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民主主義はお好き?

 投稿者:たけどん  投稿日:2009年 8月28日(金)23時28分45秒
返信・引用
  どのような政策を持とうが政党の勝手というか、それこそ自由なのだが、
問題は、「リベラルな民主主義政党」というイメージを国民にもたせながら、
実際の政策においては、社会民主主義、共産主義的な政策を掲げており、
しかもそれを彼らのカンバンである「マニフェスト」に謳っていない、ということだ。

これは寄せ集めの議員の中に、旧社会党議員がかなり入り込んでいるためだ。
メディアに露出する民主党議員たちは、リベラルでソフトなイメージだが、
事務局を旧社会党に握られてしまっている状態にある。
民主党の支持団体を見れば一目瞭然。「自治労」に「日教組」。
自治労を支持団体に持ちながら、公務員改革なんか、できるのか?
民主党のいう改革対象の公務員てのは「霞が関の官僚」だけってことかね?
本来なら、政権になど縁のなかったはずの連中が、いままさに
政権を手中にしようとしているわけだ。

なぜ、あれだけの大所帯でありながら、党首が代わるときに
同じメンツしか、出てこないのか?
イキのいい若手が、ダメもとで出てきてもよさそうなもんだが。
なぜ同じメンバーでグルグル回しているだけなのか?

鳩山代表が「日本は、日本人だけの所有物ではない」。と
ニコニコ動画生放送で言ったのをおいらも見たが。
これは生放送でつい口から出た言葉ではない。
彼は既に十年くらい前の「論座」という雑誌に掲載された論文で
同じことを書いているのだ。つまり彼の政治信条というわけだ。

在日外国人に与えるのは「地方参政権」だけではない、「国政参政権」も
与えるべきだというのが、彼の目標らしい。(HPで書いていた)
しかし、彼はいわゆる左翼のような日本解体をめざしているわけでもないらしい。
彼は「ホンキ」で、「友愛」政治をやる気らしいのだ。
内政に関しては友愛もいい部分もあるかもしれないが、
外交においては害悪だ。
もっとも「外交辞令」として友愛を打ち出すことはありうる。
しかしそれはあくまでもリップサービス、有効な「ツール」として口にするだけだ。
外交関係において「友愛」だの「思いやり」だのは、ありえない。

<おいらの意見>
「相手のいやがることはしない」だの「友愛」だのは、タテマエとしては大いに結構。
有効にな手段として使えることも、ある。
しかし、それがホンキなら国益を損なう以外は、何も得られない。
「相手国を刺激するから」と実力行使を控えて、拉致被害者は帰ってきたか?
コメ支援をして、核開発を中止したか? ミサイル発射を止めたか?
尖閣諸島は? 春暁ガス田の開発を中国はやめたか?
竹島はどうなった? 今は対馬まで韓国領だと言い出しているではないか。
お話し合いで解決できる外交案件など、ほとんどない。
外交が力を持つのは、その背後に力(軍事力)による裏付けがあるからこそ、なのだ。
軍事力は使うだけが能ではない。持っていることにも大きな意味がある。

しかし、鳩山由起夫代表は、「ホンキ」だ。
東大法学部卒のお坊ちゃんサヨクのまま、今日に至っているらしい。
まあ、鳩山代表などは、しょせん現時点でのカンバンにすぎない。
選挙後どうなるかもわからない。
民主党が、本当に「衣の下の鎧」を見せるのは、来年の参議院選挙後、
になるだろう。

以上はおいらの考えなので、反対な方もおられるだろう。
まあ、それでもカマワンという人も、それはそれで
おいらが文句を言う筋合いはない。どうぞ民主党をお選び下さい。



それに劣らず、いやそれ以上に問題なことがある。
それは・・・<マスコミ>。

おいらはほとんど地上波を見ないが、メシ時などにニュースを視たりする。
しかし「あれれ・・・?」。
ワイドショーと区別がつかない。
NHKでも民放でも「わが国・・・」というセリフを聞いたことがない。
政局絡みの報道で言うと、あまりにも「世論調査」が多すぎる!
これは異常だ。

昔は世論調査など、年に一回か二回。成績表のような感じでやったものだったが
今はしょっちゅうやっている。それどころか世論調査で政権を動かそう
としているような感もある。選挙直前なのに「民主党が三百議席?」などとやってる。
こんなのオカシイだろ? フランスとかだと選挙前は世論調査は禁止だと聞いている。
まるでマスコミが「オレ達が政権を変えてやる」ってな感じさえみえる。
さすが「第四の権力」だな。

テレビなどのやる世論調査は、昼間、固定電話対象なのだから、
昼間テレビをよく見ている家庭の主婦がほとんどとなる。つまり、
自分たちの流した報道によって意見を形成した者が対象となるわけだ。
メディアの思うような結果が出て、当然。
新聞でも、「朝○新聞」のアンケートに、朝○が嫌いな人が答えるかい?
結果は大方、予想できるってもんだよね。

「政府の支持率が○%下がりました」。おいおい毎週のように調査やって、
まるで、株価じゃん?
株価の報道もやるよね。ニュースの最後に必ず。あんなの一般人に関係あるかい?
株価も上がったり下がったりが「当たり前」なの。
本当に気になる人はもっと細かく調べるでしょ。自分で。
支持率なんかも、同じでしょ。上がったり下がったり。年一回くらいやって、
「ふーん。世論はこんなふうか」と政治家も横目で見るくらいでいいのさ。

それがどうだ? 世論調査で政権まで変えられる世の中なのか?
まるで、<マスコミに誘導された衆愚政治>そのものだな。
マスコミの高笑いが、聞こえてきそうだ。

しかし、流れは「民主党」。これは変わるまい。
だが民主が政権を取ったとしても、政権運営は混迷するだろう。
日本の終わりの始まり、となるのか。それとも、
日本がより強く甦るきっかけとなるか? どうなるにしろ、日本は大きく揺れる気がする。


在日外国人に地方参政権を与えたら次は国政だ。
それに一度与えた参政権を奪うことは、不可能に近い。
移民一〇〇〇万人? 誰が来るんだ? 欧米から来るか?中国朝鮮半島でしょうが、
対馬みたいな小さいところにドッと来られたら、あっという間に・・・。
原子力発電や、基地問題など、国政の重大事でありながら、地方自治体に
権限のある問題も多いので、「地方参政権なら」と安易に外国人に与えることは
危険なのだ。
それと言っておきたいのは、民主党の「沖縄ビジョン」。
調べてみて下さいな。


さて、民主党の悪口を書きまくった感じでしたが、おいらは、けっして
このままの自民党政権でOKと考えているわけではありません。
「ごみ」と「毒が混じったごみ」のどちらがマシか?という選択だと思っております。
身も蓋もありませんが・・・。

だれの言葉だったか・・・
「民主制では、よい政治を作ることはできない。
 民主制ができることは、悪い政権に罰をあたえること、排除することだけである」
まさにそのとおり。われわれは罰を与えようとしている。

民主制というのは、政治形態の一つでありますが。「民主主義」というのは
イデオロギーです。ひとつの政治形態に「・・・主義」と名付け、
たかが、ひとつのイデオロギーに過ぎないものを、全世界の普遍の真理だなどと
のたまうことこそ。危険なのですな。

「ナチス」の始まりは、民主的な政権選択から始まったことを忘れてはいけない。
けっしてヒトラーが暴力的手段で、政権を奪取したのでは、ないのです。
ソ連も「全世界に誇るべきすばらしい民主的憲法」を作った後で、スターリンは
政敵の粛清を始めたのですな。


・・・・衆愚? まさに、そうですね。(おわり)
 
 

二大政党制はお好き?

 投稿者:たけどん  投稿日:2009年 8月27日(木)20時31分22秒
返信・引用
  まー、梅雨が明けたと思ったら、お盆が来て、
お盆が過ぎたら、夏が終わった感がある。早いモンですな。

今年の夏は○潟県の代表が、ななんと決勝まで進出したとあって驚いた。
毎年毎年、一回線で負けるのがデフォだったのが、こんなこともあるかと感激した。
興奮しましたな。素晴らしい決勝戦だったし。まったくもって、すげえ。
今年は、おいらの親父率いる少年野球チームも、県代表として東京へ行きましたが、
沖縄代表にひねられて一回線で帰ってきました。それでも立派なモンだ。
帰りにお台場で、「でっかいガンダム」を見てきたらしい。(くそ~)

おいらなんか、ちっとも立派じゃないし、海にすら行ってねえ。
それでも、プールにはたくさん行った。
肌は焼けてるし、おいらのふくらはぎは立派になった。走り込みのおかげだ。
しかし、お盆の15日には、ウィンドウズマシンのHDが逝っまった。
新しい(実は中古)のHDを入れて復旧したと思ったら、今日また死んだ。もうやだ。
バックアップは取っていたので、ロールバックは可能だが・・・。
「これだから夏のイベントは、予想もつかないほど素敵なのさ」だ。


そんでもって、この夏最後の「大イベント」といえば、選挙!

そんなのあまり関心がないだの、行くつもりはないだの、一応行くけど、的な人が
多いのではないかと、推察したりもする。
世間の流れでは、勝つのは民主党。三百議席に届きそうらしいじゃん。なんで?


これまでの自民党政権に不満タラタラな人、とにかく政治には政権交代が
必要だと思っている人、よくワカランが「勝ち馬に乗る」投票をしたい人。
とまあ、「このままじゃいけない」「変えなきゃ」
「どうなるか分からんが変わるなら」と考えている人が多いのかもしれない。
もっとも、これまでも変わるかと思わせて、何も変わらなかった、悪い方に変わった
という目にさんざん会ってきてる国民なのだが
それでも同じ政権よりも、新しい政権に期待してみるか、という考えをなのだろう。


で~、自民党と民主党の「二大政党制」に、日本もめでたく移行して、
政策でヘタ打てば、もう一方へ政権が移るという緊張感をもって
政権担当政党は、施策をするようになる、というワケだ・・・・ホントか?


アメリカは二大政党制ってよりは、大統領制だから厳密には違うし、
世界で二大政党制って、イギリスとオーストラリアかニュージーランドだったか、
どれくらいあった? それで上手くいってるか? 足の引っ張り合いじゃねーの?
長期のヴィジョンに立った政策を立案実行できないという最大の欠点、
それも国民の衆愚の声に反しての(これから先々絶対必要な)政策なんぞできないぞ。
長期政権によって、継続した政策による日本の発展をうらやでいる
国もあることは、知っておいても損はないだろう。
二大政党制がすべてにおいて「優れている」わけではないのだ。
そうは言っても、現時の日本においては、自民一党独裁体制に
辟易してる人が多いだろうから、説得力はないかも。

おいらもこれまでの与党自民党は、安心しすぎて
長期的なヴィジョンももたず、政策も場当たり的、外交も弱腰という
ぬるい政権運営に終始してきたのも事実、と考える。
ここは一発下野しろや!という思いもないではない。
だが、それは決して民主党の政策に期待しているからではない。
断じて!

というわけで、おいらは余の趨勢に逆らって
「民主党に疑義の眼差し」を向けていきたいと思う。


さて問題は、メディア等が「選挙の争点」が<政権交代>だとかぬかしていることだ。
政権交代なんぞ、争点にならないよ。
まずもって、政権交代ありきかよ。
振り返って、みなさんは、これから政権を担うであろう民主党について
どれくらい知っている?


「マニフェスト選挙」とやらは民主党が言い出したと思うのだが、
どこの政党もマニフェスト(公約)を出しますな。自民、民主以外は
実現性がないので無視ですが、どちらもあれですな
「おカネをどう分けるか?」ですな。とくに民主党は財源についての説明が
全くなってない。それに経済対策について「?」。外交についても「?」
ないも同じ。
マニフェスト選挙というからには、政権掌握後は実現してくれるんでしょうか?
自民党のマニフェストなんぞ、本気で実現する気があるならとっととやって
しかるべき政策ばかりですな。特に外交。

そして、問題なのは民主党が「マニフェスト」として公開している政策が
全てではない、ということなのだ。
というのは、民主党の「政策INDEX2009」にはあるが、「マニフェスト」には
掲載されていない政策が散見されるのだ。
INDEXは民主党の政策の党内での到達地点ということなのだからマニフェストに
記載して然るべきものなのだが?

それは「外国人地方参政権付与」「改正国立国会図書館法」「国立追悼施設の建設」
あと、「夫婦別姓」「慰安婦、強制連行等戦時補償」などだが、
党の政策の到達点としてのINDEXにあるのなら、なぜマニフェストには
記載しなかったのか? 理由はこれらの政策が議論を巻き起こすこと必至だからだ。
「国立国会図書館法」の改正とは、図書館内に「恒久平和調査局」というものを置いて
戦時大戦における日本の不法残虐行為について調査研究するというもの、
「従軍慰安婦」だの「強制連行」だの「日本軍の残虐行為」だのを恒久的に
アジア諸国に対して謝罪し続ける、という法案ですな。

これまで4回ほど提出されて
廃案になっていたようですが、いよいよ本格的に・・・ふざけんな。ですな。
ウソであろうとデッチ上げだろうと、日本が行った(らしい)戦時中の犯罪を
追求し続けるという機関を設けると。
言っておくけど、講和条約を持って終わった戦争について非難し続けるような行為は、
新たに戦争をしかけてるのと同じなんですぞ。

国立追悼施設など作って、一体誰が行くというのか?
千鳥ヶ淵の戦没者墓苑でさえも誰も見向きもしないというのに。
そんなものが靖國神社の代替になると本気で考えているのだろうか?
A級戦犯が合祀されているから、彼らは犯罪者だからというのか。
法案提出者は、日本が独立後に、すべての戦犯は国内法においては
犯罪者ではないという国会での全会一致決議がなされたことをを知らないのか?
新たな施設を作って靖國神社をないがしろにして喜ぶのは、誰だ?
実は、靖國神社など中国にとっては大して問題ではないのだ。
(それが証拠に、1985年まで中国は全く首相の靖国参拝を問題にしてなかったのだ)

要は、外からの干渉によって「日本の政策、政府見解を変えることができる」、
という事実なのだ。
この代替施設の建設は、まさに国の戦没者慰霊という日本の伝統にたいする
外国の意思による変更、の大きな成果となる。
この法案はそのための政策というわけだ。


とまあ、以上の話には賛否両論ありましょうが、
ともあれ、これらの政策を掲げることは、まったく構わないし、
推進するのも、政党としては、まったく正当なことでもある。
問題は、
このような議論の的となるような政策について、
マニフェストに、まったく載せていないということなのだ。
「マニフェスト選挙」と銘打って、政権奪取したのならば、
マニフェストを実現するのは、当然のことだ。
それは国民の選択によるMandate(委任)を受けたと言えるからだ。

しかし、マニフェストに掲げていない政策については、どうなのか?
参院でも多数を取り、衆院でも多数を取った途端にマニフェストには掲げなかった
政策をやり出すというのは、正当なことなのか?
もっともうすっぺらい「マニフェスト」には「詳しくはHPで」、とか
書いてあるらしい。そこは抜かりはないだろうな。
マニフェストすら、読まない国民が、そんなの分かるわけがない。

更に困ったことには、民主党議員ですらも、これらの政策について知らない者が
少なくないということなのだ。なぜなら、政策INDEXは党内で議論を重ねて
作られたものではなく、一部の上層部によって作られたものだからだ。

なぜか?
一般の国民は、自民党は保守、民主党は保守だがリベラルと単純に思っている。
これが社民党や共産党のようなスタンスの政党なら、政権を任せるのに躊躇するはずだ。
日本の民主党は、アメリカの民主党のようなリベラル政党だと思っているに違いない。
だが、大違いなのだ。


民主党には「党綱領」が、ない。(゚ω゚)?
党としての政策理念や基本的な政治方針が明確で、ないのだ。
実は作ろうとしたのだが、まとめることができなかったのだ。
つまりは、選挙のために政治思想の違いを超えて(←善く聞こえるが)、集まった
選挙対策政党だからなのだ。

(つづく)もっと早い時期に書けばよかったかな。
 

しらないと分からない

 投稿者:たけどん  投稿日:2009年 7月27日(月)23時24分16秒
返信・引用
  Buona Sera  (@ ̄∇ ̄@)/~  Mi chiamo Takedon.
(こんにちは又は、こんばんは) (私の名前はたけどんで~す)

Non me ne importa. (・ω・)
(知ったこっちゃねーよ)

イタリア語にかぶれている(かに見える)おいらですが、
まったくイタリア語とやらいう言語の「正体」が見えてきませんな。
なんてゆーか、言語の骨格でしょうか。
文法もやっているんですが、新しいもの、すべて唐突な感じがして、
統一した「文法」という姿を構築できていない。タダ憶えるだけ~。
これは結局、「英語の文法」がアタマにこびりついているせいなのでしょうな。
つまり、英分法基準で考えている(つまりS+V+O だの S+V+C だの)から
分からないのであって、イタリア語にはイタリア語の
筋の通った文法は、あるはずなのですから、な。

ヤツらのことばの使いの「キモ」をとらえなければ、ならない。

だいたい奴らは、「主語」を言わないのがフツー。ってなんだよ?

  Ti do qesto adesivo.(このシール、あげる)。

単語ごとに訳すと、「きみに、あげる、この、シール」となるわけだが。
動詞である「do」は 「dare」の二人称現在、つまりイタリア語の動詞は
主語の人称によって変化するのだ。

dare(与えるの活用)
 私(io)一人称単数・・・do
 君(tu)二人称単数・・・dai
 彼、彼女、あなた(lui、lei、Lei)三人称単数?・・・da(aの上にアクセント記号有り)

 私たち(noi)一人称複数・・・diamo
 あなたたち(voi)二人称複数・・・date
 彼ら(lolo)三人称複数・・・danno

動詞dareは、do/dai/da/diamo/date/danno と、活用するのだ。
英語のように三単現で「s」をつければいいという単純なものではない。
それにしても、あなた(Lei)は、君(tu)と同じに人称のハズなのに、
なぜ、彼彼女と同じなのか? それはまだワカラン。

そして、「Ti」が先頭に来ているために、英語脳では、
「君(You;二人称)」なのに、なぜ「do」なのか?「dai」なのではないかあ!
という間違いを犯してしまうのだな。
よく考えてみれば、この文の主語はジツは「io(私)」であり、
「ti(君に)」は、目的語なのだから、doで正しい、のだ。
というか、言い換えればイタリア語は、主語を言わない変わりに、
「動詞の活用形」で、<主語を判断>する、言語なのだ。

ビケ♪さんの言われたように、「形容詞」が名詞の後に来る、というのも
英語脳になればなるほど、ユルセナイ事実だ。
しかし、ジツはこれには例外が、あるのだ。

一般的に形容詞は、名詞の後に来る。それは修飾される名詞を
一般の同様のものから区別する特徴や性質を客観的に述べるとき

 una  ragazza  bella (客観的に見て、他の娘より美しい娘)だが、形容詞が前に来ると、

 una  bella  ragazza (主観的に見て、すてきな美しい娘)となる。

もう一個。

 un  ragazzo  povero(貧しい少年)だが、逆転すると

 un  povero  ragazzo(かわいそうな貧しい少年)と、主観が入った表現となる。

※ ragazza (少女)、ragazzo(少年)、bella(美しい)、povero(貧しい)

あれれ、なんかつまんない話になってますな。
それよりも、あれだ。ヘンデル、ヘンデル!
ヘンデルのオペラ「アルチーナ」(ARCHIV: アラン・カーティス指揮、
イル・コンプレッソ・バロッコ)を買いましたな。輸入盤。
歌詞みた。うーん。わからん! 単語とか。
まだ歯が立たん。ヽ(  ̄д ̄ )ノ オテアゲ 英語訳みて分かったりして。

やあ、いいですな「アルチーナ」。
CD三枚、飽きずに聞き通せましたね。他のオペラも手を出したいところだが、チョット待て。
今年は、ヘンデル没後250周年だそうじゃないですか?
なんてこったい! ヘンデル・イヤーじゃないですか。
誰も教えてくれねえ。
くには一体何をやってるんだ? 何が福祉だ?
何、解散なんかして選挙してんだ。
不信任案否決されたじゃねーか。任期満了までやれよ。

ついでに、図書館いってヘンデル関連の本を探してみた。
ホグウッドの書いた「ヘンデル」という分厚い本があったが図書館にはない。
それどころか、ヘンデル関連の本なんて、ない!
驚くほど、ない。
バッハはケッコウあるけど、ヘンデルは無い。この状況の一体何処から
「バッハと並ぶバロックの巨匠」などと言えるのか?

と、一冊だけあった。「ヘンデル オペラ・セリアの世界」(春秋社 ウィントン・デーン著)。
これは、おあつらえ。
読み始めたが、なんだかな~。というのは、この本じゃなくて
この時代のオペラのありようってか、聴衆のいい加減さってか、
台本、演出家のアイロニーのエグさ。超一流のカストラートの栄光(わがまま)と、
二流のカストラート以下の歌手のあつかいのひどさ・・・etc。

それにもまして、古楽復興以前時代における、バロック・オペラのあつかいの
いいかげんってか、扱いのマズサ、探求心の無さ。
ソレとは別に、なぜヘンデル自身が、オペラに見切りを付けて
オラトリオに乗り換えたのか・・・などなど。
まだ読みかけですので、そのうちまた。

バロックのオペラ(セリア)を、アリアの一連の連なりであり、
好きなように切り分けて取り出し、使い回す・・・まるで現代の
名曲、名旋律集のCDのような扱いを当時から受けていたことは、驚きだった。
パスティッチョ・オペラ(自作・多作を問わす切り張りして
つくられたオペラ)が流行していたというのも驚くにはあたらない。いやはや。

バッハなら、こんな仕事はやってられない、てか、
最初から、やらないだろうな。
人気作曲家になれば、高収入、名声思いのままだったろうが、
人気が墜ちれば、その末路は悲惨。
「あんなヤクザな水商売は、ゴメンだ!」そんなトコだろう。
バイタリティも、世渡りの知恵と度胸も必要だね。
こんな仕事をヘンデルはどのようにこなしていったのか。
ヘンデルの特集とか、雑誌で組んでくれるんだろうな?
それともなにか、ヘンデル関連の本を出してくれないかな。
あまりにもさびしいじゃないかね?

そ、それも、ジツはおいらが知らないだけで、世間ではおいらに内緒で
「ヘンデル・イヤー」を楽しんでいるのかもしれないな。
 
    (ビケ♪こと管理人) >una  ragazza  bella (客観的に見て、他の娘より美しい娘)だが、形容詞が前に来ると、

>una  bella  ragazza (主観的に見て、すてきな美しい娘)となる。

へぇ~、知りませんでした。形容詞の位置ひとつで、
ニュアンスがこんなに変わるなんて!!!
イタリア語もなかなか。

ヘンデル関係の本ですね~、確かにバッハより少ないですね。
私もあまり、ヘンデルが好き~~~っっ、
てほどじゃない、という理由はありますが、
10月にやっと、ヘンデルイヤー的イベントを
やることにしました。(レクチャーですが)

チェンバロ曲は・・・いまいちなんですよねー
鍛冶屋も、有名だけれど演奏効果的には ? ですしねー
うーん・・・

たけどんさん、イタリア語ますます磨きをかけて、
また教えてください! ボンジョルノ!(いい一日を!)
 

Re: ゼロから始めるイタリア語

 投稿者:MIAU  投稿日:2009年 7月18日(土)13時52分36秒
返信・引用
  > No.323[元記事へ]

>ビケ♪様
んふんふ。
フランス語ならディクテーションじゃなくて「ディクテ」ですわねん。
単位を落とし続けて?年も勉強したのに(笑)、ボンジュールしか言えませんわ。
ほほほ。いや、とほほ。
 
    (ビケ♪こと管理人) そっか。ディクテか。なんか尻切れトンボな感じ。
だいたい、フランス語は日本人に合わないと思う。
読まない子音なら書くな!って思うのは
私だけではないハズ・・・(笑)
 

ゼロから始めるイタリア語

 投稿者:たけどん  投稿日:2009年 6月21日(日)22時11分31秒
返信・引用
  ケサラさん。こんにちは。
いや~、ビケ♪さん以外にレスポンスがあるなどとは、
非常に珍しいことなので、思わず怖くなって、一瞬、Σ( ̄□ ̄;)
逃げようかなどと思った今日この頃。
そんな根性だから「ブログ」ができねーんだ、との説もあり・・・。

ま、冗談はさておき。カンツォーネがお好きとか。ほお、言葉が分からない?
ま、おいらもバッハのカンタータなど、タイトルはまだしも(まだしもぉ?)
内容はほとんど分からず、音と、ふんいきだけで
楽しんでおりますので、ヽ( ゚∀゚)人(゚∀゚ )ノ ナカーマ ですね。

イタリア語にしても所詮、「輸入盤のタイトルが読めればいい」くらいの
ものですしね。しかし、たとえば、
「バッハの二声インベンションの一曲だけ弾けるようになりたい」と
思ったとしても、基本的な指の訓練とかは、しなければならないわけです。
同じように、動詞なら、基本形(男性単数)の形、つまり動詞の変化の仕方
が分からなければ辞書も引けないわけですから。
(実は頭の部分だけで推測して引けますけどね)

とは言え・・・。
たとえば名詞に付く「不定冠詞」の場合、
その名詞が「s+子音、z(x、y、gn、ps、pn)で始まる場合」と
「それ以外の子音や母音(半母音化したi、jは除く)で始まる場合」で違う、とか。
しかもその上、その名詞が「男性名詞」か「女性名詞」かでまた、違う、とか。
ふ、ふざけんな。でしょ? このうえ「不定冠詞」を考えると、頭痛い。

「それにしても語学は『習うより慣れる』でしょうね」・・・

ケサラさんが良いこと言った!
そうなんですよね。「こんなのムリ。憶えられない」と
思った瞬間に、記憶する力は働かなくなるんですよね。慣れ慣れ。
まだ、いーや間違えても、何度でもテキストの前のページ読めばいいじゃん。
そうすると、憶えている語が一つだったのが、三つ四つと増えてくじゃん。
また忘れたら、また憶えりゃいーじゃん。テストもないしね。

「小さなお友だち」ならね、いしっしジュニアとかなんとかで、
優しい先生から、紙芝居やイラストで、たのしく外国語(主に英語)を学べるわけだが。
キャッキャッ〇(*´∀`*)〇 (←ちっちゃなお友だち)
「おっきなお友だち」は、そうはいかない!

ワッカんねーよヽ(`Д´#)ノカネたけーよ(←おっきなお友だち)

ただいま「ゼロから始めるイタリア語」の第5課<形容詞>、まで
進んできましたが、その前の課までも、半分も憶えてません。
でもいいのだ。何度でも前に戻れば、いいのだ。
カセットテープも120分を3本、また買って来ました。
前のテープは、せっかく録音したのに、不注意でレコーダーのフタを
しっかり閉めないまま、録音ボタンを押したらテープが絡まってグチャグチャ
になってもう聞けなくなりました。
120分テープは特に薄いので、絡まり易いのだ。でも泣かない!
 ぬうん o(`ω´*)oんんんんん~~~!

一時間走りっぱなしとか、一〇〇〇mバタフライを目標に決めたときも、
最初は、「まあ無理」と思ったもんだぜ。それに比べたら
せっかく録音したテープが絡まってダメになったとか、文法が憶えられねーとか
まったく問題にならねーぜ!φ(・ω・´)コツコツ

とまあ、まったくスチャラカな状態ですが、少しずつ前に進みたいと思います。
ゴールはありません。「継続は力なり」ですがまあ、どうなりますか。

ケサラさん。ご返事ありがとうございました。
いつにも増して、好き勝手な文章を書かせていただきました。
管理人様には、いつもご迷惑をおかけしております。
が、あまり反省はしておりません。

では、この辺で。[Ecco un libro.](ほら、一冊の本があります)
        [Ecco due libri](ほら、二冊の本があります)
 
    (ビケ♪こと管理人) ケサラさん、こんにちは。
たけどんさんも、なんか、がんばっていらっしゃいますね~
形容詞、終わりましたか?
私、形容詞が名詞の後に来るってのが、
初めのうち、許せなかった口です・・・(^^;

語学は本当に、慣れと継続。
覚えるよりも忘れるスピードの方が、年々速くなるし。
忘れた分を今度は、それより多くチャージしないと、
元に戻らないっていう・・・

私のドイツ語なんかもう、惨憺たる物ですよ。
手紙を書こうと思ったら、まず、名詞の性を確認するのに、
8割くらいの名詞を辞書で引かなきゃならなかったり・・・

「ドイツ語にはなぜ、女性と男性だけじゃなくて、
中性名詞があるのさー!ニューハーフ???」
(たいていのドイツ語レスナーの初めの疑問でしょうねぇ)

ちなみに、授業2年取って、星の王子様の原文のディクテーションまで
やらされたのに、全く身に付かなかったのはフランス語です・・・
 

Re: イタリアン・ウイルス変異

 投稿者:ケサラメール  投稿日:2009年 6月21日(日)17時27分22秒
返信・引用
  > No.321[元記事へ]

たけどんさんへのお返事です。
たけどんさん 良くまあお調べで ご立派です。自分はカンツォーネが大好きですが、その意味が不明。歌手の「かとりーな」が公演で説明してくれますけれど、わかるのはその単語のみ。調べたいと思えども、英語と違って一般的でありません。それにしても語学とは、「習うより慣れる」でしょうね。
> またまた、ヘンデルのオペラ「リナルド」「アレッサンドロ」「ジュリオ・チェーザレ
> (ジュリアス・シーザー)」の抜粋盤を買ったわけだが、
> ビケ♪さんの仰るとおり、いいですね~「リナルド」。
> で、
>
> 局地的に、非常なもういを振るっているイタリアン・ウイルスだが、
> この「H2V5型」(ヘンデルが2割のヴィヴァルディが5割配合、あとコレルリとか)の
> ウイルスは、新型ではないが変異するので、やっかいだ。
>
> [Amor,hai vinto]だの[Cessate ,omai cessate]だの
> ヴィヴァルディのカンタータを聴いてて、ふと思った。
> 「これ、何て歌ってんだろ?」→「知りてえ」→日本語訳ない
> → イタリア語分からん
> →習えば?→お金ない→辞書でも買えば?→高い→「ヤフオク」。(変異完了)
>
> もっとも、辞書だけでは不足だろうから、イタリア語の初歩文法も買った。
> 「イタリア語小辞典」(300円)、
> 「ゼロから始めるイタリア語、文法中心、CD付き」(800円)
> さて、どうするのか? (・ω・)・・・発症した
>
> まず[Amor,hai vinto]から調べてみた。
> Amorは「愛」だな。haiは「avere(持つ)の直現二単」。vinto「敗者」。
> え~と、「愛は、敗者を持った」。いや、avereの意味が、持つじゃないかも。
> と思ってたら、CDには、英訳が付いていた。[Love,you have won]
> ああ、「愛よ、お前は勝った」だ。
> avereが haiになってるから。直接、現在、二人称、単数で、
> 敗者を「持った」のは「愛」だ。つまり、愛の勝ち。
>
> [Ecco il mio seno da'tuoi strali trafitto.]
> ええ~、「ほら、お前の矢が突き刺さった私の胸を見よ!」てことで、
> [Amor]も、愛の神のことですな・・・って、やってヽ(`Д´#)ノ  られっか~いっ!
> と言いつつ、書店へ行ってNHKのラジオ講座のテキストなんか見てみた。
> ラジオテキスト(380円)、CD(1,500円)。CD高いぞNHKはアコギだな相変わらず。
> テキストだけ買ってラジオ録音しよう、と思った。
> 120分テープに4日分(1日15分、テープ片面60分)録音したところで、
> 間違えて上から「ネットラジオ」を重ねて録音しちまった。ヽ( 。∀゜)ノはれ~
>
> だいたいイタリア語ってなんだ!
> なんで男性名詞だの女性名詞があるんだ。んでもって名詞の前に付く
> 「不定冠詞(英語のa)」も
> 「定冠詞(英語のthe)」も、名詞の性によって変わるって、なんなんだよ?
> 発音はワリと簡単そうだが、hを発音しないのはなんでだ。
> 「ハッ」と声を張るのがめんどうだからか? 温暖な気候でひよった奴らだ。
> 発音も文法も、論理的ってよりは、「その方が発音すんのがラク」だからって気がするぞ。
> 勝手に主語省略したり、[’]で、単語くっつけて短縮したり。
> それに会話を聞いてても、英語のように引っ掛かりがナイ。
> 慣れていないせいもあるだろうが、抑揚があまりなくて「ズラズラズラズラ~」と
> 一気に流れていく感じだ。捉えようがない。
>
> [Non mi piaccino le carote.](私はニンジンが嫌い)
> こんなの1秒で言われても、ワカルかい!
> しかも[R]の発音はいつも巻き舌だ。[L]は、舌を上の歯茎に付けて発音だ。
>
> とまあ、なかなか楽しいイタリア語ですが、別にイタリア旅行の予定はないし、
> 話せなくてもかまわんし、ただCDのタイトルとか、歌詞とかだいたい分かれば
> いいのだし。でも、やっぱ一応の会話くらいはできるようにもなりたい気もする。
>
> ともかく、こんなんでヘンデルの「リナルド」中の大名曲、
> [Lascia ch'io pianga]を訳してみた。(タイトルだけじゃん!)
> なんか、ダウランドの「ラクリメ」のイメージが先行してるからか
> [Lascia]が、涙っぽい言葉かな、と思ってたら違った。
> 「捨ておく、放っておく」みたいな意味。
> [ch'io]は、関係詞che(~のところの)とio(私)がくっついたもの。
> [pianga]は、piangere(泣く、嘆く)の、なんとか型だ。
> つまり、「嘆いている(ところの)私を、放っておいてくれ」だ。
> あ、発音?「ラッシャ・キオ・ピアンガ」だ。(ラは巻き舌にならないように)
>
> なんだかねー、言葉が持って回ってる感じがしますな。
> 「私はニンジンがキライ」も。「私がニンジンを好き、ということはない」みたいな
> 意味なんだけど、これって、イタリア人が「否定的な言葉」がキライってことなのかな?
> 「好き」という言葉はあるけど「嫌い」って言葉がない、とか? あれ、あるな。
> まだ、語彙もないし、よく分からないけど。
>
> まあビケ♪さんくらいになれば、この程度のイタリア語は造作もないんだろうけど。
> いい年したオヤジが始めるのは、きっついの~。とこまで続きますかね。
> (今月いっぱいだね)(´‐ω‐`)ノシ どーせ
>
>
> それはともかく、今回おいらに「イタリア語小辞典」を売ってくださった方は
> 関東にお住まいの女性なんですけど、ダンナさんがおいらと同じ町の出身だとか。
> なんという奇遇。こんなこともあるんですねえ。(送り先の住所から)
> その方は、来月には第二子をご出産になられるとかで、
> そんな大変な中、極めて丁寧で迅速な対応をしていただきました。
> 本当にありがたい。お礼の申しようも ないです。
> オークション取引という、極めて短い時間中で、このような触れあいがあるとは・・・。
>
> お礼は重々申し上げたつもりですが、何かまだ足りない気もする・・・。
> できればこの文章を読んでいただきたい気もするけど、今さら
> 「取引ナビ」に「ココ読んで」とか書き込んだら、
> 先方を驚かせることになるかもしれんしな~。 (;´~`)
>
> これはこれで、へんてこりんな文章だし。
> 取引ナビでは、ネコかぶってたし。
> 取引中は気を遣いますよ、言葉遣いにはね。おいらだって、おとなだし。
> (↑ビケ♪さんに失礼じゃね?)
>
> とにかくこれで、ヴィヴァルディのカンタータなんかを(少し)分かりたい。
> タイトルとか。CDのジャケットとか読めるくらいにはなりたいものです。
>
>
> 来年はドイツ語の復習もしようと、たくらんでもいる ( ・`ω・´) b かも
> (終わり)
 

イタリアン・ウイルス変異

 投稿者:たけどん  投稿日:2009年 6月16日(火)21時29分50秒
返信・引用
  またまた、ヘンデルのオペラ「リナルド」「アレッサンドロ」「ジュリオ・チェーザレ
(ジュリアス・シーザー)」の抜粋盤を買ったわけだが、
ビケ♪さんの仰るとおり、いいですね~「リナルド」。
で、

局地的に、非常なもういを振るっているイタリアン・ウイルスだが、
この「H2V5型」(ヘンデルが2割のヴィヴァルディが5割配合、あとコレルリとか)の
ウイルスは、新型ではないが変異するので、やっかいだ。

[Amor,hai vinto]だの[Cessate ,omai cessate]だの
ヴィヴァルディのカンタータを聴いてて、ふと思った。
「これ、何て歌ってんだろ?」→「知りてえ」→日本語訳ない
→ イタリア語分からん
→習えば?→お金ない→辞書でも買えば?→高い→「ヤフオク」。(変異完了)

もっとも、辞書だけでは不足だろうから、イタリア語の初歩文法も買った。
「イタリア語小辞典」(300円)、
「ゼロから始めるイタリア語、文法中心、CD付き」(800円)
さて、どうするのか? (・ω・)・・・発症した

まず[Amor,hai vinto]から調べてみた。
Amorは「愛」だな。haiは「avere(持つ)の直現二単」。vinto「敗者」。
え~と、「愛は、敗者を持った」。いや、avereの意味が、持つじゃないかも。
と思ってたら、CDには、英訳が付いていた。[Love,you have won]
ああ、「愛よ、お前は勝った」だ。
avereが haiになってるから。直接、現在、二人称、単数で、
敗者を「持った」のは「愛」だ。つまり、愛の勝ち。

[Ecco il mio seno da'tuoi strali trafitto.]
ええ~、「ほら、お前の矢が突き刺さった私の胸を見よ!」てことで、
[Amor]も、愛の神のことですな・・・って、やってヽ(`Д´#)ノ  られっか~いっ!
と言いつつ、書店へ行ってNHKのラジオ講座のテキストなんか見てみた。
ラジオテキスト(380円)、CD(1,500円)。CD高いぞNHKはアコギだな相変わらず。
テキストだけ買ってラジオ録音しよう、と思った。
120分テープに4日分(1日15分、テープ片面60分)録音したところで、
間違えて上から「ネットラジオ」を重ねて録音しちまった。ヽ( 。∀゜)ノはれ~

だいたいイタリア語ってなんだ!
なんで男性名詞だの女性名詞があるんだ。んでもって名詞の前に付く
「不定冠詞(英語のa)」も
「定冠詞(英語のthe)」も、名詞の性によって変わるって、なんなんだよ?
発音はワリと簡単そうだが、hを発音しないのはなんでだ。
「ハッ」と声を張るのがめんどうだからか? 温暖な気候でひよった奴らだ。
発音も文法も、論理的ってよりは、「その方が発音すんのがラク」だからって気がするぞ。
勝手に主語省略したり、[’]で、単語くっつけて短縮したり。
それに会話を聞いてても、英語のように引っ掛かりがナイ。
慣れていないせいもあるだろうが、抑揚があまりなくて「ズラズラズラズラ~」と
一気に流れていく感じだ。捉えようがない。

[Non mi piaccino le carote.](私はニンジンが嫌い)
こんなの1秒で言われても、ワカルかい!
しかも[R]の発音はいつも巻き舌だ。[L]は、舌を上の歯茎に付けて発音だ。

とまあ、なかなか楽しいイタリア語ですが、別にイタリア旅行の予定はないし、
話せなくてもかまわんし、ただCDのタイトルとか、歌詞とかだいたい分かれば
いいのだし。でも、やっぱ一応の会話くらいはできるようにもなりたい気もする。

ともかく、こんなんでヘンデルの「リナルド」中の大名曲、
[Lascia ch'io pianga]を訳してみた。(タイトルだけじゃん!)
なんか、ダウランドの「ラクリメ」のイメージが先行してるからか
[Lascia]が、涙っぽい言葉かな、と思ってたら違った。
「捨ておく、放っておく」みたいな意味。
[ch'io]は、関係詞che(~のところの)とio(私)がくっついたもの。
[pianga]は、piangere(泣く、嘆く)の、なんとか型だ。
つまり、「嘆いている(ところの)私を、放っておいてくれ」だ。
あ、発音?「ラッシャ・キオ・ピアンガ」だ。(ラは巻き舌にならないように)

なんだかねー、言葉が持って回ってる感じがしますな。
「私はニンジンがキライ」も。「私がニンジンを好き、ということはない」みたいな
意味なんだけど、これって、イタリア人が「否定的な言葉」がキライってことなのかな?
「好き」という言葉はあるけど「嫌い」って言葉がない、とか? あれ、あるな。
まだ、語彙もないし、よく分からないけど。

まあビケ♪さんくらいになれば、この程度のイタリア語は造作もないんだろうけど。
いい年したオヤジが始めるのは、きっついの~。とこまで続きますかね。
(今月いっぱいだね)(´‐ω‐`)ノシ どーせ


それはともかく、今回おいらに「イタリア語小辞典」を売ってくださった方は
関東にお住まいの女性なんですけど、ダンナさんがおいらと同じ町の出身だとか。
なんという奇遇。こんなこともあるんですねえ。(送り先の住所から)
その方は、来月には第二子をご出産になられるとかで、
そんな大変な中、極めて丁寧で迅速な対応をしていただきました。
本当にありがたい。お礼の申しようも ないです。
オークション取引という、極めて短い時間中で、このような触れあいがあるとは・・・。

お礼は重々申し上げたつもりですが、何かまだ足りない気もする・・・。
できればこの文章を読んでいただきたい気もするけど、今さら
「取引ナビ」に「ココ読んで」とか書き込んだら、
先方を驚かせることになるかもしれんしな~。 (;´~`)

これはこれで、へんてこりんな文章だし。
取引ナビでは、ネコかぶってたし。
取引中は気を遣いますよ、言葉遣いにはね。おいらだって、おとなだし。
(↑ビケ♪さんに失礼じゃね?)

とにかくこれで、ヴィヴァルディのカンタータなんかを(少し)分かりたい。
タイトルとか。CDのジャケットとか読めるくらいにはなりたいものです。


来年はドイツ語の復習もしようと、たくらんでもいる ( ・`ω・´) b かも
(終わり)
 

バロックの立役者

 投稿者:たけどん  投稿日:2009年 5月28日(木)21時55分55秒
返信・引用
  なんか、ちまたでは「新型インフルエンザ」でもちきり、ですな。
みなさんも、マスク買いましたか? おいらは買ってません。
そりゃ、インフルエンザに罹るのはキツイが、
感染力は強いらしけど、毒性の弱いしろもんに脅えるのも、踊らされてるっぽい。
それより、本当に怖いのはやっぱ「鳥インフルエンザ」由来の、H5N1型が変位すること。

これは本当に「強毒性」のインフルエンザなのだ。
かつて全世界で、2000万以上を殺したとされる、「スペイン風邪(実はインフルエンザA型)」
のウイルスですら、「弱毒性の中では強い方」なのだ。(強毒性という説もある?)

そんな、H5N1が「ヒトからヒトへ」に変異したとき、本当の恐怖が始まる。
「マスク」なぞインフルエンザの予防に、少しも役立たないことを知ることになるだろう。
まあ、ワクチンが出来れば、インフルエンザは「あっ」という間に
沈静化するもんだが。
要は、単に毒性が強いか弱いかだけでなくて、人類が、その型の
ウイルスに出会ったことがあるか、ないかも重要だ、ということだ。

免疫ができてしまえば、感染しても発病しない、あるいは軽症で済む。
「ワクチン」とは、免疫システムにウイルスの型を覚えさせ、
「予行演習」をさせるためのもの。
だから免疫のない「新型」の「強毒性」は非常に怖い、のだ。

そのためには感染したヒトから取り出した「株」が必要だし、
実用になるまで、約5か月から半年はかかる。というから自己防衛が重要になるね。
マスク・・・? それは、気休め。
感染者がかけて広めないという意味でこそ、有効なのだ。
まず手洗いだ。うがいはしたきゃすればいい。

で、マスク買わないで、CD買ってたと。(^ω^;)


ふとヴィヴァルディの「オルランド・フリオーソ」の抜粋盤、
落としたんですけど。
昔、同じ演奏の一部分が入っていた「オーディオ・チェックレコード」を持っていて、
なかなかヨカッタので落としてみたんですがが、これがナカナカ。

ヴィヴァルディも「四季」だけ、じゃないですな。
あと「調和の幻想」とか「四季」とか。えーっと。出ないな。
と、言うわけで、持っているCDを整理してみて驚いた。
「数、少ねえ~」。
丸々ヴィヴァルディのディスクは24枚しかない。
一曲二曲だけ入っているディスクは他にあるし、アナログLP盤も何枚かあるけど。

そんな中で、カンタータ「Cessate,omai cessate」が入っているCDを聴き比べてみた。
「アンドレアス・ショルと、アンサンブル415」盤(harmoia mundi France)と、
「サラ・ミングラドと、コンチェルト・イタリアーノ」盤(Opus111)。

ショルは声もきれいだし、やっぱウマイ。
で、サラの方は、ナンテ言うか。ワクワクドキドキさせるん演奏なんだよね。
ドライブ感があるっていうか、推進力とともにグイグイ引き込んでく感じ。
イタリア語なんて、ワッカンネーし、輸入盤だし。で、サラの勝ち。
サラの「スターバト・マーテル」も聴いてみたい。

うーむ。ヴィヴァルディって「器楽曲」だけじゃないな。
彼が「司祭」だったので、おとなしいイメージがあったけどね。
ってか、声楽曲もそうだけど、イタリア勢の器楽の演奏なんか聴いてると、
とんでもなさそーだ。
ヤツは意外と、くせものだ。イタリア人なのだ。脂っこい。

「ヴィヴァルディは、同じ協奏曲を200曲作っただけ」とか、言ってる人、
「四季」をバカにしてる人もいるけど、あんな前衛的な作品は他にないわけで、
わかりやすさ、親しみやすさに甘んじて、生ぬるい姿勢で演奏が多かった
ということなんじゃないの?
ちなみに、おいらが初めて買った「四季」のレコードは、アーノンクール盤だ。

ピノックなどの、スマートな演奏もいいけど、イタリア系の演奏は
「何か」語り掛けてくるよね。なんだろ?
コンチェルト・イタリアーノの「アラ・ルスティカ (RV151)」なんか
低音弦が「語る」語る。しかも、しつこく自己主張するんじゃなくて、
ポイントポイントで、サッと、ウマイことを言う感じ。
「え?今のなに。もいちど聞かせて」って。すると、また良いタイミングで
流れに沿って、口を入れてくる感じ。
スゴクいい!

こういう感覚は、北ヨーロッパ系の演奏ではなかった感覚だと思うのだが、
イタリア人特有の「何か(遊び心)」なのかな・・・?
独特のセンス、なんだろうか。
ま、全般的にはアクが強くて、テンポ速めだし。かつての
「癒しのバロック音楽」が好きな人は、「ちょっと~」という人もいるかもしれんね。
それに、このセンスが、バッハなんかだと「うまくない」場合もあるし。
コンチェルト・イタリアーノの「フーガの技法」はイマイチ、だし。


ヘンデルのオペラもなかなか興味深い、と思っているんだが、
これからどんどん「バロック・オペラ」の復興も進んでいくだろうから、
ヘンデルもヴィヴァルディのオペラ作品が上演されたり、CD化されて
いくんだろうな。

そういえば、ヘンデルってバッハと並び称されるバロックを代表する作曲家
なわけだが、代表作って何?
「水上」と「花火」と「メサイア」と~?・・・・
ああ、「調子のイイ鍛冶屋」。あれ?
そういえばヘンデルのチェンバロ曲って、「鍛冶屋」以外に何がある?
「チェンバロ協奏曲」とかあったっけ?
グールド(ピアノ)の「ハープシコード組曲」は持ってるな。

「合奏協奏曲集」と「アンセム」、「木管ソナタ集」、「オルガン協奏曲」、
「アリア集」も何枚か。
ヴィヴァルディ以上に少ないな。おいらが持ってるヘンデルのCDって。

どこが、バッハと対をなす「バロックの巨匠」なんだろ?
作品の量、質共に比較になるとは思えんけど。
ベートーヴェンが、バッハよりも上に評価してたからか(ホントか?)
それとも、19世紀の「豪華な演奏」に、適した曲を書いていたからか?
確かに、魅力的な曲がたくさんありそう、な、気はしているけどね。
オペラ作品などが、これからCD(それよりDVDかBDか)化、されてくれば
また変わるかもしれないが。
おいらが知らないだけ、なんだろう、多分。


まあ、好き勝手書いてしまったが、やっぱりこうだ。
バロックは、これからはイタリアじゃん。そしてオペラだ声楽だっ!

「異議ありっ!」( TωT)ノ彡☆ばんばん! (←某 鍵盤楽器奏者さん)


※たけどんが、イタリアン・ウイルスにやられたようなので、これで終わりま~す。
 
    (ビケ♪こと管理人) うかうかしているうちに、フェーズ6になってしまった「新型インフルエンザ」。
イタリアンウィルスも、それくらい感染力はあるのか・・・???

バロックの音楽界が、声楽中心の世界だったのは事実で、
器楽作品でさえ、声楽作品を抜きにしては語れないものが多いのは、
ご存知のとおりです。

バロックは「癒し」なんかじゃなーい!
感情の表出が、火花を散らす、そして、カストラートの
常人離れした技巧・・・
当時の人たちにとっての、究極のエンターテインメントは、
現代の私たちも、充分「驚かせる」ネタの宝庫です。

18日は、某所でオペラのお話をします。
「泣かせてください」の入っているヘンデルのオペラ「リナルド」。
当時大流行だったというだけあって、いい作品だと思います。
(Babelというイギリス人が、その中の何曲も、
チェンバロのために編曲しています。)

イタリアンウィルスは、免疫力がつかなかった・・・(笑)
 

また、買っちまった5

 投稿者:たけどん  投稿日:2009年 4月28日(火)22時04分50秒
返信・引用
  そんなこんなで、今回購入したCDを聴いてみる。
「デルメ弦楽四重奏団」盤のモダン楽器の演奏は、ややヴィヴラートが耳に付く。
「古典四重奏団」盤の方が、現在の耳にはすっきり聞こえて好感が持てるな。
これも時代・・・のなせるワザなんだろうか?

ベルゲル盤は、室内管弦楽団ではなく、フルオーケストラによる演奏。(いまどき!)
室内管弦楽団による「往年の」演奏形態を「過渡期の産物」として
追憶のロマンティックな思い出として、割り切ったおいらだが、
さすがにNHKで重厚なブルックナーなんかを演奏した指揮者。これはこれで
現代においても、堂々たる一つの主張として受け入れることができる気がする。
お、( ̄ω ̄;)おい

そして、今回おいらが注目した目玉である「補筆された終結フーガ」について
(またまた)考えてみた。

デルメの未完フーガの補筆は ドナルド・トーヴェイによるものだが、
シューレンバーグの「補筆完成の可能性」と同様、三つの新主題の
「転回形」を導入し、その後に「基本主題」を登場させる形で補筆完成している。
この「転回形」が導入される根拠は、エマヌエル・バッハとアグリーコラの
共著による「死者略伝」の記述によるものだろう。

「彼の最後の病気は、(中略)最後から二番目のフーガを完成することも、
 また、4つの主題を含み、曲中でその4声部全部が一音ごとに転回されるはず
 であった、終結フーガを仕上げることをも阻止したのである」(『死者略伝』より)

これをどう解釈するかも問題だ。「最終フーガ」がこの通りの曲だとすると
それは「鏡像フーガ」だ、ということになるのではないか?
つまり「正像」と「鏡像」の二曲(あるいは一曲だけで転回が可能な曲)ということになる。
すると、この略伝の記述が真実だとすれば「フーガの技法」は、
バッハの死により、三曲もの楽曲が未完成だったということになる。

現存する「終結フーガ」は「鏡像フーガ」とはなり得ない。
でありながら、補筆完成の作例において、三つの新主題の転回形を導入することは
妥当性があることなのだろうか?
特に第二主題の「転回形」は、鏡像フーガには向かない。(特にヘン)
よって、「転回形の導入」は、「死者略伝」の記述から導かれる一種の
「妥協案」ではあるという意味が強いと思われる。
それにしても、転回形の導入は違和感を感じる上に、記述との整合性がとれるわけでもない。
今ひとつ説得力が低いような気がする・・・。

では、現存する「終結フーガ」は、「死者略伝」(1754年)でいう所の
「最後から二番目のフーガ」なのだろうか?

その真相は判らない。この「死者略伝」の著者二人も、
バッハの最晩年はライプツィヒを離れて久しく、状況の証言者としては確実性が低い。
ただ可能性として、彼らが「曲集の完成プラン」について、バッハがまだ健在な時期、
彼らもライプツィヒにいたころ、「4声の鏡像フーガを終曲とする」というプラン
聞かされ、それを知っていたのかもしれない。
そしてバッハの死後、残された「未完成のフーガ」が、鏡像フーガではないため、
彼らはこれを「最後から二番目のフーガ」であろうとして、死者略伝に記したのかもしれない・・・。

バッハ自身が最晩年において、どのように曲集を閉じるプランを持っていた
(変更、あるいは断念した)かは知るよしもないが、エマヌエルにしてみれば、
「あの頑固オヤジが計画変更するワケがない」とかなんとか。(ありそう!)

いや~ なんとも、いえんね。( ̄-  ̄ ) ん~

さて、ベルゲル盤の、指揮者自らの補筆による「終結フーガ」だが、
これは転回形を導入する方法はとっていない。
三主題の結合でひと段落し、その後「コントラプンクトゥス1」の冒頭部
が演奏される。4声部での提示まで原曲通り。
「なんだよ~。第一曲くりかえすのかよ~」と思いきや、
提示部が終わった時点で次々と、これまでの主題が登場し結合されることになる。
転回形を導入していない分、コチラの方がスッキリした感じで
終幕を迎えることができる。
最後は徐々に盛り上げ、いかにもオーケストラ曲のフィナーレという最高潮に達する。

もっとも、こちらはこちらで、両手十指による制限などは度外視であり、
オーケストレーションによる演奏効果を念頭に置いた補筆であることは
言うまでもない。「バッハならこういう旋律の動きはしないだろな」とも、思った。
でも、これはこれで、一つの主張としてあってしかるべきと思った。


演奏習慣に関する研究が進んだ現在においても、オーセンティック(正統的な)
演奏形態以外の演奏はあってよい。
だがそれは、モダンオーケストラが最高の表現力を持っているから、など
という安易な動機からではなく、古楽演奏の正統性から発される批判に、
耐えうるだけの「説得力」を持った演奏、であるべきである。

「歴史は繰り返す」とは言うが、再び現れたものは、表面上、
過去のものと同じスタイル、フォルムを持っていたとしても、
決してそれは内容的に「同じもの」ではあり得ない。それはファッションでも言えることだ。

一歩進んで、
「イタリア協奏曲」をアンサンブルで演奏したり、「ゴルトベルク変奏曲」を
弦楽四重奏で演奏したりすることは、どう捉える?
バッハが想定していない形態での演奏だから、「邪道」だという人は少ないだろう。
なぜだ? その一方で、
メンデルスゾーンやシューマンによって、伴奏を付けられた「無伴奏ヴァイオリン
パルティータ(シャコンヌ)」は、今では邪道、ゲテものと見なされ
演奏されることもない。なぜだ?

「無伴奏・・・」に関しては、一挺のヴァイオリンで演奏するところが
キモであるから、伴奏を付けたら意味がないというのは分かりやすい理由だが。
振り返って、なぜ、メンデルスゾーンらは「伴奏」を付けようと思ったのか?
おいらが本で読んだ解説には「音が足りないと感じられた」から、とある。
しかし、本当に彼らはこれが「未完成」だと思ったから、伴奏を付けたのだろうか?

実はそうではなくて、「ピアノ伴奏付きヴァイオリン・ソナタ」の形の方が
当時の聴衆には、受け入れられやすいだろう、と考えたからではないのか?
「まずは、バッハの音楽が聴衆に受け入れられることが第一」だと。
よく本などに書かれているように、彼らほどの音楽家が、
バッハが無伴奏を書いた「意図」が判らなかった、とは思えないのだが。
(いや、バッハの自筆譜に直接書き込みしたバカもいたが・・)ゆるヽ(`Д´#)ノせん

同じく作曲者の想定した「楽器、演奏形態」を逸脱した演奏でも、
その時代の、演奏者、聴衆によってさまざまな形を取るものなのだ。

古楽演奏でも、ディヴィッド・マンロウの演奏はもはや
「演奏スタイルとしてはやや古くなったが・・・」などと言われたりもする。(古楽演奏なのにっ)
しかし、未だにバッハの声楽曲では、カール・リヒターの
「マタイ、ヨハネ」等が名盤のトップに君臨していたりもする。
時代やスタイルを越えた演奏・・・?
おいら的にカンタータなどは、現代のスマートな演奏の方、
極端に言えば、リフキンの1パート1人の方が好きだったりする。

いまだおいらが、<精神的には>若くてゲス(下司)な、せいかもしれんが。
年寄りになったらワカるんかね? (´‐ω‐`)・・さあ?

現在研究が進んでいるバッハ以前の音楽。
この先も、いろいろな研究成果や演奏者の研鑽によって、
あらたな問題を提起する演奏が提示されていくのかもしれない。(楽しみ~)
というと、まるでバッハ以降(古典派以降)の音楽は完成されていて、
もう演奏者も聴衆も、何からなにまで理解しているように聞こえるね。

<バッハとモーツァルトの間の時代に、一部の通人のみが理解できる音楽から(中略)
 新しいより自然な音楽への急激な転換が起きた。(中略)
 モーツァルト自身はバッハ以後の「感情の音楽」をきっぱり拒絶し、
 分かりもしないのに美しいと感じる聴き手を「パパゲーノ」と呼んだ。・・・>

<(モーツァルトは)、だた通人のためにのみ曲を書いているのだと強調している>

<・・・聴衆が音楽の知識と一般教養を備えていることを前提としている。
 当時、音楽の分野においても、無教養な人間が自分にも判断を
 下すことができると考える風潮が広がり始めていたので、
 モーツァルトは時に、非常な怒りを感じることがあった・・・>

<モーツァルトを単に美しいだけのもの(中略)に単純化してしまうとしたら、
 われわれはモーツァルトをモンテヴェルディと同じくらい
 理解していないことになるのではないか・・・>
(以上、『古楽とは何か』アーノンクール著より:音楽之友社刊)

・・・いやはや。
今日びの聴衆とやらの方が、なまはんかに本やらネットやらの
情報を持っている分、始末におえないかもね「分かってない」度合いの。
もちろん、おいら自身も「分かってない」やつらのひとりさね。(= `ω´ =)ケケッ


 昔からたくさんの♪♪(〃 ̄д ̄)八(  ̄д ̄ )八( ̄д ̄〃)♪♪仲間がっ!
           おれたち おんがく  愛好家~

なにより音楽を聴く側にもそれなりの教養や知識が必要とされる
音楽を好きになっちまったってことさ。
だが、相手が厄介な相手だからって、好きになることを止めることなんて
あんた、出来るかい? さ、次は何を買おうっかな~? (おわり)
 
    (ビケ♪こと管理人) 力作の書き込み、ありがとうございました。

いや~。ここまでフーガの技法を聴きこんでいる人は
なかなか、いないのではないでしょうか。

クラシック音楽を聴くにあたって、教養や知識が必要、
というより、知っていた方が面白い、ということは有ると思います。
でも、聞いた瞬間に心を奪われる演奏というのは、
聞き手に知識・教養がある・なしの範疇を超えて、
心に突き抜けるものだと思います。
そういうものに出会ってしまったが最後・・・
深みにはまる。はまるだけの、深みがあるのが、何百年と
生きながらえている、クラシック音楽だと思います。

最近、CDなども、どんどん種類は出されますけれど、
直ぐに廃版になってしまうものも多いですよね。
やはり、売れるものを多く出そうという、音楽業界の意図に
振り回されるのは仕方がないのでしょうね。
 

また、買っちまった4

 投稿者:たけどん  投稿日:2009年 4月26日(日)20時50分46秒
返信・引用
  書いているうちに、おいらがバロック音楽を聞き始めた頃の時代状況、
なかんずく、レコード演奏の形態に気づかされることになった。
図らずも・・・。

まるで「レコード会社」の意向がすべて、演奏家の意向に優先し、
言いなりだったかのように書いたが、実相はまあどうでもよい。
なぜなら、まず第一に、バロック(またそれ以前の)音楽が、
「演奏プログラム」として一般市場、聴衆に認知され、受け入れられる必要が
絶対的に必要だったからだ。(まあ、結果論と言えなくもない)

新しいムーブメントの黎明期、勃興期には、さまざまな手法、アプローチが
試みられるのは当然のことであり、その時代を、安定期(円熟期)の目で
振り返るならば、「過ち」や「行き過ぎ」が散見されるのは当然のことである。
今現在の知識、常識によって、「過去」を批評し、裁くことは容易いことだ。

それに「過ち」や「行き過ぎ」などといっても、一般のシロートどもには
関係のない話ではあるし、おいらのようにスッカリやられてハマって
しまうやからもいるのであるから、一概に不要なものであるとも言えない気がする。
だが、ちょっと考えてみれば「入りやすい」ということは「入門編」ということであり、
いわば自転車の「補助輪」であるわけで、自由に乗り回せるようになった者は
「補助輪」は必要なくなるわけだ。
自分が必要ないからといって、「補助輪」を付けて喜んで自転車を乗り回して
いる人(時代)を、「未熟」だの「自転車の真の面白さがワカッテねー」だの言うのは、
それが真実だとしてもさ・・・昔のお前もそうだったろが、と。

いや、それが「自転車を乗り回せる者の特権」だと言うか・・・。( ̄ω ̄;)む~


「フーガの技法」に話を戻すと。
「モダン室内合奏団」による演奏もいつの間にか消えてしまったが、
「チェンバロ」「ピアノ」「弦楽四重奏」「オルガン」「吹奏楽団」などなど、
様々な演奏形態によるCDが出ているのはウレシイ限りだ。

チェンバロ想定の曲のため、さまざまな問題もある、
それを<演奏形態に合わせた編曲が必須>となる、はずなのだが・・・。
たとえば、レオンハルトが論文で述べるところの一例。

「コントラプンクトゥス8番の、第16~18小節(アルト声部)の突然のオクターブ転位」。

これは譜面で見ると、アルトが第16小節目で、いきなり1オクターブ上に跳躍する。
そして、第18小節で、また1オクターブ下に転位しているわけだ。
自然な進行を疎外する、このような「オクターブ転位」を起きている理由について、
レオンハルトは「鍵盤楽器による演奏可能性のため」、と説明している。
ところが、「弦楽四重奏」「アンサンブル」演奏において、
このオクターブ転位をそのまま演奏しているCDがいくつか存在するのだ。

これは言ってみれば、「バッハが、チェンバロでの演奏を可能にするために、
正しい進行を棄てて妥協した部分であり、アンサンブル演奏では訂正すべき部分」。
ゆえに「バッハの真意が分かってない」演奏だ、と言えるのではないか?
バッハ研究が進み、古楽器による演奏が主流となった現代において
「弦楽四重奏」という形態を選んだにしては、楽譜に対する姿勢が、
「ちょっちアバウトなんじゃね?」・・・?

しかしおいらがドシロウトながら考えると、簡単には言いきれない気もする。
それはなぜかというと、
この部分を、「アルト声部のみ」の進行で考えるなら、オクターブ転位は
不自然に聞こえるのかもしれないが(よくわからん)、
3声が一緒に響くのを聴くと、この転位は一種、「アクセント」だ、と聞こえる
ものの、別段「不自然」とは感じないからだ。(シロウトだからかな?)
ピアノ持ってないし、キーボード壊れてるし、音感もねーし、
音楽ソフトも動かせないので、アルト単独での確認はしてない。
断言はできないが・・・。

もっともバッハも、両手十指による演奏の制限をそのまま放置したのではなく、
出来うる限りの工夫を持って対処したはずなので、この部分が
「演奏可能性による変更」であると見抜けたのは、レオンハルトの慧眼
と言えるのかもしれない。
おいらなんぞは何回聴いても、楽譜を見てもサッパリ分からなかっただろうから。
それに、こうした「演奏可能性」による制限や変更は、ここに限ったものではないので、
これをもってレオンハルトの「チェンバロ」想定説に異議を申し立てるつもりはない。

いや、もはや、楽譜をいかに音にするかについては、演奏する側を信用して
オマカセするということにしとこう・・・。
これ以上書いても埒が明かんし。

それでも、なんだかんだネタにして、考えるのも楽しいんだ。ぶっちゃけ。(*´3`*)

・・・・で、終わったかとオモタら、大間違い。
「その5」がもう、8割方書き上がって出番を待っているのだ。
たとえ、それを誰も待っていないとしても、だ。 (lll゚Д゚)ヒィィィ
 

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