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(無題)

 投稿者:shigeru2007  投稿日:2013年10月29日(火)04時24分51秒
  西園寺昌美先生のお話を掲載いたします。



『 平和な社会を創るための意識改革

 二十世紀において、この地球に平和な社会を創るため、また自らが幸福になるために、私たち人類が願い、目指してきたことは、戦争や貧困や飢餓をなくすこと、食料を分配すること、科学技術を教え導くこと、政治・経済を発展させること、自然破壊を食い止めること・・・でした。



 そのために、過去多くの指導者や専門家たちが多岐にわたり出来る限りの方法を編み出し、努力を重ねてきました。しかし、それらによって人類に真の平和や幸福がもららされたことはありませんでした。なぜなら、それらは対症療法に過ぎなかったからです。



 人類は今、根本的な解決法を必要としています。即ち意識改革を必要としているのです。どんなに戦争を止めさせても、自然破壊を食い止めても、人類の意識が変わらなければ、また同じことが繰り返されてしまうからです。



 人類の意識が変わり、自分に関わるすべての事柄をポジィティブに捉えるようになれば、戦争も貧困も飢餓も、自然破壊もなくなります。すべてが自然に調和へと導かれ、平和な社会が築き上げられてゆくのです。
 
 

最近起こった二つのこと

 投稿者:shigeru2007  投稿日:2013年10月 6日(日)14時55分9秒
編集済
   一つは9月18日のことでした。夜中に目覚めてトイレに行ったところ、真っ赤なおしっこが出てびっくりしてしまいました。過去に2回ほど真っ赤なおしっこをしたことがありますが、その時は次のおしっこの時には、普通のおしっこに戻ったため、結石が一緒に出たのだろうと医者に行くこともしませんでした。

 しかし今回は、今までと違っていました。翌日もその翌日もトイレに行くたびに真っ赤なおしっこが出て、治らないのです。これは尋常ではないと思い始めた私は、仕事のこともあり23日の午前中に総合病院の泌尿器科を診察に出かけました。
 

村田長老導師のご指導(38) ~ 霊界移行が間近な人には ~

 投稿者:shigeru2007  投稿日:2013年 9月22日(日)11時11分23秒
編集済
    今日も故村田長老導師のご法話を紹介させて頂きます。


   ≪霊界移行が間近な人には≫

 『霊界移行というのは、肉体の修行の総決算になります。
 まぁ、徳の残るように、みなさんにもお願いしたい(笑)。それには、もう霊界移行が間近な人には、何を与えるかと言えば、“神への感謝”これしかないのです。“感謝は光なり”で、明けても暮れても感謝して下されば、光り輝く世界へ行かれます。

 もう余命幾許も無い人だと思った時は、厳しく祈りを教えることが愛の在り方です。こちらが信じられないとフワッと終ります。相手が震え上がるほどの厳しさで教えるのは、こちらの愛念です。

 しばしでも祈り一念の後亡くなれば、霊界での修行の場が違ってきます。それを観て、私は「ああ良かったなぁ」と思います。

 肉体の生命があと僅かしかない人には、曖昧な導きではなくて、短い期間に祈らせるには、勇猛果敢な教えが必要となります。

 私は短い言葉でも厳しく言います。私は叱ったなどと思いません。深い強い愛念だと思います。私もよかったなぁ、と思います。だから相手の方が実行して下さることは尊いことです。』



   ≪ピラミッドについて≫

 『やはりピラミッドの中心に立つと凄い光が入ってきます。丁度、円盤の内部構造に似ています。あの中で祈れば、色々の病気や、災難、また貧乏の状態も、その人の業生の流れがよどんだ時にその人の因縁となって現れる。そういう気の流れを修正する凄い力が働く、そして奇蹟が現れてくると、私なりに解釈しています。

 我々は、この様な事を、今まで想像も致しませんでした。あの土地も浄めました。あと4、5年もすれば凄い所になると思います。

 今の野外道場に小さいピラミッドを造った時に、昌美先生が「やがてここに、世界中の宗教の指導者が集まるのよ」とサインしながら、仰ったのをよく覚えています。』


  ≪村田長老導師への質疑・応答≫

Q:生まれ変わりをする階層は、普通どの階層まででしょうか。

A:現世への執着の想念が消えるまで、生まれ変わりを繰り返します。おおよその人達は、何百回も輪廻転生を続けます。

Q:守護霊様も生まれ変わるのでしょうか。

A:守護霊様には生まれ変わりはありません。

Q:この世の地位、立場、本人の環境の善し悪しは関係ないものでしょうか。

A:人の生まれ変わりの場合には、現在置かれている立場の全く反対の立場であった場合が多いのです。

Q:霊人達は、この世のことは、どの程度分かっているのでしょうか。

A:霊人達のこの世での経験したもの、または教えられたり、見たり、聞いたりしたものは、潜在意識の中に一応全部収められているのですが、必要に応じて顕在意識に現われ出るものです。

Q:統一テープの長いものと短いものとでは、違いがあるのでしょうか。

A:長短がありますが、いずれも同じことです。その時の時間の都合で決めるものです。

Q:本部のテープであれば、古い統一会の統一テープでお祈りしても違いはないでしょうか。

A:テープの古い、新しいはございません。全て五井先生のもの、違いがある訳がございません。ただし、使い過ぎで、音声が荒れるものは、お止めになられるとよろしいです。清く、美しい音色が望ましいです。

Q:日々のお祈りで、長くお祈りした方が良いということはないでしょうか。

A:長い場合と、短い場合があります。どちらでも良いです。その時の時間の都合でよろしい。

Q:日常生活の中で、瞬間に祈る祈りと、座って祈る祈りの意義の違いはあるのでしょうか。

A:日常生活の中での瞬々刻々の祈りは短くて良い。精神集中することです。

Q:統一中の雑念は消えてゆく姿ということですが、正座で足が痛くて、ろくにお祈りが出来ない場合があります。この時のお祈りにも、何の違いもないでしょうか。

A:テープによる統一は、一心不乱に五井先生を心の中でお呼びし続けるのが、雑念を寄せ付けない方法です。
   雑念が出ても、消えてゆく姿としてお祈りの中に入れてゆく訓練が必要です。
   また、座法は、普通の統一は、正座で統一に入るのです。結跏趺坐もありますが、これは出来る人と出来ない人があります。座法は、心の安定する座法を選べばよい。 
 

村田長老導師のご指導(37) ~ 5月の富士野外道場特別統一会について ② ~

 投稿者:shigeru2007  投稿日:2013年 9月16日(月)16時42分26秒
編集済
   前回(36)の故村田長老導師のご法話の続きを紹介させて頂きます。


   ≪昭和62年5月10日の富士野外統一会について ~②~≫

 『(スーパーパワーは、)人間は小宇宙だと言われていますように、我々に内在しているものです。
 一方は内にある大元から光が来た。一方は宗教的に上へ上へと統一して昇っていく、高い世界の神へと求めていくという行き方と、内へ内へと、段々微妙なる波動へと求めていく、という行き方は全く同じで一つのものなのです。どちらの求め方でも良いのです。
 知らず知らずのうちに現わすもので、お祈りしている間に出て来る。

  ( 省 略 )

 宗教の初歩は、現象利益を求めてというのがほとんどでございますので、神様もそれを与えて下さいますが、それは永遠のものではなく、与えて下さった現象利益はありがたいが、丁度おまけのようなもので、ゆるがない永遠不滅のもの、不動のもの、これは内にあるものを磨きだす、それが祈りだということになります。
 宗教の根本は不動心です。その心が無いと、あれが出た、これが出て来たと心がゆるぎます。

 先日も昌美先生から「もう、これからは本会の人達は業生がありません」と、仰っていただきましたね。しかし、現実の生活には老病生死がありますし、貧乏も災難もあります。では昌美先生が仰ったのにどうした事ですか、と仰る方がございますが、出て来るものは過去世のもので、これからは、もう無いのだということです。

 その過去世のものも大きくおまけしてあげると仰っていますので、どんな災難があっても貧乏であっても、それは過去世のもので、どうしても払わねばならないものだけで“これからは無いのだ”という確信が大切なことです。
 この頂いた手形は、霊界まで持っていくことの出来る凄い手形です。まぁ、手形を忘れて行く人もいらっしゃいますが(笑)。』



   ≪富士野外統一会において配られた神秘なる水について≫

 Q:あの後、残ったお水はどうなさったのか?

 A(村田):残りの水をみんな飲んで肉体が溶けると困りますよ(笑)誰も残った水を飲んだ人はいませんので。

 Q:あの水を参加出来なかった人に飲ませてあげれば如何でしたでしょうか。

 A:しかしあれは、こちらの物質エネルギーとの交換ですからね。すでに一杯水が満ちている状態の上に、入れていくのではなくて、だから先に肉体エネルギーを取ると、仰いましたね。後からではなかったでしょう。先に取って、その後入れていただいたのです。

 Q:なるほど、そうすると欲張って飲んでも駄目ということですね。

 A:そうですね。本当に凄いことでしたね。

 Q:あの日に、あそこでお祈り出来たということは、凄いことでしたのですね。

 A:その通りです。守護霊様はそのお水が頂けることをご存知ですからね。前々からその日に参加させたいとお働き下されたので、勿論初めて参加された方もあったと思いますが、守護霊様の何生かをかけてのお働きがありこの行事に参加されたので、肉体人間は今はわかりませんが。だんだん後になって分かって来ると思います。


   ≪神社、仏閣へのお祈りについて≫

 『私達の行事のなかでも、或る時、村へ参りました。そこには、自由の神様がお祀りしてございまして、丁度、そこは漁村と農村をお護りされている神様でございましたが、多くの神々が正装してお迎え下さり、その神社の謂れをお話下さったのですが、その時我々は平服だったのですが、それ以来、きちんと我々も正装して参ります。

 それは、昌美先生をお迎え下さる訳で、決して我々と申しましても、お間違え下さいませぬように。また、決められた時間、何月、何日の何時とのお約束がございますと、早く行っても駄目で、やはり、それに関係する神々がお揃いになりませんと、顕れて下さいません。

 我々のお祈りしている世界平和の祈りが、世界各国に広がった時、その国その国の代表者となり得る様に、今のセミナーの人々を養成しているのです。みな各々の使命があります。我々も叱咤激励されます。

 昌美先生が「村田さん、そういう人を教育するという事は、ありがたい事でしょう」と仰られました。私は「本当に幸せだと思います」と申上げました。大変ですが、この様に使命を持った人々の教育は、如何したものかは、自分が“あのようにしよう”“このようにしよう”という思慮分別ではなく、神のみ心を、如何にして、この人達に伝えるかという事に、全使命があると思っております。』


   
 

村田長老導師のご指導(36) ~ 5月の富士野外道場特別統一会について ~

 投稿者:shigeru2007  投稿日:2013年 9月 7日(土)15時58分31秒
編集済
   今日も故村田長老導師のご法話を紹介させて頂きます。


   ≪昭和62年5月10日の富士野外統一会について≫

 『あれは、世紀の大偉業でございましたし、私は後世に残る大行事だと思いました。
 人類の輝ける金字塔を打ち建てた日で、もう済んでしまったということではなくて、後世に残る大セレモニーだと思います。人類が大きく開かれていく、第一歩として詳しく注釈が加えられて後世に残されるでしょうが、我々はその荒筋だけを見たのだと思います。

 まず第一に、世界地図の上に参加者の住所、氏名を書き記し貼りましたね。今までに色々の行事で名前を書いたことがございましたが、あれらは全部天の倉に記録されています。そして、その名前は永劫に燦として輝いています。

その前日より、昌美先生を通して神界よりのご指示を受けて、色々と準備されました。樽もあったでしょう。コップ等も、夜になって色々と行事の用意を整えたとお聞きしております。

 神々の行事は前々から用意しますと、色々と人間の業がつきます。ああだ、こうだと人間の想いがかかってまいりますので、純粋に行事の前にパッと成されるのです。我々は今までに何回もご神事を受けましたが、その時になって急にご指示がございます。

 次に、朝の9時、10時頃に(太陽の周りに現れた)円形の虹のことについて、昌美先生が仰っていますように、神々様のお姿だと、丁度神々様が手を取り合った形である円形状に富士の聖地を覆い、凸レンズの役目をしておりました。それが、万余を数える神々の集いでした。その神々を五井先生が手足の如くに動かしておられます。

 本来ならば、国津神様はセレモニーが始まる間際にお出ましになりますが、今回は前の日から富士山にお集まりになってお待ちになっていたというようなことは、かつてなかったことです。
 やはり、これは世紀の大偉業でしたが、我々には分りませんからね。

 また、神様の直接の光は強いので、水を濾過するように光を神々が虹の凸レンズで緩和して、我々の肉体に害の無いように波動調整してお守り下さったのです。

 我々が奇蹟だ!奇蹟だ!と申し上げても、どこが奇蹟だということになりますが、どこがどのように奇蹟だったのかということが、これから段々と説明出来るようになっていき、人類が教えられ開かれて来ると思います。

 富士山は世界の霊の中心でございますので、世界各国の神々も山頂にお集まりになり、我々の祈りの場の整うのをお待ちになっていたと思います。

   ( 省 略 )

 神々様にも、それぞれの守護霊様・守護神様・氏神様が在り、我々は氏子と言って、近くの氏神様にお宮参りしますと氏子になる。次は氏がいくつか集まって郷になり、そしてまた、いくつか集まり国になり、その国を全部統合した国津神様ということになります。

 だから、この国津神様は、民衆の嬉しさ、悲しさ、苦しみ等が分かり、その国民の民意を汲んだ服装です。そして、我々があの国と思った時に思い浮かべる服装です。暑い国は薄い夏の正装、寒い国は厚着です。大きな国や富める国、また、食べる物にも困っている貧しい国は貧しい服装です。

 また、山を司る山の神様は、ゆったりとした波ですから、石をポンと投げても、痛いと山が感じるのは何千年も後のことです。山の命はあっても、このようにゆったりした神様、あらゆる分野の神々様等、みな波動が違っています。

 そして、我々の手の届かない、この肉体界から霊界へと移行して、神界に至っても、更にその奥の天界。無と言おうか、根源と言おうか、すべてのすべて、その何もない世界から、すべてが実在している世界の扉が開かれる。

 無という世界は何もないが、また、すべてがある世界、人類はそれに向って勉強し続けるというのが、我々の在り方ではないでしょうか。

 昌美先生が仰っています神界の奥の奥の世界、この神界の一つの世界ではございません。大宇宙につながっている入り口が神界ということです。

 その何もない世界から、すべての扉が開き、一直線に神様を通してこの地球界に光が降ろされる時、強すぎるので、各階層毎にこれらの波動を変えていく働きがあり、私達まで届く時には、私達の波動に合うようにして下さっているのです。

 それが、太陽の周りの円光が、富士の聖地を覆う凸レンズの働きにより起る現象で、一瞬、我々の肉体は真空状態になり、我々は何も感じませんが、その時に宇宙の色々なエネルギーが注ぎ込まれた。本当に真空状態にいたしませんと、一杯に業生が詰まったままでは何も入りませんのでね。

   ( 省 略 )

 (スーパーパワーは、)人間は小宇宙だと言われていますように、我々に内在しているものです。
 一方は内にある大元から光が来た。一方は宗教的に上へ上へと統一して昇っていく、高い世界の神へと求めていくという行き方と、内へ内へと、段々微妙なる波動へと求めていく、という行き方は全く同じで一つのものなのです。どちらの求め方でも良いのです。
 知らず知らずのうちに現わすもので、お祈りしている間に出て来る。

  ( 省 略 )

 宗教の初歩は、現象利益を求めてというのがほとんどでございますので、神様もそれを与えて下さいますが、それは永遠のものではなく、与えて下さった現象利益はありがたいが、丁度おまけのようなもので、ゆるがない永遠不滅のもの、不動のもの、これは内にあるものを磨きだす、それが祈りだということになります。
 宗教の根本は不動心です。その心が無いと、あれが出た、これが出て来たと心がゆるぎます。

 先日も昌美先生から「もう、これからは本会の人達は業生がありません」と、仰っていただきましたね。しかし、現実の生活には老病生死がありますし、貧乏も災難もあります。では昌美先生が仰ったのにどうした事ですか、と仰る方がございますが、出て来るものは過去世のもので、これからは、もう無いのだということです。

 その過去世のものも大きくおまけしてあげると仰っていますので、どんな災難があっても貧乏であっても、それは過去世のもので、どうしても払わねばならないものだけで“これからは無いのだ”という確信が大切なことです。
 この頂いた手形は、霊界まで持っていくことの出来る凄い手形です。まぁ、手形を忘れて行く人もいらっしゃいますが(笑)。』


 ※ 掲載した写真は、今年の7月7日に富士聖地で撮影したものです。不思議な形の雲でした。
 

長崎WPPC開催

 投稿者:shigeru2007  投稿日:2013年 8月31日(土)17時08分56秒
編集済
   去る8月9日長崎原爆の日に、爆心地公園にて、約50名のスタッフにより14回目の長崎WPPCを開催いたしました。
 参加下さった皆様に心よりお礼申し上げます。

 長崎、広島は地球上で原爆が投下された唯一の都市であり、現在は世界平和を世界中に発信する光の拠点として、それぞれの原爆の日に毎年WPPCを開催しています。

 長崎WPPCは地元の会員さんも少なく、前日地元で開催される宇宙子科学研究員によるお祈り会も主導してくださる中澤様を初め、福岡県を中心に遠くは関東から参加される県外の皆さん一人一人がスタッフとなって下さり、心を一つにした尊いお働きにより継続してまいり、お蔭さまで今年も多くの外国の方々に飛び入りで旗手を務めていただくなど素晴らしい行事となりました。

 県外から参加して頂いている皆様に改めて心より感謝申し上げます。
 そして来年も、参加して下さる皆様とお会いできることを楽しみにいたしておりますとともに、長崎らしくアットホームな長崎WPPCを皆様とともに創り上げ、長崎から世界中に光を発信してまりたいと思っています。

 今年は、東京の坂崎様に長崎WPPCの模様を撮影して頂きましたので、そのURLをご紹介させていただきますので、ご覧ください。

 長崎 岩丸茂


  長崎WPPC(1)(49分52秒)
  http://youtu.be/81mnTukb7Xc

  長崎WPPC(2)(14分49秒)
  http://youtu.be/Q4JlrKCw98s
 

村田長老導師のご指導(35) ~ 霊言、霊示集が発行されているが ~

 投稿者:shigeru2007  投稿日:2013年 8月18日(日)16時21分15秒
編集済
   今日も故村田長老導師のご法話を紹介させて頂きます。


   《日本、世界各国の聖者、賢者、宗祖の霊言、霊示集が発行されているが》

 『最近、霊言、霊示の書物が巷に随分多く出ております。こうした傾向は大変に良いことなのですが、それらの大半は霊言ではなく、肉体人間の想念で書いているものです。私のところにもこれらの書物が送られてきますので、一通り目を通しますが、大部分が間違っています。

 例えば、或る人を霊視しますと、その方は、或る階層で修行しております。私の視るその階層の住者が、この様な事を言われる筈がない・・・と思うことばかりです。

 言葉というものは、その人の心の波動です。人は皆それぞれに各自の心の動き、働きを波動で現します。その波動が言葉になり、また行為となって現れてゆくのです。

 ですから、高い階層の住者は低い汚れた波動の呼びかけに応答される筈がないのです。それを、さもその人が言ったり、考えたように表現しているのが、おおよその霊言、霊示です。私には、その人の言葉でないのが分かります。

 しかし、一般の人達は、その内容を神審(さにわ)する力を持っておりません。ですから、霊言、霊示の本が巷に氾濫するのです。

 でも、そのような書籍を出した人達は、誠に幼ないのです。またその様にして多くの人達を迷わした罰は重いものです。犯した罪は、全て自分のもとに返ってくる・・・という天の法則を知らない無知から起こるのです。

 そしてその罪は、今生で負わねば霊界で、または来生で全てを負うようになる。
 この理を知るならば、そのような虚言流布をする人はなくなるでしょうが。未だ現世は未完成です。玉石混交の時代ですので、このような虚言が流行するのも、やむを得ないことかと思います。

 いずれにせよ、これ等の霊言、霊示の類も、五井先生の世界平和の祈りの大光明の前に消え果てます。

 それよりも「世界人類が平和でありますように」との祈り言を、日々の生活の中で、一回でも多く祈り下されて、神様のお役に立つ器となりますようにして参りましょう。

 祈りの同志には、お祈りの功徳により、世界平和のお祈りの中でのご自分の世界が展開されてゆきます。

 肉体界の修行を終えても、霊界、神界で同じような世界で働き続けてゆく自分を見出すのです。生死を超え、永劫に生き続けてゆく自分、永遠不滅の自分を識るようになるのです。

 それは、世界平和のお祈りの功徳によって、昇華してゆける世界であります。』
 

村田長老導師のご指導(34) ~ み霊まつりと夢について ~

 投稿者:shigeru2007  投稿日:2013年 8月 4日(日)23時53分3秒
編集済
   今日も故村田長老導師のご法話を紹介させて頂きます。

  《み霊まつりが終わって二、三日後におばあさんが出てきましたが、みたましろに書き忘れた人でしょうか》

 『それは、あなたのお蔭で、み霊まつりで大きな光をいただいたので「ありがとうございます」と、感謝に来られたのです。それで、そのまま霊界(むこう)の世界へ帰られたのです。何も恐れることはございません。

 高い世界へ還っていかれたのです。
 その様に、み霊まつりの頃は次から次へと感謝に来られます。
 水子の霊とか、特にお浄めを受けたい人とか、色々と書く箇所がございますが、あれは○○家先祖代々と書くだけでよいのです。その先祖代々を書くだけで、無量無限の人達が来て、その輪が次から次へと大きく広がっていくのです。

 それが、五井先生がおっしゃっていました“世界平和のお祈りは、幽界の浄めだ”ということです。その大きな貢献の橋渡しをさせていただくのが、み霊しろに○○家先祖代々と申し込むことです。本当に大きな功徳です。

 まだまだ多くあるのでしょうが、特に縁の深い人がお礼に来られたのですよ。
 だから、み霊まつりの頃は、多くの人々がお礼に来られます。もっとこちらまでいらっしゃいと申し上げても、もう、ここで結構ですと、おっしゃる方もあり、本当に波のようにザァーっと来られて、それをいちいち丁寧にやっていると大変ですよ(笑)。

 本当に私ばかりでなくて、皆様に申し込んでいただいた人達の喜びが、全部申し込んだ人の徳となって現われるのです。

 お礼に来られても、近くまで来られる人とか、それぞれの霊位によって違ってくるのです。皆様は大きな徳を積みます。それは、霊界へ行くと、貯金通帳に載っているように、きちんと見せられて、感謝感激するのです。』



  《母が夢に現われて、二日後に亡くなりましたが・・》

 『はい、守護神様が連れて来て、縁ある人に別れをさせていらっしゃるのです。今回のように霊で行く時と、実際に肉体で別れのご挨拶に来られる人とございます。』



  《亡くなった方の夢をよく見ますが、夢に出て来る人には、サッとお祈りするようにしているからでしょうか》

 『それは、お祈りを催促するのではなくて、頼んでいるのです。お祈りをして下さると、一回一回のお祈りが霊界(むこう)に届いていますので、お頼みしているのです。ただ何となくその人のことをフッと想う時は、相手があなたに波を送っている時なので、あの人の天命が完うされますように、と祈れば、光が霊界(むこう)に通じます。』



  《夢で見る方が、どうしてこのような人が出て来られたのかと、思うような人ばかりですが・・・》

 『それは、前生で縁のあった人達です。そういう場合は、どちらかと言うと、こちらがお世話になった人で、あちらに貸しがあるから、その貸しを通して「あれ頼むよ、これ頼むよ」とお頼みになりますので、守護霊様は、借り分があるので、どうしても借り分は受けなければならないのですよ。

 やはり、お金の貸し借りではなくて、精神的な貸し借りがあるのです。

 夢は見ても見なくても、どちらでもよいのですよ。夢は、消えてゆく姿ですから、そう思って下さい。良い悪いは別問題として、夢は私達の意識で、見ようとしても見られるものではございませんのでね。』



 
 

『終(つい)の住処(すみか)はどこに』

 投稿者:shigeru2007  投稿日:2013年 8月 3日(土)13時45分9秒
  年が明けたというのに、暗い話題から入らなければなりません。


 1月20日(日)夜のNHK総合テレビで、一人暮らしの高齢者をテーマにしたドキュメンタリー番組が放送されていて、明日は我が身の心境で見入ってしまいました。

 (あらすじ転載)

 『歳をとることは罪なのか――』
 今、高齢者が自らの意志で「死に場所」すら決められない現実が広がっている。
 ひとり暮らしで体調を壊し、自宅にいられなくなり、病院や介護施設も満床で入れない・・・「死に場所」なき高齢者は、短期入所できるタイプの一時的に高齢者を預かってくれる施設を数か月おきに漂流し続けなければならない。

 「歳をとり、周囲に迷惑をかけるだけの存在になりたくない…」 施設を転々とする高齢者は同じようにつぶやき、そしてじっと耐え続けている。

 超高齢社会を迎え、ひとり暮らしの高齢者(単身世帯)は、今年500万人を突破。「住まい」を追われ、“死に場所”を求めて漂流する高齢者があふれ出す異常事態が、すでに起き始めている。

 ひとりで暮らせなくなった高齢者が殺到している場所のひとつがNPOが運営する通称「無料低額宿泊所」。かつてホームレスの臨時の保護施設だった無料低額宿泊所に、自治体から相次いで高齢者が斡旋されてくる事態が広がっているのだ。
 しかし、こうした民間の施設は「認知症」を患うといられなくなる。多くは、認知症を一時的に受け入れてくれる精神科病院へ移送。
 症状が治まれば退院するが、その先も、病院→無届け施設→病院・・・と自らの意志とは無関係に延々と漂流が続いていく。

 ささいなきっかけで漂流が始まり、自宅へ帰ることなく施設を転々とし続ける「老人漂流社会」に迫り、誰しもが他人事ではない老後の現実を描き出す。さらに国や自治体で始まった単身高齢者の受け皿作りについて検証する。その上で、高齢者が「尊厳」と「希望」を持って生きられる社会をどう実現できるのか、専門家の提言も交えて考えていく

 (転載終り)

 何歳からが高齢者なのか、明確な定義はないようですが、1956年に国際連合が65歳以上を「高齢者」とし、日本では老齢年金を65歳以上としていることから、一般的には65歳以上からと言うことになるのでしょうか。

 今回の番組で取材の対象となった方は、86歳の男性の方で80歳まで運搬業をして働いていましたが、80歳の時に奥さんが他界し、その後、ご本人も体調を崩され、一人で歩くことが出来なくなり、短期入院先を転々とする状況になってしまわれました。

 80歳まで働いて来られたのですから、一般の人以上に一生懸命頑張って来られた方です。そういう人でさえこういう状況になってしまうことが、これからの高齢化社会の問題の深刻さを暗示しているように思えてきます。

 民間の老人ホームに入ることが出来れば長期間居られるのですが、民間の施設に入所するには最低でも13万5千円が必要とのことで、この方のように貯蓄がほとんどないうえ、月々の年金受給額が6万円では民間の施設に入所するのは到底無理な話です。

 最終的にこの方は、民間の施設に入所するのに不足している7万5千円を、行政の方が生活保護を受けられるように手続きのお手伝いをされて、民間の老人ホームに入れるようになりましたが、認知症になると、この老人ホームも出なくてはならないのだそうです。

 放送では、一人暮らしで体調を崩され入院を余儀なくされた方のことををテーマとしておりました。しかし、病気にならなくとも、月々もらえる年金が数万円の高齢者が働けなくなった時、働き口が無い時、年金だけで生活していけるのでしょうか。

 番組の中で、現在年金をもらっている高齢者のうち、月々の受給額が10万円以下の人が48%であると放送されていました。

 65歳以上であっても、健康で働き口があるのなら問題ありません。働き口があるのに働かないということであれば、それは個人の選択の問題であり、個人の責任です。
 しかし、現実的には65歳以上の方が働き口を見つけるのは非常に難しい状況にあると思います。
それでは一般的に、どれくらいの年金をもらっているのでしょうか。

 (年金の平均的受給額の概要転載)

 公的年金は、自営業者が加入する「国民年金と、サラリーマンが加入する「厚生年金」、公務員が加入する「共済年金」に大別できる。国民年金加入者は第1号被保険者、厚生年金などの加入者は第2号被保険者、そして、第2号保険者の妻である専業主婦は第3号被保険者となる。

 1号保険者は毎月約1.5万円の保険料を40年間納めれば、65歳から毎月約6.6万円の年金を受給できる。2号は所得に応じた保険料を納め、65歳から保険料に応じた年金を受給する。3号は保険料負担無しに1号と同額の年金を65歳から受給できる。モデル夫婦世帯の年金額は2号分+3号分だ。

 夫の年金額は「平均標準報酬月額」と勤務年数で決まる。「平均標準報酬月額」とは、簡単に説明するとボーナスを含む平均月給だ。

 厚生労働省は、平均的な月給のサラリーマンが40年間働いたと仮定すると、年金額は月16.7万円と試算している。試算前提の平均的年収は560万円(税込み)だ。これに専業主婦の妻の年金額、月6.6万円を加えてモデル夫婦世帯の月額23.3万円となる。

 (転載終り)

 上記の場合、平均的サラリーマンの平均年収を560万円としていますが、実際はこの年収の何倍、何十倍の年収がある人達を加えての平均年収であり、一般的な年収はもっと低いのではないかと思います。

 それでもまぁ、夫婦二人の月々の年金額を合わせて平均20万円ぐらいになるのでしょうか。それだけ貰えるなら夫婦二人であれば、何とか暮らしていけそうな金額ではあります。

 しかし、それは平均額であると考えると、半分の人達はそれ以下ということになってきます。特に自営業をやっていて高齢化で働けなくなった方のほとんどは月々の年金額が10万円以下ということになるのではないでしょうか。

 これから5年の間に一千万人を超える第一次ベビーブームの団塊の世代の方々が新たに高齢者世代に参入して来ますが、それらの方たちも含め、月々の年金受給額10万円以下の高齢者の方々は何百万人にもなるのではないでしょうか。それを思うと暗澹たる思いがしてきます。

 何日か前に生活保護の金額が減額されると報道されていました。
 正直、真面目に年金額を収めて来た人から見ると、生活保護の支給額の方が年金額より多いというのは納得いかない思いがありますが、国家公務員の天下りの見直しや国会議員の定数削減は遅々として進まないのに、消費税を増やしたり、年金額、生活保護額を減らすといった、国民に負担がかかるような政策対応はえらく機敏なような気がします。

 国会議員や官僚等といったある程度経済的に恵まれている方々には、10万円以下で1ヶ月の生活をすることがどれくらい厳しいものか解っていないのではないか、と言いたくなります。

 さらに言えば、現在は通常60歳定年で、それ以降の5年間は条件付きながら継続雇用するように法律で定められていますが、それに違反しても実質的な罰則はないため、実際継続雇用制度を採用している会社はおそらく50%もないという現状の中で、さらに年金支給の年齢引き上げが取りざたされています。

 私は幸運にも定年退職後、請われて別の職場に転職しフルで勤務しており、裕福ではないにしても非常に恵まれた環境にいると思っていますが、同級生の中には適当な職がなく働いていない人もいます。

 そういう人達は定年退職から5年間をどうやって生活していけばよいのでしょうか。国は目先の景気対策だけでなく、しっかりと国民の現状を把握して、高齢者の働く場の提供や罰則を設けてでも継続雇用の完全実施などの対策を早急に図らなければ、戦後の日本の再興を支えてきた多くの高齢者が困窮を極め、生命を奪われかねない状況が急増していくと思います。


 ※ 庭の梅が開花しました。今はまだ五分咲きかな・・・。1月31日撮影。
 

村田長老導師のご指導(33) ~ 夢について ~

 投稿者:shigeru2007  投稿日:2013年 7月21日(日)22時47分2秒
編集済
   今日も故村田長老導師のご法話を紹介させて頂きます。


  《夢について》

 『夢にも色々ありますが、夢は徹底して消えてゆく姿です。夢は幽界において夢のように現して、消して下さっているというのが、五井先生の基本的な教えです。
 しかし、たまに翌日に現れる事を夢で教えられる場合がある。

 それは、正夢だと言われていますが、そのような夢はほとんどございません。夢で消して下さらないと、本当になると困ります。
 つまり、潜在意識にあるものを夢で具現化して、この世に現さないで消して下さるという神様のご愛念です。

 それは潜在意識として蓄積されたものは必ず現れるので、夢として現し、消して下さるという形が一番良いのです。病気や貧乏など不幸災難もどれも現れたら困ります。

 だから、あの夢を見た、この夢を見たと、夢のことを思うのではなくて、良い夢ではなくても、“ああ これで消して下さった”と思えた時に「消して下さってありがとうございました」と感謝の思いが出れば、スパッと消して下さったのだというのです。

 どうぞ、繰り返し繰り返し夢のことを思うのではなく、“消して下さってありがとうございます”と、感謝の念で結んでもらいたいのです。』



 《一度目が覚めて、夢で良かったと思って寝たら、また続きを見ることについて》

 『そうですね(笑)次々と出て来ることがございます。
 例えば、そんなことを思ってはいけない、腹を立ててはいけない、恨んではいけない、と思っても、次から次へと“あの時はああだった”“この時はこうだった”とポンポンと出て来る時があるでしょう。それが出て来る間は、まだ良いのですが、それが形となって現れてくるのです。

 よくこれだけ出て来るなぁ、と自分でもびっくりするぐらい、潜在意識に詰まっているものが出てくるので、抑えても丁度ラムネの瓶の口を開くと、手で押さえても中からドンドンと吹き出て流れて来るように、自分の浅い理性で抑えても、抑えきれるものではないので、抑えれば抑えるほど、中から突き上げるように出て来て、抑えきれないのですから、出れば出たでよいから、“ああ、これで消して下さって、ありがとう”とサラサラと流しなさいと、五井先生が消えてゆく姿として、教えて下さっているのです。夢は徹底して、消えてゆく姿と思っていただきたいと思います。』



  《夢の中で、相手を殺したことについて》

 『そういうのはあるでしょうね。夢の中でよかったですね。本当だったら大変ですよ(笑)。
 そういうのは、その人の運命として在るのです。そのように運命として在るものを運命のままにしておくと困るので、出来るだけお祈りして、小出しにして、消して下さる場合が多いのです。
 そして、その一方では、世界人類が平和でありますように、という祈り言は、凄い陰徳を積むのです。

 このようにただ消えてゆく姿というだけでなくて、その徳に免じて小さく消して下さっているので、取引きのような形になっているのです。その取引きの対象が、世界平和のお祈りの功徳です。

 ある人が霊界へ行きます。その人には、まだ消せてない、これだけのものを持って行きます。
 それは霊界で修行して消すか、または次の世に生まれ変わってやるか、というものを持っているのですが、この世の縁者たちが、その人の為にと愛念を向ける、その人の天命を祈る。それが霊界では光となって、照射されるのです。光をパァッと送ると、フッと色々の想いが消されるのです。

 このような形で霊界では、因縁性を消されるのです。どうぞ亡くなった人には、一生懸命にお祈りしてあげて下さい。皆様の愛念が光となって、その方のところへ行き、大きな救いとなります。

 我々は、世界人類が平和でありますように、と不特定多数の人々にお祈りを捧げますと、大きな徳を積みます。その徳というのは、最初の間は自分の欠点や業がその功徳と相殺という形ですが、お祈りを深めて参りますと余りが出てきます。その余りはどうなるかと申しますと、自分の一番身近な縁者に行きます。

 つまり、亡くなった自分の両親とか、また兄弟とか、本人だけでなく縁者の方へも行く、その功徳の大きさや深さが分かれば少しの時間も惜しんで祈りますし、祈って欲しいと思います。しかし、祈りの大きさを自覚しなくても、世界平和の祈りをすれば、功徳を積んで行くのです。

 だから日々の中で祈り続けて欲しいのです。
 「五井先生、ありがとうございます」だけでもよいのです。「神様、ありがとうございます」でも、みんなそれらは共通するものですから。

 誰でも出来る祈り、老若男女を問わずに出来るお祈りです。腹が立つ時も祈る。人の悪口を言う代わりに祈る。どうぞ少しでも多くお祈りして下さい。

 お祈りが出来るということは、祈りの醍醐味、祈ることの喜びが分かると、この世もあの世も一貫した、生命の生き方が顕れて来ると思います。
 どうぞ、日常生活の中で絶えず祈り続けていただきたいと思います。』




 

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