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また、買っちまった3

 投稿者:たけどん  投稿日:2009年 4月19日(日)22時28分20秒
返信・引用
  も、問題って、何が問題なのか?

おいらが、バロック音楽を聴き始めた頃は、「○○室内管弦楽団」的な
小規模の弦楽合奏や、又はそれにいくつかの管楽器が加わった程度の規模の
室内オーケストラが大流行(おおはやり)で、バロック音楽、特にヴィヴァルディの
「四季」なんぞ弾きまくっていた時代だった。
だが、楽器はもちろんモダン楽器。チェンバロもまだ「鉄骨チェンバロ」
(ピアノの構造、技術を応用して作られたチェンバロとは似て非なる楽器)が
生き残っていた時代だった。
大オーケストラでバッハの管弦楽組曲を演奏したりすることが、下火になって
いたころなんだと思うが、おいらはそういった「モダン楽器を使った室内管弦楽団」と、
レオンハルトや、フランス・ブリュッヘンらのやろうとしていた、時代楽器を使った
古楽演奏の区別など、ま~ったく、ついていなかった。

そんな当時、はじめて買ったレコードが、ヴィヴァルディでもヘンデルでもなく、
バッハ。しかも「管弦楽組曲」や「ブランデンブルク協奏曲」ではなく、
「フーガの技法」なわけだ。(週間FMのレコード評に乗せられたのさね)
演奏は「マリナー指揮、アカデミー室内管弦楽団」盤だったわけだが、
その他にも「ミュンヒンガー指揮、シュトゥットガルト室内管弦楽団」盤とか、
室内管弦楽団が演奏しているレコードが一般的だったような気がする。

当時でもレオンハルトによるチェンバロ演奏盤はあったと思うのだが、
レコードカタログなどでは見かけなかった。というか、そういうものは
四季が好きだのほざくような、一般の古楽ずきが手を出すような
ものではない、一種(変わった)マニア向けの存在だったような気がする。
(現在からは考えられないが)
おいらが持っている「フーガの技法」の15種類のアナログLP盤でも、
チェンバロが1、オルガンが1、ピアノが1、で残りの12は、すべて室内合奏団
による演奏だ。(厳密に言えば多少、時代の幅はあるが)


アナログ・レコード全盛期の「バロック・ブーム」では、小規模な室内管弦楽団による
演奏が中心だったと言ってもいいような気がするわけだが、
これは、「フーガの技法」の演奏に関しては、何かオカシイ。
なぜなら、「フーガの技法」は、19世紀から20世紀にはいるまで「鍵盤楽器のための曲」と
見なされていたのであり、LP時代に入るまであるいは初期においては、
オルガンによる録音もあったわけだが、チェンバロ盤は寡聞にして
レオンハルト盤しか、おいらは知らないからだ。(全曲収録されたもの)
それがなぜか、LP時代に入り、(アナログ)オーディオ全盛期においては、
「室内管弦楽団による演奏」が主流になってしまった、という印象がある。
これは、なぜか?

答えは簡単だろう。「チェンバロ演奏によるフーガの技法」など
<売れない>(とレコード会社が判断した)からである。

当時は、「イ・ムジチの四季」がバカ売れした時代。
「イムジチ作曲の、四季ってレコード下さい」だの、
「四季ってモーツァルトの作曲かなあ」などどほざいていた愚かモン
(↑おいら)が、はびこっていた時代だ。
表層的な雰囲気と、軽いヒーリング・ミュージック的な気安さがウケて
いたのであって、楽曲のスタイルや形式、構造などにはまったく興味もない
ドシロートどもが「バロック・ブーム」を支えていたのだ。(これも大事なことだ!)
そんな風潮の中で、「対位法の技巧を極めようとした」曲集、
しかも親しみやすいメロディーも、山場も谷間もない。そんなレコードに
一体誰が興味を持つというのか? どこのどなたが買ってくださるというのか?
「・・・売れる ワケが ない」。

しか~し、業界を侮ってはイケナイ。
「本来売れないものを、売る」。エスキモーに氷を、赤道直下の国にホット・ドリンクを。
それが、資本主義の神髄。
そこで、知恵者は考えた・・・・

「このツマンネーうすら長げー曲って、<大バッハ、最後の曲集>、いわば白鳥の歌だよな。
 でも、チェンバロやオルガンじゃ客の食いつきが悪いな?
 マニアに少数売れてもたかが知れてるし。
 よし大ロマンティック路線でいくか。といって大オーケストラじゃ経費掛かるし。
 よし、四季と同じくらいの規模の室内管弦楽団でいこう。
 映画音楽風に情緒たっぷりの演奏で、<大バッハ、未完の大作>。いいね。
 その次あたりに、運動性を意識したキビキビとした演奏でもイケルかもな。
 なにせ「白鳥の歌」。コピーと舞台設定はおあつらえだ。
 いつまでも「四季」が売れるわけでもねーし。
 資源は有効活用しないと~」。

おいらの邪推、なわけだが。
そうでも考えないと、LP盤のライナー・ノーツに、
「このフーガの技法は、楽器の指定がなく・・・」などと、今考えるとミエミエの
音楽のプロなら気づかないはずのない、「チェンバロを想定している」としか
思えないこの曲の構造に気づいていないハズが、ない、ではないか?
と思ったが、考えてみれば、解説を書いているのは演奏家とかでも
音楽学の学者ですらもなく、「音楽評論家」だったりもするしな。
ま、そこはソレ・・・大人の事情かもな。

ま、(´・ω・`)おいらも、それにウマウマと載せられたワケだが、
反省は していない・・・。


時代は下り、バロック以前の音楽、古楽演奏が一般に認知を受け、
さまざまな作曲家の作品や、演奏形態を楽しめるようになったのはご同慶のいたり。
それと同時に、チェンバロやヴァイオリン、リコーダーなど単一の楽器が秘めている
表現力に聴衆が反応できる能力を身につけるようになったのは収穫だった。
分厚いオーケストレーションや、大人数でなくとも人を心を揺さぶる音楽は
可能、いや、より過去の音楽の方が、現代人の心に寄り添う親和性を
持つものであることが、様々な人々の、不断の努力の積み重ねによって、
ようやくここに、知らしめられるようになったのだ。

そこでそんな目と耳で、過去から現在までの「フーガの技法」のレコード、CDを
全部じゃないけど、聴いたり見たりしてみると~。

この曲は、チェンバロを想定楽器としているとはいえ二段譜表ではなく
四段のオープンスコア(ソプラノ、アルト、テノール、バス)で記譜されている。
オーケストラは編曲が必要なのは当然としても、(バスとテノールの交差があるために、
バスにヴィオローネなどを重ねて補強することができない。故にオーケストラの想定は否定される)
四段のスコアとはいえ、そのままでは「弦楽四重奏」で演奏することもできない。
アルトのテノールの音域が、ヴァイオリンとヴィオラのが下の音域をはみ出して
しまっているからである。

この点について「ジュリアード弦楽四重奏団」は、「楽器に曲を合わせるのではなく
曲に楽器を合わせるべきだ」として、ヴァイオリンで不足な場合はヴィオラを使い、
テノールにおいては、大きめのヴィオラを製作使用し、問題を解決している。
が、おいらてきにはこのCDはあんまり好きではない。音がナンカ好きになれない。
それに、問題は、楽器の<音域>だけに限られたものではない。
「チェンバロによる演奏を想定」しているため、
各所に「両手、10本の指」による演奏の制限、つまり
旋律の突然のオクターブ転位や、省略、音価の短縮などが起きているわけだ。

これをどう処理するか・・・?
それとも、「新即物主義」(1920年代~第2次大戦後)みたく
「バッハの書いた音符にないものは弾くな」か・・・というわけにもイカンだろ。

(ってなわけで、思いつくまま書いてたら、またつづく)
 
 

また、買っちまった2

 投稿者:たけどん  投稿日:2009年 4月14日(火)00時24分16秒
返信・引用
  ほんでもって~、またまたやっちまった。(^ω^;)
「レオンハルト版 フーガの技法(チェンバロ)」。
だって、980円スタートだったんだもん、だ。

おなじ商品が、他に1,800円で出てる。
おいらLP版持ってるし~。終了30分前に入札して、
誰かが入れたら譲ってしまえばいいや・・・と
思ってたら、1時間前に一人、入札者あり。
こりゃ、競ることになるなマズイ。まあ30分前まで待つか・・・と
思ってたら、30分前にさらに入札者あり、1,020円。二人目~。
おいおい、どうしよう。

よし!
1,300円で一発勝負だ。それで上回る人が出てきたら、その人に譲ろう。
終了10分を切ったところで、1,300円で入札。「あなたが最高入札者です」。
これでいいや。あとは運まかせだ。
でも、もう一回だけ確認してみようか・・・ページ更新。「あ!」
7分前。「最高額更新」。ええええ。どうしようどうする?
<その時、悪魔のささやきがっ>
「もうこの値段での出物は、ないかもしれんぞ~」。

むむむむ、よし。もう一回、もう一回だけ最後に1,400円で入れてみよう。
相手が1,400円以上で入れてたら、あきらめよう。ダメだったらもう譲ろう。
「1,400円」・・・入った。入札できた。(6分前ぐらい)
もいいや。コレが最後だ。あとは勝手にやればいいさ。
多分相手の反応からして、すぐに入札が入るはずだ。

(土曜日の)午後10時55分の入札終了を待たずに、おいらは他のページに飛んだ。
一応、11時ごろ、メールだけチェックしてみた。が、「高値更新」
というメールは入ってなかった。しかし「落札しました」のメールもない。
たぶん他の二人のうちのどちらかが落としただろうが。

なんやかんやで、(日曜日)午前2時過ぎごろまで、うだうだやって、
寝る前にメールチェックをしてみた。すると・・・「Yahooオークション取引連絡」。
げっ! おいらに落ちてたのか。(ノ; ̄◇ ̄)ノ うひょ~
しかもさっそく出品者から連絡通知が来てる。なんて こったい!
オークション終了後、すぐに連絡をくれたらしい、。すまんかった。
速攻で「返事」を書いて、そのまますぐに決済して「連絡」を入れた。
終わったのが3時過ぎ。翌日(日曜日)の夕方には相手側から「発送しました」との
連絡があった。あんたは、まったくもって「すばらしい出品者です」。

でもって、今月に入って購入した「フーガの技法」CD、四枚目~。 プッ(* ̄m ̄)ばか?
翌日、ほかに出品されていた同じディスク(1,800円)もあったが入札者は無い。おや?
ストアでは3,200円くらいだったから、これでもケッコウ安いんだけどな。
つらつら出品を見ていると、同じディスクの旧パッケージ版が、210円で出ていた。
「現在、入札者2人」・・・・うーん。彼らはこっちに来たのか?
終了四日前・・・だぞ( ̄ω ̄;)早すぎ
ちょっとだけ、済まんかったという気になった。ま、安く落とせるといいね。

クラシックCD、LP関係のオークションを見てると、なんか
レオンハルトとか、グールドとか、リヒターとか(ま、バッハとかしか見てないけど)、
有名奏者、名盤、しかも格安のものが落とされている様子。しかも入札するのが
四日だの五日前だの、早い早い。
おいらから見ると「うっ、これ興味深けー」というディスクがけっこうあるのだが
ほとんど、注目されていないっぽい。これが実に不思議なのだが、
おいら的には非常にありがたい。


ま、そんなこんなで「フーガの技法」の「弦楽四重奏」、「オーケストラ」、
「チェンバロ」のCDを買ったわけだが。
その演奏形態の多様さがフーガの技法の楽しみの一つ・・・などと
しゃらくさい能書きを、実は垂れたくはない気持ちになってもいる。

この機会に「フーガの技法」でググっってみたりもしたわけなのだが。
様々なサイトの中に、おそらく2ちゃんねるの過去ログと思うが
「フーガの技法」というスレッドがあって、その一部で使用楽器について
論争している部分があった。
学説的には、「チェンバロでの演奏を想定した記譜法で書かれている」と
いうのが、非常に説得力があり、定説なのは間違いないのだろうが。

「フーガはオルガンで聴きたい。それに、バス声部にオルゲルプンクトが使われ
 ているのに、チェンバロというのは納得できない」的なカキコもあった。
終了間際の声部数の拡大がある等の異論も出されていたが、
「平均律」にも同様の例があり、レオンハルト等によってそれらは
「想定楽器がチェンバロであることを否定するものではない」と退けられている。
確かにオルガンで演奏した方が効果的な曲もあり、オルガンによる演奏を
否定するものでもないことは確かだと思う。

しかし曲集のすべて(二台のための曲は除く)を、
「一人で、しかもおそらく演奏するのに当時最も一般的だった、
 チェンバロ(クラヴィーア)という楽器で演奏できること」。
このことにバッハの主眼があったように思われる。
というのは、二手、十指での演奏を可能とするために、各声部の進行上
おかしなオクターブ転位や、アンサンブルフーガとしては薄くなってしまうフレーズ。
アンサンブルフーガでは必要のない、鍵盤楽器特有の効果を狙った音型、
などが見られるからである。

バッハは、単一主題の多岐にわたる展開方法を示すだけではなく、
単一奏者による鍵盤フーガの効果的な「書法」についても、
示したかったのかもしれない。
(などと書きつつ、バッハがかなり苦しんだっぽい跡もあって、なんとも言い難い?)

フーガの技法関連のサイトを見てみると、
ディスクの印象記、好きなディスクなどを書いているものがあるのだが、
ケッコウ、「オーケストラ」による演奏をベストに挙げている人が目に付く。
正確に統計を取ったワケでもないので、確言は出来ないが、
「リステンパルト(ザール放送室内管弦楽団)」盤
「ミュンヒンガー(シュトゥットガルト室内管弦楽団」盤
これが最高、という人が複数いた。
もちろん、おいらは両方持っている。LPだが( ・`ω・´) b


リステンパルト盤は、ヘルムート・ヴィンシャマン編による版で、
終結フーガを収録しておらず、代わりにトリオ・ソナタを二曲収録している。
久しぶりに両方、針を落としてみたが、分厚いオーケストラの音が
基本主題を演奏するのを、久しぶりに聴いた。買ったばっかりの
ベルゲル盤もそうだが。思い入れたっぷりの「映画音楽のサントラ」みてえ。
「大バッハ最後の曲集、白鳥の歌」という宣伝文句も加わわれば、
そりゃもー、あなたを別世界にいざなうわな。

たしかに雰囲気があって、おいらもキライではない。これがお気に入りという
人からみれば、確かに「チェンバロ」「ピアノ」による演奏は、物足りない、
あるいは味気ない、と感じるかもしれない。
逆に言えば、そういう味付けをしてもらわないと、「フーガの技法」を
聴くことは、かなりツライ、のかもしれない。
考えてみれば、おいらの「終結フーガ」に対するこだわりも、
これらと似たような「思いこみロマン」に毒されている所為かもしれんな、
という気が、しない でもない。

チェンバロ演奏を想定した曲だからといって、他の演奏形態による演奏を
否定しているわけではない、(やるならやればいーじゃん)とバッハなら
答えるんじゃないか。そんな風においらは思っている。
だが、そんな風な目でいや耳で、いろんなCDを聴いていると
ちぃーっと「問題」がある演奏、も実はあったりもするのだ。

それは・・・(で、つづく)(ノ; ̄◇ ̄)ノ エエエエェェェェェ-?
 

また、買っちまった1

 投稿者:たけどん  投稿日:2009年 4月 8日(水)23時06分54秒
返信・引用
  また、やっちまった。 (´・ω・`)買っちまった。
ヤフオクで「フーガの技法」のCD、三枚。
だって見つけたんだもん。だ。

「古典四重奏団」(弦楽四重奏)
「デルメ四重奏団」(弦楽四重奏)
「Cluj Philharmonic Oechestra:エーリッヒ・ベルゲル指揮」(オーケストラ)

古典四重奏団は、ヴィオールではなく、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロを
使っているようだが、モダン楽器ではないような。
ヴィヴラートまみれでない弦楽四重奏が、心地よい。
未完フーガの後に演奏される「おお人よ、汝の大いなる罪に泣け」(BWV622
オルガン小曲集より)が、なかなかよい。(泣くかも)
カノンは割愛されている。

デルメ四重奏団盤は、終結フーガをドナルド・トーヴェイ(1875~1940)による
補筆完成した版を併せて演奏している。
トーヴェイによる完結フーガの存在はおいらも知っていたが、
聴いたことがないので、聴いてみたかったので買った。
カノンは割愛されてる。

ベルゲル盤は、今日ではちょっと珍しいオーケストラによる演奏。
分厚いオーケストラによる思い入れたっぷり(?)の演奏。
重厚な感じが好きな人、ってか、こういう演奏の方をチェンバロやピアノ
による演奏よりも好む人も、少なくない気がする。なぜかってのは後で書く。
ベルゲル自身による補筆完成された、終結フーガが最後に置かれている。
未完の形の終結フーガは、演奏されない。最後に拍手・・・ライブか?

とまあ、こんなとこですが、もう一枚どうしようか迷っているディスクがある。
それはレオンハルト版。LPは持っているんだけどCDを持ってない。
それとCDには、レオンハルトの「フーガの技法について」の論文が付属しているからだ。
まあ、その論文もネットからダウンロードしたやつプリントして持ってはいるけどさ。
(病気だからしょーがない)


で、思いついたので、ちょっと中断。
突然ですが、前回の補足。

「4、SP(スピーカー)コードは、短く使う」という項ですが、
SPコードは、「良いモノを短く使う」が基本です。
左右の長さは揃えること。SPの配置の都合で片方の長さが余る
などの場合でも、長さは同じ方がいい。ですが、
余った方を巻いたりしてしまってはいけません。
コードを巻くと、「コイル」と同じ効果になってしまうからです。
「コイル」は、ハイカット・フィルター(高域をカットする)の
性質があるのですな。

もったいないから、付属の赤黒の平行コード(たぶんこれでしょ?)を
使いたい場合は、赤と黒(プラスとマイナス)を引き裂いて二本にしてしまいます。
その赤と黒の二本を、互いに絡ませるよう(二匹のヘビが絡み合うよう)に編むと、
ノイズの低下に有利です。(プラスマイナスで、ノイズ成分を打ち消し合うため)

さらに、長さに余裕がある場合、
たとえば、片チャンネル当たり2mあるとして、1mで十分な場合。
半分に切ってしまって、1m二本にしてしまいます。(ここでは赤黒一組で一本とみる)
二本の赤黒コードを赤は赤、黒は黒同士、むき出した銅線部分をよじって一本にまとめます。
こうすると、プラスが赤二本、マイナスが黒二本となりますね。
よって、銅線の太さが二倍になるので、伝送上有利になります。
もちろん、この上、上記のように赤と黒を引き裂いて、コードをからませれば尚、グッド。
まー、もっとグレードの高いSPケーブルに交換することがオススメですけどね。
でも、装置の価格とSPケーブルの価格のバランスってのもありますし、参考まで。

それと、一年に一回くらい、SPケーブルの端子に繋ぐ銅線部分は、酸化したりして変色
劣化しますので、古い酸化した銅線部分は切り落として、
新しい部分をむき出してやった方がいいでしょう。

「7.アースはしない」というのは、アンプなどのGND(グラウンド:アース)端子を
大地に接地しない、つまり、コンセントのアース端子などに繋がない、という意味です。
これとは別に、アナログ・プレーヤーの場合は、
プレーヤー側のアースをアンプのGND端子に繋がないと、「ブーン」という
ハム・ノイズが起こることがありますので、その場合はアンプのGND端子に
プレーヤーのアースを繋いでください。


で・・・って、もういい長さになったので、また次回~ (@ ̄∇ ̄@)/~
 

こんにちは

 投稿者:奈央  投稿日:2009年 3月24日(火)12時12分22秒
返信・引用
  超お久しぶりです!
覚えてますか?

HPを閉鎖して数年が経ちました
携帯でしか見られませんが日々を書いてます
良かったら遊びに来てください(^-^)v

http://mblg.tv/nawooo/

 
    (ビケ♪こと管理人) もちろん、覚えていますよ~!
早速遊びに行きました!
更新楽しみにしています。
 

音楽の「電気缶詰」4

 投稿者:たけどん  投稿日:2009年 3月18日(水)23時44分32秒
返信・引用
  あ、「柱状トランス」じゃねーや、「柱上トランス」。
電信柱の上にあるゴミバケツみたいなやつですよ、あれ。
でもまあ、そこまで考えないと音楽が聴けないのかって話ですが、
そんなことはないわけです。
現状で何の不満もないと思っている人には、関係のない話なわけですな。ええ。
ただ、「少しでも、いい音で音楽を聴きたい」と思っている人とかは
聞いてもらえれば、と思う次第です。

コンセントから取る「電源」には、さまざまなノイズが乗っているという
ことを話したわけですが、どうすればそのノイズから逃れることが出来るのか?
ぶっちゃけ、「バッテリー駆動」か「発電機」にすれば解決なのだが、
コストが掛かりすぎて現実的ではないのもその通り。
そこで次善の策というものを探すわけですが、それがこれ・・・。

「電源とコンセントの『極性』を合わせる」。これですな。

家庭用電源に「極性」・・・? プラスとかマイナスの?
コンセントにプラスとマイナスなんて、ないじゃん?
しかし、極性はあるのですな。家庭用電源にも。
コンセントの二つの差し込み口を見てもらうと、左右の穴の長さがやや違う
ことに気づくはず。これ「長い方の穴」(コールド側)が、
柱上トランスから大地に接地(アース)されている側なので、触っても感電しないのですな。
で「短い方の穴」はビリッと来る方(ホット側)なのです。

DIY店で「検電ドライバー」ってのを買って来て試すことも出来ますよ。
ドライバーの尻(取っ手の先)に指を当ててアースしながら、
片方ずつドライバーを差し込んで、取っ手に仕込まれたネオン管が点灯する方が「ホット側」。

で、このコンセントのコールド側と、コンポーネント(ステレオ等、音響機器)の
トランスの一時巻き線の巻き初めとを合わせる、ということなのですが、理屈は省略。
ま、すこし高めの機械を買うと、たいてい、
電源コードの片方に「白線」があったり、プラグにマークがあったりします。
それを「コンセントの穴の長い方(コールド側)」に差し込むようにする、ということです。
(取り説にも書いてあるはず)

「コンセントを左右差し替えただけで、音が変わる??? バカな!」
では、実際に試してみてください。
おいらは、友人等にアンプのコンセントを、くるりと左右差し替えてCDを聴いてもらいました。
ここで、アンプのコンセントを選んだのは、「大きなトランス」を積んでいる機器
の方が極性揃えの影響が分かりやすいからです。消費電力の小さい機器ほど変化が
分かりにくいからです。すると・・・。
極性が揃っている方が「前後がよく分かる。立体的な感じ」。
「伴奏の楽器の音の動きがよく分かる感じ」。
「こんなに違うとは思わなかった。他にどこか、いじったのでは?」等々。

しかしこれは、どこの家庭でも、どんな機器でも「ハッキリ」差が出るわけではありません。
一体型のミニコンポなどでは、全然変わらないかもしれませんし、ワカルかもしれません。
それにバラコンの場合、すべての機器の極性を合わせるのがベスト、
のはずですが、一概にそうも言えません。それはピンケーブルなどで結線されるため、
ノイズループが出来てしまい、単純に極性を揃えればベストとも確言はできません。
要は、実際に差し替えて「試して」ベストを探す、ということになります。
音が変わるのはワカルけど、どっちが良いのかワカランという場合もある。
ま、わかんなければ、揃えておけばOK。

し・か・し~。この間。家電量販店を覗いてみたのですが、
今流行りの、売れている価格帯の3万円前後くらいの「ミニコンポ」ですが、
裏を覗いてみると、電源コートに「白線」なんて、ねえ!
しかも、スピーカー・コードが「悲しくなる」くらい、細い!
「ま・・こんなもんか」(´・ω・`)

まぁ、お気に掛かった方は、「極性合わせ」、お試しになってはいかがか、と。

それでは、まとめ。
1. ステレオの電源を取っているコンセント、テーブルタップに他の家電はつながない。
  できれば、音楽を聴くときは、他の機器はコンセントから抜いておきたい。
2. アナログとデジタル機器(CD等)は、別のコンセントから電源を取る(ようにしたい)
3. アンプの背部にある「サービス・コンセント」には、何も挿さない。
4. 電源、およびスピーカー・コードはできるだけ短くする。
  SPコードなど、長さが余った場合、巻いたりせずに、短く切る。
5. コンポに付属してきた、「ピンコード」や「SPコード」は動作確認用
  程度のものなので、良い品質の物に替える。
6. 極性合わせは、電力消費の多い時間帯(夕方から夜)は、判りにくい。
7. コンポに「アース端子」がある場合でも、アースはしない。
8. 極性を合わせても、実際に聴いてみて、音のいい方を選んでいく。(迷うかも)
9. ステレオの近くに、暖房など他の電化製品は置かない。
  動かせない場合、そのコンセントを抜く。(スイッチをオフにしただけでは、ダメ)
10. 年一回は、コンセントやピンコード等、接続部の清掃をする

浮遊容量とか、不要輻射の問題とか、いろいろあるんですけど、めんどいので略します。
ま、これが基本的なとこでしょうか。
使いこなしにも、これから先があるんですけどこの辺にしておきましょう。

だいぶ電気的な説明を、バッサリ省略したので判りやすかったのか、
判りにくかったか。ワカリマセンが。あまりに長くなるのもアレだし。
少しでも、「いい音で音楽を楽しみたい」というあなたに、お送りいたしました。

ビケ♪さん。へんなカキコで、今回もゴメンなさい。
ヾ(´・ω・`)ノシ またね~!
 
    (ビケ♪こと管理人) いやあ~、勉強になりましたわ~!
やっと、落ち着いて活字を読める状態になったのですが、
たけどんさん的には、もっと詳しくお書きになりたかったと
思いますが、私みたいなど素人には、とっても分かり易かったです。

しかし、1から10まで、すべて悪い方に当てはまっている
うちのオーディオ環境っていったい・・・(^^;
 

音楽の「電気缶詰」3

 投稿者:たけどん  投稿日:2009年 3月14日(土)21時20分24秒
返信・引用
  ステレオをはじめ音楽を再生する装置は、「電気」で動いているのは
誰もが知っている。だが、その電源の「質」については、
あまり関心を持たない。
というか、「素人にはどうしようもないだろ」というのが大方の考えだ。
そりゃそうなのだが。まあ聞け。(お聞きなさい)

ステレオのコンセント、
「買ったときから差し込みっぱなし」にしてませんか?
年に一度くらいは壁コンセントや、テーブルタップから抜いて、
プラグや差し込み口を「掃除」してあげよう。
「無水アルコール」(拭き取った後の残留物が少ない)が、いいのだが
薬局での購入に印鑑が必要なのでメンドくさい。電気屋やDIY店で売っている
「接点復活材」が入手しやすいのでオススメ。

綿棒に付けてプラグや差し込み口を掃除してみよう。
コンポなら各装置をつないでいる「ピンプラグ」及び
「ピン・ジャック(差し込み口)」も、 綺麗にしてやること。
すると、ケッコウ汚れが落ちるので驚くはず。

ホコリやゴミも少ないし、動かすものでもないのに、コンセントの差し込み口なんか
年イチで清掃すると、綿棒が黒ずむくらい汚れているものなのだ。
スピーカーコードをつないでいる端子も清掃。コードも新しく剥き直し、
新しい銅線を出して、つないでやる。
も・ち・ろ・ん。コンポ自体もふきふきしてやるね。これ常識。
「掃除をすれば気分がいい。だから音も良くなって聞こえるのだ・・・」
確かに、それも大きいかもしれんね。

「電源なんて、差し込んで100V(ボルト)が通電できりゃいいんじゃねーの?」
「きれいだろうが汚れてようが、音と何の関係があるのか?」
・・・あるんですな。これが。

「電源」は音楽のエネルギー源。
クリーンであればそれに越したことはない。ない、が、
これが意外と「クリーン」ではないのだ。
では「汚れた電源」とは、一体どんなものなのか?
物理的な汚れは、お掃除できれいにできるとして、電源の汚れとは何か。
それは、電源に乗った「ノイズ」、のことなのだ。

部屋内だけを考えてみても、様々な家電製品がノイズ源として存在する。
エアコン(インバータ)、蛍光灯(チョーク・コイル)、パソコン、
ヒーター、ビデオ(DVD)レコーダー、etc・・・だ。
なかでもデジタル回路を持つ家電は、おおいなる「ノイズ源」だ。
それらのスイッチング、デジタル回路から出たノイズは、電灯線を伝って
ステレオ・コンポの内部にまで入り込んでくる。

「でも、別にノイズなんて聞こえないじゃん?」
デジタル・ノイズが直接、再生音として聞こえることは、ない。
故障でもしない限り。
では、デジタル・ノイズがどういう風に作用するかというと、
音楽信号の内の「微少信号をマスキングする」のだ。
つまり音楽そのものよりも、残響や、音像(ステレオによって形作られるイメージ)感、
定位感、などを損ない、「のっべりとした」立体感のない、音響空間にしてしまうのだ。

まあ、「マルチ・モノラル録音」(スタジオ・ブースで、楽器別、時間も
バラバラで録ったものをミキサーでミキシングして、エコー付けたり
する録音)で、ドカドカ、シャンシンやるポップスだのロックでは、
そういう影響はあまり感じないかもしれんが・・・。

おいらが大好きな、マイナーレーベルが、少人数で演奏した古楽なんぞを
シンプルな機材で録音したような「音像くっきり、音場感たっぷり」の録音ほど、
音がつまーんなくなる、というワケだ。

だから、おいらはステレオ・アンプは専用の電源(ふっとい電源コードの専用のやつ)
を壁コンセントから引いて挿し、同時にアナログ・プレーヤーやデッキしか接続しない。
アンプの背中にある「サービス・コンセント」には何も挿さない。
パソコンやテレビ、ヒーターなどは、別の壁コンセントに、または
そこから引っ張ったテーブル・タップに挿している。
あれ? CDは・・・。

それだ。・・・困ったことに、オーディオ機器のなかにも「デジタル機器」が
存在する。それがCDプレーヤーなどだ。
CDは音楽信号を扱う音響機器でありながら、ノイズ発生源でもあるのだ。
当然、CDプレーヤーは、アンプなどアナログ機器とは別のコンセントから
電源を供給することになる。同じラックに入れてあるけど、電源は別なわけだ。
初期のCDプレーヤーは、近くではラジオにノイズが入ったりと、
ものすごいノイズを周りに輻射していた。それ以降の製品は格段にシールドが
よくなったのか、シャーシーの外部にはほとんど漏れてこないようだが。
それでも、ノイズ源であることには変わりはない。

それと、音響機器は「しっかりした」場所に設置すること。
とくにCDプレーヤーは、揺れや振動によって音飛びすることはほとんどないが、
それでも振動によるサーボ(トラッキング補正のため)の多用により、
電源を揺さぶり、音楽信号に影響を与えるからである。
もちろんアンプ、スピーカーも設置場所、方法の影響を受ける。
「カラー・ボックス」の上に乗せておけなどは、論外!
(だが、本でもめいっぱい詰めておけば、多少マシだが△)

と、ここまででイヤになった人も多いと思うが、問題はそれだけではない。
部屋内で、電源をデジタル、アナログ分離したとしても、
配電盤から同一配線上に接続されている 、家中の家電製品のノイズが
乗ってくるからだ よん。
しかもそのうえ、家だけではない。電柱の上にある「柱状トランス」は
複数の家屋に給電しているわけだが、接続されている柱状トランスを共有
している他の家庭からのノイズもまた、共有することになるのだ。

「そんなん、どうしようもねーじゃん?」
マニアは、オーディオ専用に発電機を使ったり、契約アンペアを異常に上げて
(電柱や柱状トランスを個別に買うことは出来ない) 自宅専用の電信柱を立てさせた
人も、いないではない。が、それはもー別世界のお話。

みなさんも、人が寝静まった深夜。とくに東京なら正月やお盆など
人が少なくなった時期の、深夜や早朝に音楽を聴くと、
音が異様に澄んで聞こえたり、音楽の背景が静かに感じたりするはずなのだ。
(気分的な問題? おいらも東京にいた頃感じたことがある)
だが、それも一時期だけの話。
人里離れた場所に住んで、音楽ばっか聴いている生活など、できるわけもない・・・。
自分のために電柱立てたりするワケにもいかない。
では、対策はないのか?

ある。いや、次善の策ならないではない。
それは、また次回につづくわけだし。(嫌気がさした人、ごめん)
 

音楽の「電気缶詰」2

 投稿者:たけどん  投稿日:2009年 3月10日(火)22時57分27秒
返信・引用
  で~、「ずう~っと多くの情報量」とか言うものの、高い機械を
使うとガラッと音が変わるわけではない。
たしかに、3万円くらいのCDプレーヤーやミニコンポを、10万円の
プレーヤーに替えれば、「おおっ!」というくらいの音が出る。
だが、かといって音そのものが劇的に変わるわけではない。あまり
集中して音楽を聴かない人には、「へ~」くらいなものだろう。
しかし音楽好きな人にとっては「大きな変化」と言える程度に、変わる。

でも、10万円の機械を50万円のものに替えても、3万から10万ほどの
変化は感じられない。100万円の機械に替えると、その変化は、注意深く
音楽を聴く人なら「おおっ!」とワカルが、分からない人には分からない、
その程度のものだろう。
その上音の向上は、金額が上がれば上がるほどわずかになり
その変化は、一般性を持たない(確かにイイ音だけど車買えるじゃん!)
ものになっていく。

マニアはどこの世界にもいるが、一般人とは懸け離れているので、
あまり参考にはならないのは世の常。
ポピュラー系やロック系の音楽であまり音質がどーだこーだ言う人も
いないと思うが、うるせーのがクラッシックだのジャズ。
もー部屋から違うから。広さもなにもかも。
まあ、おいらとしては、そこそこの機械で、「できるだけいい音質で
たのしみてーじゃん。好きな音楽なら」と思うわけだ。
それに、再生機器だけじゃなくて、「ソフト」も重要な要素なんですけどね。
それは、それとして、
まあ再生装置での音楽再生の基本、みたいなことを書こうか、と。


ミニコンポとかで音楽を聴く人は、まあ機械が一体化してるし、
音作りそのものが「ポップス系」向きなのでアレなのだが、
それでもメリハリがあって、明るめの音なので、「くっきりいい音」に
聞こえるかもしれない。
満足しているならそれはそれでケッコウ。
おいらも持ってないので、何とも言いようがない。 (* ̄m ̄)プッ
ま、お掃除しっかりしてね。年イチでコンセントの差し込みも
綺麗にしよう。それと電源コードの片方(二本線のうち)に白線とか
ついていたら注意(後で説明する)。
あとCDとかも定期的にキレイに拭いて聴いてね(これ重要!)だ。

CDを拭くときは、同心円上をアナログレコードのように
くるりと丸く拭いてはイケナイ。信号ビットが並んでいる上を
連続で傷つける可能性があるからだ。
断片的な信号の抜け落ちならばエラー訂正が効くが、同心円上に連続して
ビットが読みとれないと、無音になる可能性がある。
(もっとも、そうなりにくいように、信号自体がブツ切れにされて
 CD上ではランダムに並べられている。読みとった後に、
 配列を並べ替えることによって、盤上で連続していた欠落が、
 全体に細かくばら撒かれ、訂正がしやすくなる)
↑あれ?CDの話だっけなこれ。

CDは中心から外へ「放射状に」拭くこと。
クリーニングキットなどを買えば、そういう解説があるはず。
ま、多少傷ついてもクリーニングしなくても、確かに影響はあまりないが。
通常は、キズよりもタバコのヤニなどの「全体的な汚れ、曇り」の方が
大問題ですな。

実は、CDは信号面よりも「レーベル面」の方が重要で、弱い。
ポリカーボネート樹脂(意外に強い樹脂)の円盤の片側に、信号ビットを刻む。
そして刻んだ側に、アルミなどレーザーを反射する金属を蒸着させる。
そしてそのうえに「紫外線硬化フィルム」を貼り、硬化させ、
そのうえにレーベルを印刷する。

つまり、信号ビットはレーベル面側の方に刻まれていて、その保護は
うっすい「紫外線硬化フィルムのみ」、なのだ。
信号は、刻んだ面の反対側から、読みとられる仕組みになっているのだ。
読みとり面は、多少傷ついても読みとりに影響はない(レーザー・フォーカスの関係で)が、
レーベル面を傷つけて、レーザーを反射する蒸着膜がやられたらアウト、なのだ。
ま、最近のCDは改良されているのかも、しらんが。

やべ。本筋行く前にまたCDで字数とっちまった。(^ω^;)
というわけで、今回はここまで。

次は、電源周りとかのメンテナンス(だれでもできること)中心で。(つづく)
 

音楽の「電気缶詰」1

 投稿者:たけどん  投稿日:2009年 3月 8日(日)21時52分46秒
返信・引用
  間が空いてしまいました。
あ、「ipod」じゃなくて「iPod」でしたね。
ビケ♪さんに言われてから気が付いた。
おいらも、ビケ♪さんとは立場が違うかもしれませんが、
動きながら、ガンバやリュートの響きを楽しんだりできないし、
ソナタや協奏曲、フーガを聴いたりしたいとは思わないですね。

走りながら聴く音楽は「それなりの」ものだし、
音質だのなんだのもあまり考えないし。
携帯プレーヤーとしては、最近の国産メーカーのデジタル・プレーヤーは、
「ボイス・レコーディング機能」もあるので語学学習や、
アンプのヘッドフォン端子から入力して「MP3」ファイルを作成する
機能もあったりするので、アナログ盤とかテープからでも取り込めるので
非常に、便利ですな。

しかしオーディオ関係の電気製品に関しては、おいらが「ステレオ」とかに
熱中していた時代とは、機器がすっかり様変わりしてしまいました。
家電量販店が全盛の今日、お店の顔ぶれも一変してしまった。
○潟も駅前から「○丸電気」が撤退してしまいました。
「○丸電気」はおいらの青春でしたなー。
あそこへいけば何でもある(買えないけど)。
レコードもい~っぱいある。
「いつかお金貯めて、手に入れたい」、そんな雑誌でしか見られない製品が、
たーくさん陳列されて、直に触ったり音まで聞けたりした。
わくわくドキドキのお店でした・・・。
本当にもうなくなっちまったんだな。(´・ω・`)ショボーン

と、思いきや。駅に付属した形でこの春、「ビック○メラ」がオープンした
ってーから驚きだ。駅の反対側には「ヨドバ○カメラ」があるってーのに。
もう、これは戦争だ。
おいらも開店後の週末に行ってみた。

パソコンの品揃えが「たまらねえ!」・・・ってか、
もう他の量販店では見かけなくなった(ホントに)、マックとマック関連商品が
たくさんあったのには、驚いた。そして同じように見かけなくなった
自作パソコン関連パーツや機器を置いてあるのにも嬉しくなった。
(期待できる店じゃん)(〃 ̄ー ̄〃)

それに、もっと驚いたのは、オーディオ機器のスペースだ。
当然のように主流は、デジタル・オーディオ・プレーヤー、それと
連携する(ドッキングできる)ポータブル・ステレオ、ミニコンポなのだが、
なんと、「バラコン」(アンプとかプレーヤーが別のヤツ)を
展示しているコーナーまであったのだ。
なんとアナログプレーヤーのカートリッジまで置いてある。
一個数千円から一万円超の、「コンセントの差し込み」まである。
(↑たぶん、一般人には理解できない商品だ)

いまどき若者は、うすらでっけーステレオなんぞで音楽を聴かないのだろうし、
一握りの金持ちで年輩のマニア(変わり者)にしか、需要がないだろうに。
でも、他では見かけなくなったこれらを、まずは置いてくれていることには
感心した。ま、いつまで続くのかは分からないが。


机や棚の上に、ちょこんと載るくらいの数万円のミニコンポで
音楽を聴くのが主流なのだろうが、おいらもそいうので、バッハを聴きたい
とは思わないが否定はしない。(そんなヤツはあまりいないだろうが)
なぜなら、パソコンで聞く音楽もケッコウ、楽しいからだ。
だが、お手軽にてにはいるものは、それなりの価値や感動しかない、と思っている。

やっすい機器をなんとかイジくりまわして、少しでも「いい音」を出したいと
悪戦苦闘していたおいらは、
ターンテーブルのうらにブチル・ゴムを貼ったり(共振を抑えるため)
ピンコードを替えたり自作したり、
スピーカーのフレームをのこぎりで切ったり(電磁誘導による渦電流損をなくすため)だの、
スピーカーの吸音材の代わりに、和紙で作った吸音箱を入れたり、
CDプレーヤーのシャーシーの内側に銅板貼ったり、
電源コードを太いものにしたり、だの、
人が聞いたら、ワケの分からないことばかりやって、コンポを破壊してきた男だ。
(自慢になるか!)(^ω^;)


なにか対策(めいたこと)をやると、音が変わって、「おおっ!」と喜んだり、
がっかりしたり、変わんなかったり、変わったけど、良くなったのか悪くなったのか
ワカんなかったり・・・いろいろだ。
昔のオーディオは、そんなユーザー側がいろいろ手を加えられる「スキマ」、
あるいはそういうコンポーネントとしての選択肢が、たくさん
用意されていたものだったのだ。

だが、しょせん「再生音楽」?
ナマのコンサート、演奏にはかなわない?
その通りなのかもしれない。本来の音楽が人間の営みである以上、
その現場でその時間演奏される音楽を体験することには、本来的な意味で
「再生音楽」が、かなうはずはないだろう。
それは「疑似体験」であり、似たもので人間の感覚を「騙している」のかもしれない。

「ある意味においては、再生音楽は生演奏を越えていなくてはならない」

これはある評論家が言っていた言葉だが、おいらもそう考える。
そんなバカな?いやいや、そうは言い切れない。なぜなら
生演奏はいつもベストポジションで聴けるわけではない。
演奏会場、演奏者のコンディション、観客の数や質・・・。
決して「再生音楽」が、生演奏の代替(だいたい)になりうる、と考えて
いるわけではない。あきらかに別物だと思う。
だが、再生音楽に関しては、一般のユーザーがその取り扱いに於いて
あまりにも「軽く見ている」のではないか、と考えている今日この頃(いや昔から)なのだ。
「しょせん、オーディオで再生した音楽はこんなもの」・・・。

そうかもしれない、だが、アナログ・レコードやCDを初めとする
メディアには、あなたが考えているよりも、ずう~っと多くの、
そして細かな音楽情報が、実は、記録されているものなのだ。

・・・という話に持って行きたいと、ふと思って書いたわけだが。((φ( ̄Д ̄ )ホォホォ

(また、つづく)
 

電気音楽はたけどんの背中を押すか

 投稿者:たけどん  投稿日:2009年 2月17日(火)21時51分43秒
返信・引用
  何やら、妹が「デジタル・オーディオ・プレーヤー」とかいう、しろもんを買った。
「iPod」で、マッチ箱より小さい「シャッフル」という種類らしい。
通勤時間が楽しいんだと、へー。

そういえば、友人も持っていた。ラジオとかの音声ファイルを入れて
聴いているとか言っていた。
かつておいらも、「ウォークマン」タイプのカセット・プレーヤーは
学生時代から持ってたけどね。今はもうカセット・テープのような
メディアを使わないでメモリに書き込んで再生するタイプが主流なのですな。

ちょっと、調べてみた。
テープやCDとか、メカニカルな「可動部分」を持たないので、読み書きする
メモリやバッテリーが寿命になるまで、故障の危険性は低いかな。
イヤホンってか、インナー・スピーカーの質によって音質に差が出そう。
それにしても、小さいもんだな~。ふ~ん。

でもま、車でもカセット未だに使ってるし、動きながら音楽聴くことないし。
使いようがないよな。車の中とかでも、ホントに気に入った曲は聴かないし。
(なぜなら、好きな曲に飽きがくると、ヤだからだ)
「だいたい、MP3(拡張子は.mp3)だろ。音質は落ちるわけじゃん」
MP3ってのは、音楽音声の圧縮技術で、本来MPEG1規格のデジタル音声技術
だってのは知ってたけど、今MPEG4まで進んでるしな~、とか思ってたら、
さにあらず、調べてみるとMP3も進化していたらしい。
でも結局、本来の音源からデータを間引いて圧縮するわけだから、な。
とは言っても、誰も彼もがハイクオリティを求めているわけではないしね。
音質的には十分と判断されてるんだろうし。
これはこれで、使いようがあるってことだよな。

「別に、使いどころがないから ほしくねーし」とかうそぶいてたら。
「走りながら聴けるよ。軽いし小さいし、イイと思うけどな」と言われ
はっ!・・・これは、おいら、全然考えもしなかった。思いも寄らなかった。
自分の浅はかさ加減ってか、発想の貧しさのあまりに悶絶しそうになった。
な、なんで~そこに気づかないのか、たけどんってナンて間抜けやろうだ!
「それ、いいかも」と思った2秒後に、「もー欲しい。おいらもほしーほしー」
になったわけだ。ヾ(*´∀`*)ノキャッキャ (子どもか?)


で、「価格.com」とかで調べると、4,000円弱くらいからある。
「もう少し安いのは?」と「ヤフオク」を覗くと開始価格は1円からだが
落札価格は3,000円越え辺り、送料入れると4,000円以上になるっぽい。
家電量販店を覗いてみたが、7~8,000円くらいから、聞いたことのない
メーカー品で4,000円くらいのがあったが・・・できれば「有名メーカー品」がいいよな。

「ipod」だとほとんど正価と変わらない。他のメーカー品も安くはない。で、
誰も入札していない「999円」の知らないメーカーのmp3プレーヤーを落札。
だが他に、単4電池一本と、SDメモリカードが必要らしい。
「とりあえず使えればいいや」・・・でも、とにかくなんかウレシイ。
「早く来ないかな~♪」と、電池(四本100円のアルカリ)と
SDカード(1G、1,000円)を購入して待つ。
「きたあ~~」。さっそく箱を開いて中身を出す。
「あるぇ?」なんか、写真で見たのと比べると色が安っぽい。けど、そんなモンだ。
イヤホンも安っぽい・・・でも、そんなモンだ。カタログ写真術ってやつだよ。

さっそくSDカード入れてパソコンにつなぎ、MP3にしておいた音楽ファイルを
プレーヤーにコピー。電池を入れて、イヤホンつないで。
「お~、聞こえる聞こえる」でも、なんか音の抜けが悪い。つまり
中域から高域がこもってる感じがする。そこで昔のウォークマン用に買った
イヤホンに変えてみると、「おお、こっちの方が音がいいや」
さっそく日曜日、そいつを持ってランニングに出掛ける。

「快調快調~♪」土手道を音楽を聴きながら走り出す。自分で決めている
一周6kmのコースを回ってみる。「いけるね。いいね」いつもより
楽な感じで走り切れた感じがする。
なんかもーね。いいっ! 音楽最高! さてもう一周いってみっか。

・・・と、走り出して、2kmほど行った先の折り返しを目前にして
「フッ・・・」音が途切れた。あれ? ポケットから取り出してみると、
点いているはずの緑色のランプが消えている。
もう一回、電源スイッチを入れるとまた鳴り出すけど、しばらくすると止まる。
「電池切れ?」
予備に持っていった電池と入れ替えると、再び動き出す。
これ、アルカリ電池だと「8時間再生」するんだよな。電池の消耗激しくねえか?
3回くらい、ランニングに行くたびに、新しい電池と入れ替えて持っていくことになった。
「無駄じゃん!」不経済じゃん。いくら四本100円のアルカリ電池でも、
1時間でおじゃん は、ねーじゃん?  ( TωT)ノ彡☆ばんばん!

誰も、入札してないわけですよ。ええ。
みんな知ってたのかな? この商品はこの程度のものだって。
やっぱりね。「安物買いは、やっぱ、ゼニ失い」でしたよ。ええ、ええ。
ま、使えないことはないですけどさ。電池の消費が早すぎる。
ま、SDカードリーダーとして、データのやりとりには使えますけどね。りっぱに。
USB接続しちゃえば、電池はいらないでよみかきできますし ね。
(´・ω・`)ショボーン

しか~し、音楽を聴きながらのランニングの心地よさ、を知ってしまった
おいらは、どーしても、いいプレーヤーが欲しい。
こんどは少々高くても、一流メーカー品が、ほすいっ!
で、以前に取り引きしたことのある人がメーカー品を出品していたのを
見つけたので、落札。送料込みで3,700円ちょいで入手に成功。
ま、安く上がったほうですね。新品、箱入りで。ラッキー。(@ ̄∇ ̄@)/~
(その前に、ムダガネ使ってるがな)

良いね。イイよ。なんか、背中押してくれる感じ。
疲れを忘れるってか、リズムを取りやすいせいなのか。足が出るね。
ケースとかないので、今は、ジャージやウィンド・ブレーカーのポケットに入れて
るんだけど。夏場どうすっかな~。
それにイコライザーも付いてるんだけど、ポップスからロック、クラシック
ごちゃまぜなんで、その度に設定変えてらんない。鳴らしっぱなしで走るんでね。
それに、インナー・スピーカー(イヤホン)によって、だいぶ音が変わってくるんだよね。
でも、良いのは1万円超えてるし。(本体より高い)

と、その辺の傾向と対策は、次回。(つづくんかいっ?)
 
    (ビケ♪こと管理人) 私も、iPodとか、その辺のものはまだ持っていないんですよねー
もともと、電車の中とか歩きながらまで、音楽聴きたくない
タイプなもので。
でも、小形でディスクも要らない、
録音にも使える物には、少し惹かれております。

オークションって、時にハズれますよね、ほんと・・・
みなさん、よく下調べした上で、
賢く利用していらっしゃるのですね。
不況ゆえ、安い商品が出回っている今は、
買う側が、買う前にエネルギーを使わなくてはならない時代かもしれません。
 

「この国のどこかで」2

 投稿者:たけどん  投稿日:2009年 2月 1日(日)20時38分32秒
返信・引用
  90年代にバブルが弾けると、日本でも「高級なイメージのフランス料理から
カジュアルな印象のイタリア料理へと移った」。
「冷製パスタ」だの「パンにオリーブオイルをつけて食べる」だの、
吉川氏には見たことも、また考えられない新しい食のスタイルを客は求めだしたのだ。

「イタリア人にとってパスタは熱々で食べるもので、冷えたパスタなんて
 絶対食べたくなかったよ」
「パンにオリーブオイルをつけるのは家でやることで、レストランでの行為じゃない」
「カプチーノは食後の飲み物ではない。レストランに対して『あなたのご飯では満足しなかった』と
 言ってるようなもんですよ」

「頭が固い」「古い」といわれても、吉川氏は
「食を伝えることは文化を伝えること」。「国の伝統料理をアレンジしたら何料理か
 わからなくなる」という彼の思いは変わらない。
吉川氏にとって料理はファッションではない。新しい、古いなんてないのだ。


60歳になったら店を閉めてイタリアへ行こうと考えていた吉川氏はそれをやめた。
イタリア自体が変わりはじめていたからである。
21世紀に入ると、ローマ、ミラノといった大都市は国際化の波に呑まれ、
ランチタイムの時間が大幅に短くなり、外食は嗜好性の高い特別なものになっていった。
つまり客は、いつも口にする料理ではない、特別な料理を求め、古き良き素材や
郷土料理が消えつつあるのだという。そんなイタリアへ渡っても、昔の友人達と
「今の若いもんは・・・」と、愚痴を言うだけになるかもしれない、と、
62歳まで店を続けてきたのだという。

店を閉めるに至った理由は、さまざまある。
再びイタリアへ渡り、店を出すという夢もあったというが、イタリア自体が変わって
しまった今、それにも意味が見いだせなくなった。吉川氏にとって「料理」は
イタリアとの「接点」であったという。その「イタリア料理」が
日本においてばかりでなく、本国イタリアでも変わってしまおうとしている。

「伝統的料理」と「独創的料理」。どちらが正しく、どちらが間違っているという
話ではない。ただ、多くの料理人は「イタリア料理という手法」を使って、
自分の料理の世界を表現しようとしている。
吉川氏は、料理によって、自分が若い頃に憧れた国(イタリア)を、伝えたかった。

「辞めたらどうするかって?」。吉川氏は答える。
しばらくはイタリア料理の事典を作りたいと思ってる。それを執筆することが
イタリアとの接点になるから・・・。

イタリアの星付きレストランで学んだ人気レストランの料理人がこう言っていた。
「時代にあった料理を作りたい。でも、自分の作っている料理がイタリア料理か?と
 迷ったとき、カピトリーノの扉を開けるんです」・・・。
「いつも変わらない味がある。人がいる。空気がある。その安心感が、イタリア料理人
 にとって計り知れないものであったことに、これから改めて気づくに違いない・・・」。
記事は最後にこう締めくくられていた。


・・・あー、結局記事の要約しかしてねー。
イタリア料理店なんぞ、数えるくらいしかいってねーし。
ナポリタン頼んだら、びっくりするくらい(三人前)の量の皿がでてきた店
くらいしか印象にない。イタリア料理のなんたるかも知らない。
そんで一体、おいらが何を言いたかったかのも、よく覚えていない。(はぁ?)
ビケ♪さんなら、なんかくみ取ってくれるかもな~と思って書いたのかな。


吉川(敏明)氏が「カピトリーノ」で、何を伝えようとしていたのか。
吉川氏の惚れ込んだ「イタリア」とは、何だったのか。
つらつら思うことは、「師匠って大事」だなーって、ことかな。
吉川氏自身、日本にいた頃からイタリア料理どころか、イタリアに
憧れていたわけでもなく、ただ「外国に行きたい」と思っていただけの若者だったからな。

その彼がなぜ、イタリア料理を通じて自分が惚れ込んだイタリアという国、文化を
日本にも伝えたいと思ったのか?
彼は、イタリアで「何かに出会った」、あるいは「何かを見つけた」のだ。
あるいは、「誰か」によって、それを教えられたのだ。
その「何か」とは、一体なんなのか。
その「何か」を、他の国、他の文化に伝えるとは、いったいどういうことなのか。
どうなることが吉川氏の望みだったのか。
それはカピトリーノの閉店でついえてしまったのか・・・?

おいらなりの答えをココで書くつもりはない。言葉にしてしまうと
ありきたりで、紋切り型の「陳腐な答え」になってしまうと思うからだ。
ちっとも珍しくもない、言い古された言葉、その中に宝が埋もれていることに
多くの人は気づかない。
それぞれ各々が、古びたものの中から、新たにその価値を見つけ出すしかないのだ。

だが、最後に言いたいことは、
意外と「キューピーのボロネーゼ・ソース」はウマイ。
これまでは「明治屋」のボロネーゼが最高のソースだったが、
あの「ミート・ソース」が酸味が目立つでお馴染みの「キューピー」が出した
ボロネーゼがなんと明治屋にせまる・・・(脱線いいかげんにしろ、で 終わります)


 (↑ば、ばかじゃねーの?)☆-(ノ゚Д゚)八(゚Д゚ )ノイエーイ
 

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