン・ディーン)と言われている。
コヴェントガーデン劇場期の後半以降、作品もパッとしないものが多くなる。
それは、ヘンデルは体調を崩し、
「かつてのように悪い台本を用いて、立派なオペラを作り上げることが
できなくなった(ディーン)」からである・・・。

37年~38年シーズンで、ヘンデルのオペラ団と、貴族オペラは双方とも
財政が破綻し、ヘンデルはついに卒中の発作を起こしてしまう。


しかし、それでもヘンデルは、諦めない。ひるまない。(つづく)
 
 

ヴェネツィアとナポリ2

 投稿者:たけどん  投稿日:2010年10月14日(木)22時13分16秒
返信・引用
  んまー、トラブルはところ嫌わず、いろいろありますな。
誰でもそうなんでしょうけど、複合的にやってきたりもしますな。
今年は夏前に「眼底出血」起こして、医者から
「血圧の上がることひかえい!」と言われまして、この夏は例年の
半分から3分の2くらいしか泳いだり、走ったりしてません。
ひたすら、ジョギングと水泳はクロールのフォームの改良でしたな。

ま、症状は収まりつつあるようですけど、毎年年齢は重なるわけですし、
病気など、気をつけているようでも、いつも、突然ですわ。
それでも、こういう機会に、基本の見直しができたのは、ヨカッタと(思え)。
いつの間にか、分かっているつもりが、おざなりになってることも多いなと
実感したりもしますな。
夏が終われば、一年の終わりに向かって、なにやら
問題が、波の如く寄せては返し、返しては寄せる・・・。
荷物を背負い「はあはあ」言いながらも、淡々と日常をこなしていく、
それが大人ってもんです。が・・・(楽じゃないですな大人は)

イタリア語も、「近過去」、「再帰動詞の過去」、「半過去」だの、
avereは間接目的語を取るだ、essereが直接目的語取るだの、
avereは活用するが過去分詞は活用しない、
essereは過去分詞も性と数で活用するだの、
o(`ω´*)o「うき~~~!」状態ですが、(慣れ慣れ・・・)

Quando Caterina e tornato a casa, sua mader cucinava.
(カテリーナが家に帰った時、彼女の母は料理していた)

・・・んで、オペラの歌詞カードが読めるようになるのは、いつの日になるのかね?


ま、17世紀のバロック・オペラは、つまりイタリア・オペラなのだが、
中心地は「ヴェネツィア」。ローマも盛んであったが、教皇の命令で
1700年から約10年間、オペラ上演が禁止されてしまう。
中心地はやがて「ナポリ」に移っていくことになるのだが、
17世紀から、18世紀中盤にかけて、ヴェネツィアとナポリは重なる形で
オペラ活動が行われていたことになる。

ヴェネツィアは共和国として、かつての栄光を失い没落傾向にあり、
絶頂期から爛熟期、衰退へと向かっており、1797年(1800年を待たずに)
共和国は滅亡する。
ナポリ派オペラの開祖と言われるアレッサンドロ・スカルラッティは、
17世紀後半(1679年ローマからナポリ)からオペラ活動を開始。

ここでヴィヴァルディとヘンデルを加えてみると、それぞれの
イタリアに於けるオペラ創作の開始時期は、

 ヘンデル、1707年~(ローマ)
 ヴィヴァルディ、1713年~(これは意外!)となる。

A・スカルラッティは、ヴィヴァルディやヘンデルよりも世代が上。
ローマからナポリに移ってから、オペラに様々な改革を行ったが、
ヴェネツィアにおいても、スカルラッティと同様の形式でオペラは
作られていたのである。
ただ、ヴェネツィアは国家の趨勢が、爛熟期から堕落の一途を辿り
勢いを無くしていった。(商売にならなければ、みな逃げ出す)
対して、ナポリは政治的な混乱はあっても、外国に対する
オペラ(作曲家、歌手)の中心、生産地としての影響力を堅持
し続けることができた、ということなのだろう。

おそらく、厳密な形式上の違いは、18世紀中盤以降にならなければはっきり現れない。
いくら本を読んでも、18世紀初頭におけるヴェネツィア派とナポリ派の
形式上の違い(あるにはあるが)がはっきりしない、よく分からない。
これは、
実は形式上、さしたる違いはなく、
政治経済上の理由から、二つあった中心地の一つヴェネツィアが没落し、ナポリが残った。
残ったナポリのおいてさらなるオペラの発展が継続した。
ゆえに、後世から見ると、ナポリ派がヴェネツィア派を「駆逐」したかのように
見えるのではないか・・・とおいらは見ましたね。

で、ヘンデルはどちらなのかね?

それにはまず「ナポリ派」とは何かを定義しなくてはならない。
が、おいらは学者じゃないので、水谷彰良氏の定義を借りると、
「ナポリ生まれの作曲家、およびナポリで教育を受けた音楽家、ナポリの劇場で
 活躍した作曲家」ということになる。

ヘンデルのイタリア滞在の中心地はローマであり、ヴェネツィア、ナポリにも
滞在しているが、ナポリで教育を受けたとも、(中心に)活躍したとも言えない。
1710年にイギリスに渡って以来、39作のオペラを書いたが、
かなり後期になっても、ヴェネツィア由来の台本によるオペラを作曲している。
しかしながら、ナポリ派の作風の影響もしっかり受けてもいるのである。

時期的に見ると、18世紀中盤の重要なオペラ作曲家であるし、
同時期のヴェネツィアは、もはや没落している時期になるのだが、
ナポリ派にヘンデルを入れてしまうのには、抵抗がある感じがする。
印象的には、ヴェネツィア派の台本、作風に、ナポリ派テイストを振りかけ加味した、
という感じではないだろうかね?

これは、バロック(音楽)期を、バッハの死んだ1750年でバッサリ
終わらせた後世の学者の都合であって、生きて活動していた当人達は
そんなもん知らないし、まったく関係のないことだ、というのと
同じ気がするね。

そしてヘンデルは、イタリア修行を終えてイギリス・ロンドンに渡り、
「オペラ興行」という事業をはじめたわけだ。
あくまでも、私企業の経営参画者であって、国家宮廷にやとわれていたわけではない。
つまり、バッハのような「宮仕え」は一生しなかった、というわけだ。
それって一発当てれば大儲けだけど、不安定な地位だよね。
でも、ヘンデルはそうした。自信があったんだろうね。

では、ヘンデルの「オペラ興行」は順風満帆だったのか?
というと、実はそうでも ない・・・。

(というところで続く)
 

ヴェネツィアとナポリ1

 投稿者:たけどん  投稿日:2010年10月 5日(火)22時51分35秒
返信・引用
  なんだか、あれですな。「尖閣諸島」。

中国もいよいよ正体を見せ始めましたか。
民主党政府も、自民党時代と相変わらず「へたれ」なのは変わりませんな。
船長を帰せば、丸く収まるハズ・・・が、日本人人質にとられるとは。
「お話し合い」で世界は平和になる、のではなかったのですかな?

「中国を刺激してはいかん」
で、自分の土地に勝手に入ってこられて、注意したら殴られた。
で、捕まえたのに、相手が怒るから「還しましょう。取引もあるし」・・・?
そういう甘い対応をしてるから、つけ込まれ続けるんでしょうに。
これで一番ガッカリしてのは、日本人だけでなくて、
東南アジア(ベトナムとかフィリピン他)だよね。
中国の脅威を実感している彼らは、日本の毅然とした
態度に期待してたのに、日本はそれを裏切ってしまったのだ・・・。

「日本側も冷静に、大人の対応を」
こういうメディアの論調が多いですけど、なんで、
向こうは日の丸焼いたり、日本人人質に取ったり、レアアース禁輸したり
アマツサエ「尖閣(釣魚台)は中国の固有の領土」などと
なんーの根拠もない妄言を、向こうの政治家がまきちらしてるのに、
なんで? 日本だけ大人の対応をしなければならないのか?

大人の対応をすれば、向こうも大人の対応で引くとでも思っているのか?
あるいは、こちらも強く出れば、相手と衝突して
最悪の場合紛争になるとでも思っているのかね?
どちらもマチガイ。

彼等は、日本の対応を見越して、強行に出た場合、
どこまで踏み込めるかを見極めようとしているからだ。
ホンキで尖閣が自国(中国)領だなととは思っていない。
(国民は別。南京大虐殺とかと同様、真実だと思ってる。教育は重要だね)
無理は承知、それでも「日本は強く出れば引く国だ」と知っている。
そして、それがどこまで引くのかを試しているのだ。

日本がこれまでの近隣諸国との問題で譲歩に譲歩を重ねて
きたのを熟知した上での計画的作戦行動なのだ。

だいたいあれ「漁船」じゃなくて工作船だし、
「船長」も漁師じゃなくて「人民解放軍の大佐」だし。
衝突事故じゃなくて、「事件」だし。
また、来るよね。必ず。

その先は、まだまだあるけど、
何回でも理不尽な暴挙に出てくるだろうね。
日本が毅然とした態度を取ること、それだけが
中国を抑える唯一の方法なのだ。
それで戦争になる?・・・ならない。ならないの。
中国は強気で恫喝はするけど、絶対に勝てる場合でしかケンカしないの。
「実力を行使してでも、領土は守る」。この姿勢を見せることこそが、
無駄な紛争や、侵略、戦争を防止する有効な手段なのだと知るべきだ。

友愛、友好など彼等にとっては
日本(世界)に手を伸ばすための「方便」でしかない。
それで得をするのは、結局「中国だけ」なのだ。
実は、そうして拡大膨張しなければ、内部から瓦解してしまうのが
巨大多民族国家、中華人民共和国の抱えている、「切実な危機」なのだが。


それにしても、この日本のマスコミは死んでるってのが、
よく分かる事件がありましたね。
先週末の土曜日。東京渋谷で、「中国の尖閣侵攻」に対する
2,600人を超えるデモがあったのだが、大手新聞、テレビメディアは
すべて黙殺しました。

おいらもニコニコ動画で見たのだが、すごい大規模なデモだった。
NHKなんぞ、局のすぐ側を行進したのにまったく報道しない。
海外のAPやCNNは取材に来てたのに。「知らなかった」だと?
「米軍反対」だの「天皇反対」だのの、反日反米デモは
10数人規模でも終日報道するくせにね。

これはいったい、どういうこと、なんでしょうねえ・・・?
この国のマスコミは、いや「報道の自由(素材の取捨選択)」とは
一体、どうなっているのでしょうか。


ありゃりゃ、ヘンデルとヴィヴァルディの「マクラ」を
書こうとしたのだが、思わず、いや予想通り長くなってしまったわい。

ともかく、今までおいらは、イタリアのバロック・オペラについて、
「ヴェネツィア派」と「ナポリ派」の二分割で考えていたのだが、
大雑把に言って、それはちと違うのかもしれんな、ということなのだ。

いや、確かに「ヴェネツィア派」と「ナポリ派」に分けることはできるし、
様式的にも違いはあるんだろうけど、
ヴェネツィア派が廃れてナポリ派が起こった、とか、
ヴェネツィア派からナポリ派が発展していった、とかいう
単純な構造ではないということなのだ。

単純に時代的、様式的な観点で見ると、
「ヘンデルは、ナポリ派かどうか?」などという疑問が出てくるわけなのだが、
おいらは、その問は余り意味がないのかな?とも思い始めているのだ。

(というところでつづく・・・へんなの)
 

イタリア語1年

 投稿者:たけどん  投稿日:2010年 9月15日(水)22時54分5秒
返信・引用
  はい。イタリア語の勉強(のまねごと)を始めて1年経ちましたが、
上達しませんねー。
ずーっと車でテープを聴いたり、テキストを見たりして
「なんとなーく分かった」ような気になってましたが・・・。


オペラ聴いても、ほっとんど聞き取れないし、歌詞読んでも・・・わからん。
聞いたことがある単語にひっかかって、「あれ~これなんて意味だっけ?」と
考えているうちに、歌は進んでしまうわけだし。
テレビのイタリア語教室なんかだと、結構分かる気がしてたんだけど、
そりゃ、初心者用に、簡単な単語で難しい表現はしないんだから。

「やっぱり、聞くだけではダメなのでは?」などとようやく気付いて、
ノート使って書いてみることにしたわけですが、
あれですな。学生の頃からの習慣なんでしょうが、やっぱ「書かないと覚えない」。
書いたからといって、すぐに覚えてしまうワケでもありませんが、
やっぱり手を動かした方が、頭に残る「気がする」ですな。

もうオヤジだから、記憶力もいい加減なのだが、それでも
「やっぱダメかな~?」と思ったら終わり。
「忘れたら、何度でも調べりゃいいじゃん。そのうち頭に残るさね」と
また調べ直す、何度も。それしかない。 ...φ(・`ω・´ )カキカキ

「聞き流すだけで、口から英語がスラスラ~」みたいな宣伝もありますが、
そうなのかな~?おいらは、読めるようになりたいのだし。
それでも結構、車の中で「ヴォッるレイ!」などと発音してますよ。
語学は大変ですが、続けてると、ちょっと楽しい(かも)ですね。
でも、勉強だからやる、というのはたしかに楽しくはないよね~。


最近、「ユ○クロ」だとか「○天」とかいう会社が、
「社内の公用語を英語にする」と決めたらしいですが、
なぜなんでしょうか? よく知りませんが。

「これから世界に進出するには・・・」とか、
「世界の情報をいち早くキャッチするには・・・」とかいう理由でしょうか?
社内で、いい歳のオッちゃんたちが、
「あのなんだ、ドゥ・ユー・ハブ」とかやってるわけですか?
その割に会議などで、「大切なことなので、日本語で失礼します」などと
発言してるとかしてないとか。

・・・えーと。
とある、討論番組(地上波ではない)の経済討論で、
外資系に務める方や、貿易関係の方が出ておられたのですが、
これらの会社内公用語の英語化は無駄だとおっしゃっていました。

1.絶対に話せるようにはならない。
 (ネイティブが近くにいて直してくれるとかでないと)。
2.契約交渉などには役立たない。
 (契約書は英語が出来る程度では理解できない。法律知識が必要)
 下手に英語が出来るとゴマカされる危険がある。日本語の方が安全。
3.情報収集は、その部署の専門の人間ができれば十分。
4.海外進出の場合は、総括的な地位にいる人間は外国語は必須だが、それ以外は
 必ずしも必要ではない。

日本の企業で、日本人が社長で、日本で商売している会社が、
なぜ、英語を会社の公用語にする必要があるのか・・・?
会社としてのリソース(時間的、人的資源)を、そんな
必要でもない英語習得にさく必要が、どこにあるのか? わかりませんな。

「グローバル化」というやつ、なんでしょうか?
日本の企業が海外進出して、強かったのは「グローバル化」したからではありません。
その進出した国々に「ローカライズ」したからなんですよ。
つまり、その国の風俗習慣に合わせ、顧客のニーズを捉えた商品を
その国に合わせて、提供してきたからです。
どうして、日本国内で商売している会社が、英語を公用語にするのか?
全員が、世界の情報を追いかけたり、世界に進出するわけでもありますまいに。

だいたい英語使うと、「判った気に」なるのですな。
ジョブだのソリューションだの、でも判った気がするだけで、
誰も、理解なんぞは、してないのだ、よ。

「グローバリゼーション」は、「世界標準」などではない。
また、日本が考えるように「アメリカ標準」ですらない。

グローバリゼーションとは、
それを唱えた国が「一番儲かる、特をする仕組み」でしかない。
つまり「自由貿易」と同じなのだ。
自由貿易は、提唱したイギリスが一番儲かる仕組みだっただけで、言わば
欧米人(ひとくくりだが)は、<自分が一番、特をする仕組み>を、
普遍的価値として他国に押しつける技術に長けている、というわけだ。

要は、グローバリゼーションとは、各国が自分たちのエゴを勝手に主張する
というのが正体で、日本が考えているように「世界標準」でもなければ、
穿った見方としての「アメリカ標準」ですら、ないのだ。

(時価会計基準を、日本に押しつけておきながら、リーマン・ショックで
 被害を被って、負債が増大した欧米が、シレっと時価会計をやめたのにはワロタ)
 (ノ; ̄◇ ̄)ノ エエエエェェェェェ-?

まず、何より第一は「(母語で)伝えたいことを、まとめる力」なんですよ。
と・・・イタリア語ともオペラともまったく関係のない
話を書いてしまったのだが、

次は、ヘンデルとヴィヴァルディのお話しに続く(予定です)。
 

夏と怪談3

 投稿者:たけどん  投稿日:2010年 8月26日(木)21時55分40秒
返信・引用
  「しょせん、信じてないんだろ?」と言われれば、「いや、そーでもない」と答える。
だが、あまりに紋切り型の原因説明には、違和感と拒絶感があるだけ。
んー、前にも同じような文書いた気がするけど、
あまり考えが変わっていないということかな。

おいらにもワケの分からない体験は、少ないながらも
あるけど、起承転結がないので、語りようがない。
あっという間に終わるから怪談にすらならない。
たとえば、前に書いたけど、「PCの左のスピーカーから女の笑い声がした」って話、
そんなの、怪談としてありふれてるってか、陳腐な話だし、
実際に体験したって言っても、聞いた方は、「へーえ」でしかないでしょ。
でも、ホントにあったんだわ。その一回こっきりだったけどさ。
だからって、呪われてるだの、女の幽霊だの考えなかった。何もできないし。
「こんなことも、あるんだな~」・・・しかないじゃん?

信じていないわけではないけど、盲信する気もない。
要は、「ふしぎな出来事」が「いかに語られるか」に興味があるのかな。


稲川さんの怪談に、「コウスケ君」という話がある。
主人公(男性)が、子供の頃に、母親の実家で出会った「コウスケ」という名の
男の子の話なのだが、もちろんコウスケは生きている人間ではない。
話の最後に、「コウスケ君」の正体は明らかになるのだが、
まあ、「実家(いなか)」「子供の頃」といえば、「あ、座敷童か~?」と連想するわな。
ま、それが、ただの座敷童ということになっていないのが、
稲川さんの「味付けの妙」、というところなんだろう。

また、吉田秋生(あきみ)の「十三夜荘奇談」に収録された
田舎で出会った少年の話・・・タイトルも忘れてしまったが、基本は同じ話だ。


夏休み、実家の近所の子どもたちと遊ぶ中に、かすりの浴衣を着た少年がいた。
遊びの最中に、母親がスイカを出してくれる。
一つ、足りない・・・。母親にそれを言うと、「人数分出したはずだ」、と。
すると、浴衣の少年は「いいよ。オレ、馴れてるから・・・」

彼はその後、成人し結婚もして、子供も出来た。
夏、田舎に帰ると、子どもたちは近所の子供たちとさっそく仲良くなり、遊び始めた。
妻が子どもたちにスイカを切って出してやっていた。すると、

「お母さん、一つたりないよ!」。妻は困った風で、
「おかしいわねえ。人数分出したはずだけど?」

はっと、気付いたように彼は立ち上がると、台所に入っていく。
彼はスイカを一切れ切ると、皿に載せて戻ってきた。
いぶかしがる妻に彼は笑顔で答える・・・「いいんだよ」。
彼はスイカを載せた皿を、誰もいない縁側に置き、皿を置いた隣に腰掛け、
誰もいない隣に向かって、こう言った。

「よく、来たね」・・・。

すこし引いた絵で、庭の外から、夏の日の縁側に置かれた、皿に載せられた一切れのスイカ。
その隣に座って、隣に向かって「よく、来たね」と微笑みかける彼が描かれている。
彼の微笑みかける隣には、誰も いない。

そんな絵で、このマンガは終わっていた。
(と、思うけど、もう何年も前に読んだマンガだし、細部は全く違うかもしれない)
前にも、これ書いたような気もするけど、いいよね?

さて、彼は一体何を失ってしまったが故に、少年が見えなくなってしまったのか?
それは分からないし、探求しても仕方のないことだ。
もはや子供の頃には戻れないし、戻りたいと望んでいるわけでもない。
ただ、彼は「少年」のことを忘れてはいなかったし、彼が今ここに「いる」ことを知っている。
自分の子どもたちも、やがて「少年」のことを見ることができなくなるのだろう。
彼らはその時でも、「少年」を覚えているだろうか?

そして、その次の世代の子どもたちは、これまでのように、変わることなく
あの「少年」に出会うことができているのだろうか・・・? それは、誰にも分からない。

何かは分からないが、もはや取り戻すことのできない「失ってしまったもの」。
だが、懐かしさは感じても、それを惜しむことも悲しむことも、ない。
失ってしまったものの代わりに、何かを手に入れたのだ。
・・・大人になるということは、そういうことだ。
人間は、すべてを手に入れることなど、許されていないのだから。


・・・と、まあこんなことを考えさせてくれる物語が、好きなわけですお。
そのためには、「あり得えない」だの「バカバカしい」で、感性を殺してしまう
ような考え方は、つまりませんな~と思うわけですし。
でも、あれもこれも「あり得るぜ~」と信じるつもりも、ない。
<いーかげんな妄説は叩きつぶす!>が、おいらなのは、知ってる人は知っている。

個人で楽しむ分には、どーぞ御自由になのだが、
なんかこういうのって、宗教とか商売に繋がりやすいのが、難ですな。
心霊スポット、廃墟めぐりもたいがいにした方が吉。
おいらは行かないが、法律違反もあるし、なにしろそういう特殊な空間では、
影響を受ける人が出る危険性があるからだ。
もし「オレは信じてないし」だの「おもしれーじゃん」だけならやめた方がよい。
もし信じてないから見ない、会わない、というのなら、
乗り物酔いなんて、存在しなくなるはずだって。

人間の精神は、表面に出てるものが全てじゃないし、
表面は威勢がよくても、心中は「爆発しそう」な人間もいるからね。


そういうのが精神的に、いつ、何のきっかけで爆発するかなんて、それこそ
誰にも分からないこと・・・なんだからね。

 (((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル (終わり)
 

夏と怪談2

 投稿者:たけどん  投稿日:2010年 8月23日(月)22時15分29秒
返信・引用
  やっぱ、暑い。
前回のを読み直したら、「なーに言ってんだ?」と思った。
暑かったからな。

エロスだのタナトスだの・・・要は、
人間は、生への本能とともに死への本能(つまり自己破壊にいたる本能)を
併せ持っているんじゃねーの、というわけだ。
もちろん、その両方が意識の表面で同じようにでっぱってる、という意味ではない。
人間に生への本能しかなかったとするならば、
大昔から、のるかそるかの本当の危機を乗り越えて、人間は
「種」として生き残れただろうか・・・?などとも考えたりするわけだ。
一個の個体を保存することが、最も重要な本能だと、
人間の脳に埋め込まれていたとするならば、だ。
未知を求め、冒険を求め続けてきた、人間の行動は説明できまい。

現代人には、理解できないかもしれんが。(安心しすぎていて)
当然、人間の本能は発達した知能や環境によって、容易に
本来の目的からずれたり、弱まったり、狂ったりもする。・・・的な話だったわけだ。
それが、怪談が好きだったり、苦手だったりする説明とは
笑わせる、が。 ( ゚д゚)ポカーン

 (((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル ←したいわけ だ


それはさておき、
最近ネットラジオでは、「実体験怪談」系の放送が増えたことは述べたが、
そんな中で、耳に触れることが多いのは、
「友人の○○さんが<見える人>なんですよ」だの「ワタシちょっと
霊感があるんだけど」のようなセリフ。なのですよ。

「あなた後ろに女の霊がついてるよ・・」だの、結構だし。
その霊感のある方々が、見えるのが本当なのかウソなのかも知らんし。
まーたぶん、見えていらっしゃるんでしょうし、それについては
特に、何の文句や苦言もありませんがね・・・ええ。

話を聞いてると、「こうこうした方がいいよ」などと、
アドバイスできたり、未来が見えたりと、妙に力を持った人もいるようなのですが、
おおむね、彼ら彼女らは、「見えるだけ~」で、
悪霊を祓うとか、霊障の原因を見つけて取り除くとか、・・・していない。
心霊スポットや、心霊物件の前で、「アタシ入れない~」ってのが多い。
おまえらは、カナリアか?(トンネルなどで毒ガス探知に使われてた)

まあ「怪談」にマジになるほど、ヤボなこともないですが、
すきがあれば、「彼は霊感があって」だの「アタシちょっと霊感があるんで」だの
それって、
生まれつき「手が長い」とか「背が高い」とかと、どこが違うのか?
背が高いことを活かして、バスケット選手になったとか、
足が速いから陸上に打ち込んだ、とかとは違う。
なんとなく、気がついたら「見える」ってだけじゃん?

よく知らないけど、「霊能力」ってのが、修行して徳を積んで、
霊を祓えたりする力だとしたら、霊感って「素質がある」ってだけで、
何もその力を磨いたりしていないってことじゃないのかね?
もちろん、力の個人差ってのもあるんだろうけど。
(そんな力が実在するとして、だけど)

端で聞いてると、「エラソー」「特権階級」「超能力者」みたいな
上から目線、の匂いがプンプンするところが、腹立たしいやら可愛らしいやら。
まあ「霊能力者、霊媒」というと、いきなり
「商売~」って匂いがするんで、インチキの数も較べようもないくらい多そうだし。
それよりは「霊感がある」って位置のほうが、
「あたしアマチュアなんでー」って、ポジションで、責任はないけど
ちょっと一般人とは違うし、カッコいいかな、ってところなのかな?

ま、霊感があるのは、結構なんですけど、それが
怪談を聞く上で問題だと思うことがあるんですな。
それは、まあ一くさり、お話しが済んだあとで、お話しの解説があるんですが、
「霊感」がある人が絡むと(語り手でも、登場人物でも)、
おはなしに、<的確な解釈>が、与えられてしまう、ってことですよ。

怪異を実体験した、という人が何人か集まって、番組をしていたりすると
特にそう感じる。
「あれは、きっとこういう霊障で」「神社や仏閣で・・・」とか。
「水脈っていうものは」とか。
彼等は本気で言ってるんだろうし、それで解決もついたのだろう。
番組内でも、その解釈で何となく解決がついた(?)ような空気になる。
確かに、怪異には解釈がほしいし、的確な解釈、腑に落ちる説明ってのも
聞いてる方は安心するって部分もある。

だけど・・・なんか違うんだな。
別に霊障絡みの「人生相談番組」を聞いているわけじゃないからだ。
そりゃ、神社や仏閣に対して、知らないで失礼なことをしないに
越したことはないとは思うけど。
(例えば、神社の参道の中央は神様の通り道なので、参道の真ん中は歩かない、とか)
どーでもいいと思っている人は、気にしないんだろうけどね。

「お話しによる現象の提示」と「解釈」は、不可分だと思うし、
解釈が、より、お話しの面白さを増す、ということも多い。
でも、「霊感のある彼女がこういってた通りになった」だの、
「○○の場合は、××という事が起こりやすい」だのは、余計な気がする。
難しいところだとは、思うけど、
型にはまってしまった解釈は、人のイマジネーションを殺す。

「その霊感の人って、一度も事故やアクシデントに遭ったことないの?」
って、聞いてみたくなる。もしナイなら、それは人間と言えるか?
と、クサしてもみたくなるってもんだい。

(も一回、つづく)
 

夏と怪談1

 投稿者:たけどん  投稿日:2010年 8月20日(金)22時46分16秒
返信・引用
  あっつーい。 。゚(´・ω・`)゚。

お盆の前後は、ちょっと弛んだのに、また暑いし。
暑い日といえば、クーラーとスイカと怪談だ。
最近は、あまりテレビで「怪談番組」はやらないんでしょうかね。
お盆頃の テレビといえば、戦争関連が多いのだろうが、
やたらとウソとセンチメンタルが多いし、見ない。
ていうか、あまり地上波そのものも見ないので、知らない。

ただ(NHKBSだっけな)でやった「日韓の若者が語るなんとか」というのは
ちょっと、見た。ま、感想を言うつもりはない。(ばかばかしくて)
それに比べたら、「怪談百物語」のほうが、同じNHKでも、ましな番組だったな。
大勢の俳優女優さんたちが出て、古典怪談を朗読するのだが、
ま、玉姓混淆だったけど、おもしろかった。

古い古典文献から、江戸時代、近代の文豪までが書いた「怪談」は
なかなか、興味深かったですな。
近代になると、あまり突飛な仕掛けはないけど、
さすが文学者だけあって、恐怖の視点が独特だったりして。
・・なかなかやるなNHK(近現代の歴史や政治関連は、ダメダメだけどな)。


ちょっと前にやった「最恐!恐怖夜話2010(NHK)」も、まあ面白かった。
著名人を中心に、怪談作家なども集まって、「実際に体験した、知人が体験した」
という話をする番組で、去年も見た。

どこまで本当かは、分からないが、<実体験>というのがウリ。
だけど~、番組の最初の方に、「この番組は、話術を楽しむ番組です・・」
みたいなテロップがついてて、
「あ~、最初に言い訳かあ。結構TV局も神経質になってるのかも」なんて
思いましたね。

 「信じる信じないは、あなたの自由・・」というわけだ。局は責任もちません、と。

以前、「ノストラダムスの大予言」という本を中心に、世界の破滅みたいな
ことを数字(視聴率)が取れるからと、垂れ流しにして、
それに影響を受けた「オウム真理教」みたいな事件の、遠因にもなったりしたからね。
その辺が、民放ではあまり心霊関係の番組をやらなくなった、一因かも。
今時、なんでも商売につながりがちだし。
「私が、○○なのは、霊やタタリのせいかも~」なんて、思いこむ人、
少ないとは言い切れないし。(意外とね)


このTVだけじゃなく、ネットラジオとかでも、「実体験怪談」を
いくつも聞いてると、「へ~、こういうこともあるのかなー」なんて
思ったりもすることもある。けれど一方で、
けっこう「友達の実体験」って触れ込みで、どこかで聞いた都市伝説の
焼き直しみたいな話もちらほらあったりもして、ニヤリとしたりすることもある。

どんなに不思議な体験で、本人あるいは近しい知人がホントに
体験したのだとしても、縁のない「第三者」が聞くと、それは所詮
「お話し」、なんですよねえ。
それがホントウに起こったことなのか、真実に幾らかフィクションや
演出が入っている、なんて分かりようが、ナイ。
だから「実体験怪談」を聞いて、「霊は存在するんだな」などとは
決して、言えないわけだ。

けど、そうは言いつつも、実際には「霊はいるんや~」と思わせるような、
真に迫った話というものは、確かにある。
それは、話術、話の構成、演出も大きく関係することなのだろうが、
話の、どの位の成分が「真実」であるのかは、聞き手には分からない。
もし事実だけの「怪談」が語られたとしても、
それを第三者に伝えるだけの「技術」なしには、ありのままの事実は、
けっして、聞き手を説得できるものではないのだ。


語れた話によって「霊はいる、いない」を検証するつもりはないし、
できるとも思わない。
原則的にメディアに乗る「怪談」はエンターテインメントだからだ。
「へー、そりゃすげ」「こえええ!」と思うだけだ。
また、原則的に「非科学的な話は信用しない」とも考えていない。
だからといって、現代科学を越えた「超科学的な話」を信用するわけでも、ない。
そんなもんは、おいらの「範疇」ではないし、管轄外だからだ。
おいらは、ただ「楽しめればいい」だけなのだ。
こえ~~ (((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル


なぜ、怪談を聞きたがる人がいるのか?

おいらは、けっこうネットの、オカルト・ラジオを聞いたり、
「ほんとにあった呪いのビデオ」とか借りて見たりしている。
だが、おいらの周りの人間は、それらを見たいと思うような人間はいない。
人間は「安心したい」という生き物ではないのか?
ならば、心霊や不可思議な出来事など、人間の安定した生活や
常識を脅かすような現象、存在を肯定するようなものは
否定するのが当たり前ではないか・・・?

では、世の中には、おいらのように人間の生存本能、安定志向の考えが
壊れてしまった人間が多いのだろうか。それが現代人、なのだろうか?

まあ、そういう人間も少なくはないのだろうが、
人間ってのは、そんな安定志向だの自己保存が第一、と言い切れるほど
単純な存在ではない、と思うのだ。
この辺、深くやると、ボロがで・・・いや長くなるのでやめとこ。

要は「エロス(生)」と「タナトス(死)」への志向が
常に背中合わせに存在するのが、人間の精神じゃねーのかな、と思うわけだ。
死や霊、超常現象に対する関心のあるないは、その人のパーソナリティの
違いだろうと思う。(混合比に違いがあるみたいな)
オカルト話や心霊ビデオを嫌がる人間が、単純に即、
精神的に弱いわけではないし、
そういうのを見たり、心霊スポットへ行くのが(おいらは行かないが)
度胸があったり、理性的な人間というわけでもない、と考える。

アマチュアの人、学生さんとかでも、色々な人から「怖いはなし」を
聞き集めて、ラジオをしている人も少なくない。
その話をラジオで語ったり、いろいろな解釈を語るような番組も増えてきている。
ま、それはそれで聞いてて楽しいのだが、ちょっと気になることもある。
逆に、「そんなのあるはずねーじゃん」だの「非科学的、バカバカしい」
という人ほど、危険な場合もあるなと、ちょっと考えたりもしてるのだけれど。


それは何かと 尋ねたら・・・また次回ね。 (^ω^)ノシ
 

W杯と世界

 投稿者:たけどん  投稿日:2010年 7月15日(木)21時36分11秒
返信・引用
  W杯が終わりました。(選挙も終わったね)
あっという間の、アツイ一か月でしたね。
たのしかった~。ワクワクドキドキしたね。

ま~、大会の内容について書いても、サッカーに関心のない方には
チンプンカンプンだし、とりあえずスペイン優勝だけを確認しておきたい。
日本もよく予選リーグ突破して、ベスト16入りしたよね。
大会前は、3選全敗で帰ってくると思ってたけど。
やりようによっては、この位の力は日本代表は持ってたんだよね。
で・・・ま、いいか。

それにしても、W杯本大会出場国を見てみると、
イングランド、フランス、ドイツをはじめアルゼンチン、ブラジル、ナイジェリア、
オランダ、にえーと。コートジボアール、アメリカに・・・
ん? ポルトガル、イタリア、ギリシャ(昔はギリシアって書いた)、スペインって、
「PIIGS」の国、ほとんど入ってるじゃん。
「PIIGS」ってのは、ヨーロッパで財政危機に瀕している国を
侮蔑的な意味を込めて読んだ言葉だ。あとアイルランドが入ったりする。
財政が逼迫しても、ユーロで通貨を統一してるために、自国通貨暴落による
輸出拡大などの恩恵が受けられない。自力での回復ができないのだ。
ユーロは終わるな。そのうち。

それにしても、自国の経済が崩壊寸前なのに、このお祭りっぷりは何?
各国のゲームを見ながら時折カメラが抜く各国「サポーター」の笑顔を見ていた。
・・・いやいや。「それだからこそ」なのかも。

W杯は大国でなくても、自国に誇りを持てる、「世界一」になるチャンスなのだ。
人口が少なくても、経済うまくいっていなくても、貧しくても、
世界的に全く発言力がなくても、国内にさまざまな問題を抱えていても。
そこで力を発揮するのは、何か?


一時期、「アフリカ旋風」といわれアフリカの代表チームが注目されたことがあった。
優れた身体能力を持ち、W杯において予想外の快進撃を見せた。
彼らの中には、欧州のクラブチームに注目され、クラブのスタメンとして
大活躍する選手が多数出てきた。
アフリカの選手たちにとって、W杯は欧州の一流クラブチームに選ばれるための
「デモンストレーション」の場なのだ。彼らはスターとなり名声と、国にいたのでは
一生手に入れられないおカネと生活を得た。

だが今大会は、アフリカ勢は不調だった。
欧州クラブで活躍する選手は「王様」となり、気に入らなければ
代表チーム監督にすら従わない。これから欧州クラブを目指したい選手たちとの
姿勢の違い、不協和音。

もはや「スーパースター」が一人いれば、勝てる時代ではない。
それは欧州の代表チーム、南米のチームでも同様だった。
メッシ、ルーニーなどクラブチームではスター、世界最高のプレーヤー
と評価される選手がいたアルゼンチン、イングランドすらも敗退した。
「怖いヤツは封じこめて仕事をさせなければいい・・・」


日本はいまだに、マスコミを中心に「救世主」を欲しがっているようだ。
「絶対的司令塔」「ファンタジスタ」・・・。
今回、中村俊輔が不調だったが代わりに「本田圭佑」という選手が
注目を浴びた。また彼を祭り上げ同じことを繰り返すつもりなのか?
本田一人で勝ち抜けるなら、「黄金世代」と呼ばれた選手があふれていた
2006年のドイツ大会では予選敗退なぞ、しなかったはずだ。

まだまだ日本は個人の力だけでなく、集団としての力も
上位常連国とは、差がある。だが、やりようによっては、
かなり彼らを脅かす戦い方も可能なのだ、ということを見せてもらった。
2006年と今回では「チームの雰囲気が全然違った」とよく聞く。
集団が力を発揮するということは、そういうことだ。
それを引き出すのは、監督か? キャプテンか?
ともかく、チームをまとめ上げる、リーダー・シップが必要なのは確かなのだ。

一人のスーパースターが活躍(ゴール)するために残りの10人が走る、
これではダメなのだ。
おいらが驚かされたのは、実はアメリカチームだった。
10番(エース)をつけていたドノヴァンという選手だった。
「あのわがままな、アメリカ人が・・・おれがおれがのアメリカ人が、
 中心選手なのに、一番走って、チームのために頑張って走っている」。
すげえ。ドノヴァンに限らない。強豪国は中心選手であっても、
チームのために、誰かが得点するために、犠牲になり、走り回る。当たり前なのだ。


なぜサッカーは11人なのか? それを忘れた時、チームがチームとして
機能しなくなった時、それは超人的な技量を持つスーパースターを
もっても、一丸となったスター不在のチームを突破することは
とてつもなく、困難 なのだ・・。

 ☆-(ノ゚Д゚)八(゚Д゚ )ノ
 

マシンと人間と2

 投稿者:たけどん  投稿日:2010年 6月 8日(火)21時43分1秒
返信・引用
  はああ? 枝野幹事長? 論評する気も起きんな。
枝野氏は有能かもしれんが、幹事長という職はだな・・・。
ま、いいか。
どうせ参院選で議席減らすのは織り込み済みで、
9月になったら、また小沢サン復活するんでしょ。
菅内閣支持率60パーセント?
だいたい、何もしてない内閣の支持率調べて、意味あるの?「期待度」? へえ。
いかにも、マスコミのやり口ですな。
いずれにしろ、ここより本格的な「左翼政権」が始まる のだ。
その内容は、一口では言い難いが、表に出てくる閣僚人事だけが
内閣の全てではない、ということだ。(マジ)。


・・・で、
途方に暮れようとしたおいら。
電源に異常がないことが分かったので、送料だけで電源ユニットを
返してもらうこともできた。
が、出品者はこう続けた。

「本体をお送りいただければ、修理も可能です。
 電源ユニットを返送することを希望ならば、そういたしますが」

おお? さらに読むと、出品者の方は3台同機種を所持しておられるなかで、
電源スイッチの不具合が原因で電源が入りにくいマシンがあるとのこと。
その辺が原因の可能性がある、と。
確かにおいらのマシンは、スイッチが押しにくい(ってか押せない)。
まるでタッチパネルの ようだ・・・。

「送りまーす」。と返事した。

さらに、万が一スイッチでない場合も考え、
各種動作チェックを行い、最悪の場合
マザーボード、CPUの交換まで可能だという。もちろん
そうなった場合は連絡をくれて、承諾を得た上でということだが。
電源ユニットの、劣化しやすい電解コンデンサーなども交換し、
内部の清掃もする予定でいる、ということなのだが。

うええ。ここまでしてもらったら一体、お幾ら掛かるんでしょうか?
と気になるわな。「落札金額をオーバーしたら教えて下され」と書く。
それと、「このMDDに電源トラブルが多いのはなぜか?ご意見があれば」と
尋ねてもみた。

2日後、「修理完了」の連絡あり。
原因はやはり電源スイッチとベゼル(前面パネル)部分の干渉で
電源が入りにくくなっていたため、と判明。
ベゼル部分を削り、スイッチ動作を回復して問題は解消したとのこと。
なお、「マシン内部の清掃と、動作チェック、ならびに電源の劣化しやすい
電解コンデンサーを全部、耐圧の高いものと交換も行いました」とのこと。

以上、<加算金額 なし>。
電源の修理をお願いするつもりが、本体のメンテナンス・
チェックまでしていただいたわけだ。ありがたい! ヾ(@⌒ー⌒@)ノ
だが、お尋ねした「電源トラブルの原因」については、
何も書かれていなかった。仕方ないかな・・・。
と思っていたら、その後、別の連絡が入っていた。

そこには、「MDDの電源トラブルについて・・・」で始まる詳細な考察が書かれてあった。
シリーズに使われているメーカー別、容量別の特徴と問題点、
ならびに不具合の特徴と原因、修理方法
そしてアドバイスまでが、簡潔に記載されていたのだ。

・・・・ごめんなさい(つД⊂)゚ うがたってしまって。

実は、それだけではない。
本体を送る際に分かったのだが、出品ページの住所と
電源ユニットを送付する住所が違っていたのは、
電源の送付先は、遅れて取った連休を過ごしていた、ご実家の住所であり、
本体を送った住所(出品ページの住所)は、お勤め先の住所だったのだ。
つまり、出品者の方は、ようやく取った連休で帰っていた先の
ご実家で、おいらの電源トラブルに対処してくださっていたのだ。

おいらがパソコンの本体を送る時には連休が終わって、お勤め先に戻られるので
そちらの方に送って欲しいということ、だったのだ。。

 Σr(‘Д‘n)か、重ねがさね申し訳 ない

この文も、修理していただいたマシンによって書いている。快適です。
出品者に対する「到着の連絡」において重々、お礼を申し上げた。
中でも、中古品よりも「修理」を選択したきっかけになった
ブログの記事のことを、出品者の方にお聞かせしたかった。
ブログ作者が、どれほど修理依頼者の対応と技術に感謝していたか、
その後、数年になるが、まったく不調もない、ということとか。

「電源ユニット修理」を「出品」されていた方は、他にもおられた。
が、おいらは出品ページの記載を読んで、「ブログの人は、この人だ」と決め込んで、
入札した旨なども、出品者の方にお話しした。
だが、多分、おいらの見込みは間違っていないと思う。

(もちろん、他の出品者の方も、十分な技術を持っているし、実績もあることは
 その取引数、評価から、明らかであることは、お断りしておきたい)

こちらからの「到着の連絡」を書いた後、
出品者さんから、またご連絡があった。
こういう風に、取引が完了した後でも、連絡をくださる方もいる。
礼儀正しい人は必ずそうだ。落札者にはかならず返事をくださる。
その方は、おいらがブログの記事をお知らせしたことを、喜んでくださっていた。

「直接の取引の方だけでなく、他の方のその後の状態を
 知ることができ、うれしかったです・・・」。

これ以上、何か書くのも余計なような気もしてきた。
何を書いても足りないような気も、しないではない。ただ
このマシンの、電源スイッチを押すたび、電源ランプが点灯するたびに、
おいらの心のなかで、「ほっこり」する 何かが 灯る
ような、気がするのですな~。

 ほう~ (*´ -`) (´- `*)  終わり。
 

マシンと人間と1

 投稿者:たけどん  投稿日:2010年 6月 3日(木)22時01分19秒
返信・引用
  ビケ♪さん。お久しぶりです。

そうですね。口蹄疫の問題は重大事件です。
まったく責任を取ろうという姿勢がありませんね。
村山政権といい、ど素人や、国のためにならない輩が政権を担当すると、
日本の八百万の神々の怒り、神罰が下ります(とおいらは思います)な。

鳩山首相も辞任しましたね。
小沢幹事長とともに、小林千代美議員(北教組がらみの問題)も辞めろと。
鳩山首相の辞任は、小沢サンの筋書きでしょうが、
幹事長辞任は、鳩山サンの最後のあがきだとも、いやそれも
小沢サンの筋書きだとか、今ひとつ不明ですな。

それにしても、「政治とカネの問題」をクリーンにするためとか
言いながら、小林議員には辞職勧告したのに、ご自分は
「次回の総選挙には出ない(直ちに辞職はしない)」って、どういうことよ?
次の民主党代表は、所詮、鳩山代表に残された9月の任期満了までのつなぎだし、
重要なのは、「幹事長が誰になるか」でしょうね。

と、それは置いといて。

「ヴェネツィアとナポリのお話し」や「ラ・フォル・ジュルネ」の
お話しもありますが、今回はちょっと別のお話を・・・。
やっぱあれですな。
文章ってのは、覚えたり読んだりしたばっかりの事を書くと、
イマイチな感じがしますね。
やっぱ寝かせて、自分なりに消化して浮かび上がってきたものでないと、
数字やデータの羅列になってしまって、読み手に対する説得力が
生まれない気がします。(特に、経済の話題:言い訳っぽいぞ)


「え~。おいらのマックが~」(またかよ!)
電源スイッチを押しても、全く何の反応もなくなった。突然だ。

ネットで調べると(おいらだって複数のマシンは持っとる)、
このマックG4、MDD(ミラード・ドア)というシリーズは、
電源トラブルが多発する機種らしい。電源ユニットの故障が多いらしいのだ。
Appleは、デザイン的に優れたマシンを先頭切って出すのは良いが、
やたらと機種にちなんだ<固有のトラブル>が頻発しやすいのだ。
まったく腹が立つが、買う方が悪いのか?

この機種はもう発売中止で、電源ユニットも生産されていない。
勢い「おーくしょん」、ということになる。
MDD用の電源ユニットの中古品も数種出ていた。ユニット交換くらいなら
おいらにも可能だし。状態のよさそうなのを選ぶか・・・。
と、思いきや「電源ユニットの修理」という出品があった。

中古品の方が若干、値段が安い。
「どうしよう? 中古品は中古品だし・・・修理の方が」。
迷って、もう少しネットで調べてみることにした。

すると、MDDの電源修理の顛末を、とある方がブログに書いておられた。
その方は、仕事でマックを使っていたのに、ある日突然、
電源が入らなくなったのだという。(同じじゃん)
電源ユニットが生産中止で、修理は不可能になっていたという。
そこで彼女は「電源修理します」というオークションにて
修理を依頼したらしい。
それ以来2年(だったかな)経つが、まったく故障は起きていないという。
彼女は、その修理を依頼した方の対応と技術に、いたく感激しておられた。

そこで、おいらも決断しました。「修理に決め!」 \(o ̄∇ ̄o)

質問欄でマシンの状態を書き、「電源が原因でしょうか?」と尋ねると
「何か特別の改造やカードを使っていなければ、その可能性が高いです」とのこと。
「完全に修理が完了した後に、代金をお支払いいただく」事にしているそうなので、
とりあえず、電源ユニットを外して梱包して送ることにした。
もしユニットに異常がない場合は(それも非常に困る事態だが)、
落札代金は不要。送料だけ負担してくれればよい、とのことなので、
とりあえず、電源ユニットを外して梱包して送ることにした。

テキトーな箱にクッション材とともに突っ込んでみたのだが、
サイズが60(縦+横+長さの合計cm)と、サイズ80では料金が違うのを
知って、箱を測ると、60を越えていた・・・。
そこで箱をカッターで切って、小さくして、中にギチギチに詰めて
なんとか60サイズに収めた。

ここでちょっと気になったのは、出品ページに書かれていた
出品者住所と、連絡蘭で教えられた住所が、違う県になっていたことだ。
「そういうこともあるかな?」 と思い、とにかく連絡蘭に書かれていた住所に送付した。

その後、連絡蘭に投稿があったというメールが来た。
ドキドキしながら連絡欄を覗いた。
「もし電源が原因でなかったら・・・どうしよう?」
新規の連絡をクリックすると、ポップアップウインドウに新しい
メッセージが現れた。

「お世話になります・・・(中略)
 電源は電圧も正常であり異常は認められません。
 このメッセージもお送りいただいた、電源を乗せたマシンにて、書いております」

・・・ガ━━(゚Д゚;)━━ン!

では、一体、何が原因なのだ? これから おいらは
どうしたら、

いいのだ?! (2回で終わる予定で、つづく)
 

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